【ラプラスの悪魔】なぜ量子力学は物理学者にとって“受け入れ難いもの”だった?(ダイヤモンド・オンライン)

 量子コンピュータが私たちの未来を変える日は実はすぐそこまで来ている。 そんな今だからこそ、量子コンピュータについて知ることには大きな意味がある。単なる専門技術ではなく、これからの世界を理解し、自らの立場でどう関わるかを考えるための「新しい教養」だ。 近日発売の『教養としての量子コンピュータ』では、最前線で研究を牽引する大阪大学教授の藤井啓祐氏が、物理学、情報科学、ビジネスの視点から、量子コンピュータをわかりやすく、かつ面白く伝えている。今回は物理のはじまりと量子力学についてを抜粋してお届けする。 ● 物理のはじまり  「物理」という日本語は、幕末から明治にかけて西欧から入ってきた「Natural Philosophy」もしくは「Physics」という言葉の和訳として、儒教用語の「物理=万物の理」を用いたことに由来する。 最初に使いはじめたのは、私の所属する大阪大学の前身でもある蘭学の研究所「適塾」を開いた緒方洪庵らしい。  この和訳の通り、物理学の目的は、私たちの身の回りにある万物がなぜそのように存在し、どのように振る舞うのかを理解し説明することである。 ● リンゴとサイコロからわかること  たとえば、リンゴの落下を見て万有引力を発見した「寓話」で有名なアイザック・ニュートンは、物体の運動の法則(ニュートンの運動方程式)を発見した。物体の位置と運動量(=速度×質量)、そして物体に働く力が分かると、未来にどのように運動するかを完全に知ることができる。 まさに「物」の理だ。  このように、必要な量を知っていれば“完全に”物の振る舞いを予言できるという立場が、古典物理学(ニュートン力学)の考え方だ。 この考え方によれば、サイコロを振ったときに詳細な条件を知っていれば、どの目が出るかは完全に予言できる。 一から六までの出目がランダムに見えるのは、あまりにもさまざまな要素が影響するために複雑過ぎて(神には分かるが)私たちはその詳細を知ることができないからなのだ。 ● ラプラスの悪魔  つまり、古典物理学の世界では運命に逆らうことはできず、デタラメは存在しない。個々の値を表現するのが面倒な場合に統計的なアプローチを使うことはあれど、古典物理学で表現される世界には確率は登場しない。 ある時刻の物理量とそれが従う運動方程式を知っていれば、未来や過去の振る舞いは原理的にはシミュレーションすることができる。  量子力学登場以前の十九世紀の数学者ピエール=シモン・ラプラスは、それを未来のありとあらゆる現象を計算できる知性(悪魔)だと主張した。 このような超人間的知性はラプラスの悪魔と呼ばれている。 ● 今までと違う量子力学  一方で量子力学において位置や運動量といった物理量は波動関数と呼ばれる分布を表す関数によって表され、観測をするまで定まらない。 そして、観測をしたときにランダムに物理量の値が定まる。  このような世界観は、それまでのラプラスの悪魔のように未来をすべて予測することができる決定論的な世界観とは大きく異なり、否定的な物理学者も少なくはなかった。  (本稿は『教養としての量子コンピュータ』から一部抜粋・編集したものです。)

藤井啓祐

ダイヤモンド・オンライン
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