イスラエルが固執する生存と防衛 「百倍返し」の先に見据えるもの

エルサレム=石原孝 カイロ=其山史晃

パレスチナ自治区ガザ中部ヌセイラトで2025年10月29日、イスラエル軍の攻撃で破壊された住宅=AP

 10月29日朝。イスラエル軍による空爆がパレスチナ自治区ガザの各地を襲った。停戦中のはずの街に、再び地鳴りが響き、黒煙が上がった。

 東京23区の約6割にあたる土地に、200万人以上が暮らすガザは、世界でも有数の人口密集地だ。イスラエルに壁やフェンスで境界を封鎖され、「天井のない監獄」と呼ばれてきた。

 避難生活を送っていたアフメド・オウンさん(29)は停戦を受けて、北部ベイトラヒヤの破壊された自宅の様子を見に行っていた際、攻撃に巻き込まれ亡くなった。がれきに埋もれたオウンさんの遺体は焼け焦げ、上半身しか見つからなかった。

第2次世界大戦の終結から80年。ルールに基づく世界秩序は、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ自治区ガザ侵攻で大きく揺らいだ。強国が力で自国の利益を追求する世界の今を伝える連載の第3章は、「生存」のための国家防衛を理由に、中東各地の「七つの戦線」を含む激しい軍事攻撃や、パレスチナ占領を続けるイスラエルの実像に迫る。

パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニスで2025年10月30日、黒煙が立ち上っていた=ロイター

 近くに住むいとこのアボウ・ゼイダンさん(47)は電話取材に対し、「アフメドは妻や7歳の娘を残して死んでしまった。我々が安心して暮らせる場所なんてない。停戦もすぐに崩壊するかもしれない」と嘆いた。

 ガザ保健当局は、28~29日に子ども46人を含む104人が殺害されたと発表した。イスラエル軍は28日にガザ南部でイスラエル兵が攻撃を受けて1人が死亡したとしている。カッツ国防相は「(イスラム組織)ハマスはガザでイスラエル軍兵士を攻撃し、人質の遺体を返還する(停戦)合意に違反した」と主張し、攻撃を正当化した。

 トランプ米大統領も「兵士を殺されたので、イスラエルは反撃した」とし、「何事も停戦を脅かすことはない」と容認する姿勢を示した。

パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニスの病院で2025年10月29日、イスラエル軍の攻撃で死亡した人の葬儀に参列した遺族たち=AP

 イスラエル軍の軍事戦略は、国連では「過剰な軍事力の行使」と表現される。戦禍を逃れてきたゼイダンさんは、イスラエルによる「百倍返し」の容赦のない対応について、「ホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺)のようだ」と語った。

 ゼイダンさんは「イスラエルは、パレスチナ国家の樹立に反対し、戦闘を続けるための口実を常に主張してきた。米国も国連も、この虐殺は止められない」と嘆く。

パレスチナ自治区ガザ北部ガザ市で2025年11月5日、破壊された建物の中から満月が見えた=ロイター

 ガザを拠点とする人権団体「パレスチナ人権センター」のラジ・スラーニ代表は「ガザで起きていることは新たな世界秩序のテストケースだ」と指摘。「ガザでの戦争が国際法の墓場となることを許せば、誰もが弱肉強食の法則が支配する世界を生きる代償を払うことになる」と警鐘を鳴らす。

 第2次世界大戦後、中東で強力な軍事力を誇ってきたイスラエルは2023年10月7日、ハマスの奇襲攻撃を受けた。約1200人が殺害、200人以上が拉致された衝撃は大きく、ネタニヤフ首相は「ホロコースト以来となる最大の攻撃」と主張。「国家存亡の危機」と位置づけた。

ガザの被害

 以来、人質の奪還とハマスの壊滅をめざし、2年に及ぶ戦闘を継続してきた。ガザ内での死者は6万9千人以上に上る。空爆や地上侵攻によって建物の約8割が損壊し、発生したがれきの量は約6100万トンと、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の3倍に及ぶ。ガザへの人道支援物資の搬入を著しく制限し、栄養失調による子どもらの死者も相次いだ。

 それでも、イスラエル軍の関係者は「幼い子どもを含む何の罪もない人々が残酷な形で殺害されたのだ。我々の安全を守るため、徹底した対応が必要だ」と訴える。

 犠牲者が増え、国際社会から戦闘の停止を求める声が強まるなか、イスラエルとハマスは10月10日から停戦に入った。約1カ月がたったが、散発的な攻撃が相次ぎ、ガザ保健省によると、停戦以降も8日までに約240人が死亡した。イスラエルによる人道支援物資の搬入制限も続いている。

 自分たちの「生存」を重視するイスラエルの反撃の矛先は、占領地であるパレスチナ自治区だけにとどまらない。宿敵イランが勢力圏を広げる源泉となっていた中東各地の武装組織のネットワーク「抵抗の枢軸」にも向けられた。

 ネタニヤフ氏は、中東各地で「七つの戦線」と呼ぶ軍事作戦を展開。隣国レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラの弱体化は昨年末、その支援を受けていたシリアのアサド政権の倒壊につながった。

イランの首都テヘランで2025年6月15日、イスラエルの攻撃を受けて炎上する石油貯蔵施設。ウェスト・アジア・ニュース・エージェンシー提供=ロイター

 さらにイスラエルは今年6月、抵抗の枢軸を主導するイランにも波状攻撃をかけ、核・ミサイル施設に打撃を与えた。一連の攻撃では、たびたび国際法上の正当性に疑義が示されたが、「自衛権」を主張するイスラエルの武力行使の歯止めにはなっていない。

 「私たちは力によって平和を、静けさを、セキュリティーを七つの戦線で築く。これが今後の政策だ」。ネタニヤフ氏の言葉には、中東の勢力図を軍事力でイスラエル優位に塗り替えていくという自負すら漂う。

 第2次世界大戦の終結から80年。米国が主導して築いたルールに基づく世界秩序は、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻で大きく揺らいだ。

 「米国第一主義」を掲げるトランプ氏は、デンマーク自治領グリーンランドやパナマ運河の領有を主張し、隣国カナダを「51番目の州にする」とも述べた。強国を自認する国々が、自らの「勢力圏」を守り、広げようとするかのような言動が目立つ。

 「生存」のための国家防衛を理由に攻勢を強め、自国民の入植を進めて「帝国の幻影」を追い求めているようにも見えるイスラエル。ホロコーストの記憶が残るなか、世界を震撼(しんかん)させる軍事攻撃やパレスチナ占領を続ける背景に何があるのか。

イスラエルのテルアビブで2025年6月18日、イランから発射されたミサイルに対し、迎撃システムが作動した=ロイター

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この記事を書いた人

石原孝
エルサレム支局長
専門・関心分野
アジアや中東、アフリカの新興国・途上国の情勢
其山史晃
中東アフリカ総局長
専門・関心分野
中東、安全保障、地政学、テロリズム

2023年10月7日にイスラム組織ハマスがイスラエル領内を奇襲攻撃。報復としてイスラエル軍がパレスチナ自治区ガザ地区への空爆や地上侵攻を始め、6万7000人以上の犠牲者が出ています。25年10月、トランプ米大統領の停戦案に双方が合意しました。最新のニュースや解説をお届けします。[もっと見る]

連載帝国の幻影 壊れゆく世界秩序

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