東日本大震災:べったりだった母を津波で亡くし、中学では引きこもりも…震災孤児を支える今「生き残った意味を考えていきたい」 : 読売新聞
東日本大震災で母を亡くした岩手県陸前高田市の高橋 伶奈(れいな) さん(23)は、震災などで親を失った子どもたちの学習支援をしている。中学時代、心のバランスを崩して不登校になったが、周囲の支えで前に進むことができた。今度は「自分が助けを求めている人の支えに」と誓う。(東北総局 藤本菜央)
子どもの頃、母・貴子さんと遊んだ砂浜を歩く高橋怜奈さん(2日、岩手県陸前高田市で)=永井秀典撮影「おめでとう」。2月下旬、伶奈さんが自宅からつないだパソコンで祝福した。画面の向こうで、大学に合格した宮城県の高校3年の男子生徒が「ありがとうございます」とはにかんだ。
伶奈さんは昨年3月に東京の大学を卒業後、陸前高田にUターン。親や家族を亡くした子どもたちの心のケアや学習支援を行う一般社団法人「こころスマイルプロジェクト」(宮城県石巻市)のスタッフになった。法人は子どもたち約30人が利用し、スタッフは5人。伶奈さんはリモートで国語を教えている。
男子生徒も震災で母親を亡くしていた。代表の志村知穂さん(58)は「伶奈ちゃんなら、悲しみを打ち明けられる存在になってくれると思った」と話す。
伶奈さんは5人きょうだいの末っ子。祖父母、ともに市職員だった父・一成さん(57)と母・貴子さん(当時46歳)の9人で暮らしていた。震災当時は小学3年生。その日は風邪で寝ていて、仕事に出る貴子さんに駄々をこねた。「行かないで」「早く帰るね」。それが最後の会話になった。
貴子さんは市民体育館の避難者を高台へ誘導中に犠牲になったとみられる。広田半島沖で遺体が見つかり、隣の大船渡市民体育館に安置されていると連絡があったのは4月17日。指輪に彫られたイニシャルで身元が判明した。
伶奈さんは母にべったりだった。貴子さんが所属する人形劇団の舞台を見に行ったり、兄が出る野球の試合を一緒に応援したり。悲しむ姿を見られまいと感情にふたをするうちに、心は限界に達した。
中学で引きこもりがちになり、2、3年はほとんど学校に行かなかった。母の死を言い訳に、通信制高校への進学決定後も勉強に身が入らなかった。
ある日、見かねた一成さんから叱られた。そして、父がふと漏らした。「俺だって悲しかったんだ」。初めて聞く弱音だった。
一成さんは伶奈さんに少しでも前を向いてほしいと、美術館や博物館にも連れて行ってくれた。「お父さんが一番困っていたのに、何も考えていなかった」。物事がうまくいかないことを、母を失ったせいにしていたことを認め、少しずつ自分を受け入れられるようになっていった。
大学時代、学習塾のアルバイトで不登校の中学3年の男子生徒を教えた。勉強が手につかず、泣き出した生徒に自らの経験を話した。「苦しくても勉強する前向きな気持ちを大事にしてほしい」。そんな言葉をかけられるようになった。
学習支援の傍ら、一成さんが5年前に設立した食肉加工会社で商品パッケージのデザインを手伝う。「いまは毎日が楽しい」
あの日から14年。あんなに悲しかったのに、貴子さんに会えない寂しさはずいぶんと薄れた。「お母さんは悲しむかもしれないけれど。自分が生き残った意味を考えていきたい」。いろいろな経験をして、少しだけ強くなった。
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