アテネ断念を涙ながらに伝える「主治医として認めるわけにいかなかった」…脳神経内科医・内山真一郎さん
2004年3月、教授を務めていた東京女子医大の病院で脳 梗塞(こうそく) で倒れた長嶋さんの治療にあたった。患者が誰であれ向き合う姿勢は変わらないが、状況は特殊だった。
長嶋茂雄さんの治療にあたった当時を振り返る内山真一郎さん(4日、東京都港区で)=安川純撮影長嶋さんは、この年の夏のアテネ五輪野球日本代表の監督に就任していた。「全国民の思いがあり、五輪も控えている。診療に全力を尽くさねば」という気持ちだった。
脳の太い血管が詰まり重いマヒが残る状態だったが、長嶋さんは自主トレも含めスパルタと呼べるほどの猛烈なリハビリに励んだ。退院後の定期的な診察でも弱音や愚痴はこぼさない。いつも前向き。かえって元気をもらっていた。
脳梗塞で倒れてから1年4か月後に初めて東京ドームで巨人戦を観戦する長嶋さん(後列中央)と、内山さん(同右)(2005年7月3日撮影)そんな長嶋さんが唯一、異なる表情を見せた瞬間がある。アテネを断念するように伝えた時だ。しばらく黙って考えていたが、涙ぐみながら、「分かりました」と静かにうなずいた。
私もつらかった。行ってほしかったから……。五輪を励みに、懸命にリハビリをしてきたことも知っていたが、酷暑も予想される真夏のアテネ。代表監督として計り知れない重圧やストレスも大きな再発リスクだ。主治医として認めるわけにいかず、一ファンとしても涙ながらに伝えた。
うれしい思い出もある。06年に日本脳ドック学会の特別企画への登壇を打診すると、二つ返事で引き受けてくれた。当日はスタンディングオベーションが起こり、患者や医療関係者に勇気を届けたいとの2人の思いが会場を一つにした。
フルスイングのプレースタイルに魅せられ、どの患者にも全力で妥協をせず診療するのをモットーにしてきた。出会いから20年余り。これまで本当によく頑張ってこられた。天国から、あの笑顔で私たちを見守ってほしいです。
(医療部 鈴木希)