「韓国に行きたい」 ウクライナで捕虜になった北朝鮮兵に本紙特派員がインタビュー(後編)【独自】

■「中隊の同期が全員死んで自分だけ生存…手りゅう弾があったら自爆していた」

-それは何ですか。

 「とても大きな無人機なんですが、爆弾を積んでいて…。熱映像感知器(サーマルカメラ)を搭載していて、夜ごと爆弾を投下しながら飛んでいる無人機なんですよ。それが空中でずっと回っていて、無人機が熱映像感知器でサーチ(捜索)して手りゅう弾を落とすので、(そこから)動けなかったんです。そこで、(とりあえず)私たちが掌握した地域に行って、そこで隠れていたんです。ところが深夜3時ごろ、ウクライナ軍が装甲車に乗ってきて、装甲車から機関銃を打ちながら私たちが掌握している地域にウクライナの兵士たちを送り込んで作戦を展開したんです。そのため、そこに隠れていては全滅しそうな状況だったので、『もう出ていこう』とそこから撤収して移動する途中で、また無人機に攻撃されて、私を救ってくれた人が1人、また1人と死んでしまい、そうしているうちに私一人が生き残ったという訳なんです」

【写真】本紙特派員のインタビューを受ける北朝鮮兵捕虜・リ兵士

-一人になる前は何人いたんですか。

 「私のほかに5人がいた状態で、5人とも皆、犠牲になりました」

-その後はどうなったんでしょうか。

 「真っ暗な夜になったんですが、私は地形をよく知らなかったので、ただ感覚的に『あの稜線さえ越えれば自分たちの区域だろう』と考えて動いたんですが、違っていたんです」

-方向が違っていたんですね。

 「方向が違っていて…それから再び道を探して、もう一度行こうと進んでいる時に、捕虜になったんです。その時の私は腕も使えず、防弾服には手りゅう弾もナイフも(なく)、戦闘用の装備が全くなかったということです。そして、けがをしていたので重い物を持って移動することはできず…。だからそんな状態で歯向かったところで、私が捕らえられるのは当然で。もし手りゅう弾でもあれば自爆していたかもしれませんが…」

-自爆しろという指示を受けていたんですか。

 「我が人民軍隊において、捕虜は変節(主義・思考が変わること)に他なりません」(捕まったら自爆しろと指示されていたという意味)

-これから、どうしたらいいと思いますか。

 「いろいろなことを考えています」

-ご両親のこともたびたび考えるでしょうね。

 「両親に会いたくてたまりません。(しばらく考え込んでから)黄海南道の信川郡が、私の服務していた場所です。平壌から近いんですよ。(それなのに)私が軍に服務している間、一度も家に帰れませんでした」

-10年間、一度も帰れなかったんですか。

 「はい。両親とは電話ではたくさん話しましたが、直接は一度も会えませんでした」

-今、北に帰ったらまたさまざまな苦難があると思いますが。

 「もちろんそうですね」

-今後について、心に決めたことはありますか。

 「(うなずきながら)80%は決心しました」

-どのような決心をしたんですか。

 「(しばらく悩んだ様子を見せ)記者だとおっしゃいましたよね? (またしばらく考え込む)まずは難民申請をして、(しばらく考え込む)大韓民国に行こうと考えています。私が難民申請をしたら受け付けてもらえるでしょうか? (これに関連し、ウクライナの当局者は「北朝鮮軍捕虜の韓国行きが可能かどうかは韓国政府に懸かっている」と述べた)

-クルスクにいる戦友たちにかけてやりたい言葉はありますか。

 「まずは今の戦闘状況が気になります。クルスクは今、全て解放されたんでしょうか」(ウクライナ軍を追い出したのかという意味)

-いいえ、解放されていません。

 「(ため息)」

-(北朝鮮軍が)クルスクではなく別の場所に投入される可能性は?

 「クルスクを解放しに行くと聞いていました。クルスクという地域には、あれがあるじゃないですか。ウランと核があるじゃないですか」

-核発電所、原子力発電所があります。(派遣された北朝鮮軍が)そこを守らなければならないのですか。

 「はい」

-それは今クルスクで作戦を展開する上で非常に重要なことですね。

 「(うなずく)」

-一緒に派遣された部隊の戦友の中に、思い浮かぶ人はいますか。

 「ほぼ全員、犠牲になりました。私と一緒に軍隊に入った人たちは皆、犠牲になりました。私のいた中隊では同期が全員犠牲になり、一人も残っていません」

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