「高市政権に政策提言したい」台湾に安倍晋三研究センター発足! 河崎眞澄

「安倍晋三研究センター」設立式典に出席した台湾の頼清徳総統(筆者撮影、提供)

二〇〇六年九月に発足した第一次安倍晋三内閣で、内閣府特命担当大臣として初入閣し、第二次安倍政権で二〇一四年九月の内閣改造で総務相に就いた高市早苗自民党元政調会長(64)が、〝ガラスの天井〟を破って、日本初の女性総理に就任した。

安倍政権の政策継承を期待されている高市氏を、韓国メディアは「女性安倍」などと揶揄。中国外務省報道官は「歴史や台湾などの問題で政治的な約束を守れ」とコメントし、日本の保守路線への回帰に警戒感を示した。一方で台湾の頼清徳総統は、「台湾にとって揺るぎない友人だ」として祝意を表明し、中韓とは真逆の反応をみせている。

二〇二五年九月に台北市内で設立式典を行った「安倍晋三研究センター」のセンター長で政治大学の李世暉教授は、「(高市首相誕生は)台湾にとって望ましい。今こそ(安倍政権が提唱していた)『自由で開かれたインド太平洋(FOIP)構想』の重要性とフレームワーク作りを訴えていきたい」と話し、高市政権への期待感を示した。

台湾、対日関係を深める好機

同センターは「安倍政権の政策研究」を行う学術的な拠点である。筆者の取材に応じた李教授は、「FOIPなど外交政策や『三本の矢』で知られるアベノミクスなど経済政策を始めとする安倍元首相の戦略研究によって、台湾と日本の関係強化に踏み出すことができる」と話した。李教授ら台湾の有識者は、安倍政権下で進んだ日台関係が、岸田、石破両政権下では停滞したと指摘している。

核兵器を保有する中国、ロシア、北朝鮮の軍事脅威に囲まれた日本にとって、同盟国の米国のみならず、東アジアの安全保障上、海域を接する台湾との関係は重大な意味を持つ。このことは自由、民主、人権という価値観を共有する民主主義社会の台湾にとっても同じで、地政学上、「日台は運命共同体」といっても過言ではない。

河崎真澄氏

李教授は、頼政権の対外政策の現状として、中国との関係は膠着状態で、好転は望めないと指摘した。他方で米国とは、高度な情報共有や人的往来など関係は安定しているものの、第二次トランプ政権の関税政策など「変数」も生じていると懸念を示した。これら対外環境において、改めて「対日関係(の深化)が最優先課題だ」と強調した。

正式な外交関係はなくとも、水面下で日米台の政策情報共有や、安全保障上の連携体制構築はかつて、李登輝政権が一九九〇年代半ばから全身全霊で進めてきた政策だ。岸田、石破両政権下では何ら進展のなかった対日関係を、一歩前に進める好機と映っている。「日本の政界で台湾との窓口だったのは旧安倍派がほとんど」と李教授は話した。

感情論に左右されぬ政策研究

ただ、日本では何らできていなかった「安倍政権の政策研究」を、なぜいま、台湾の学術界が始めることができたのか、との素朴な疑問は残る。

李教授は、「日本では自民党や国民の間で安倍元首相に対する議論が感情的に左右されやすく、理性的な討論や研究は容易ではない。だが、安倍政権の政策はいずれ再評価される日が来る。もし日本で研究しないなら、大半の住民が良いイメージを持っている安倍元首相の研究を台湾でしないのはもったいない」と背景を語った。

実際「安倍晋三研究センター」でどのような構想を描いているのか。好き嫌いやファンクラブ的な存在ではなく、あくまで学術研究の立場から、とりわけ台湾の政策立案や実行で参考になる外交、経済で、その戦略を詳らかにする必要があるという。価値観を共有する民主主義陣営がつながるFOIPは、台湾も重大な関心がある。

法の支配による自由で開かれた国際秩序をめざしたFOIPは、インド洋から太平洋を渡って北米まで、地球儀を東西に俯瞰した外交戦略で、二〇一六年八月に安倍政権が提唱し、第一次トランプ政権で米国務省が正式に受け入れた。日本発の外交戦略が国際社会におけるスタンダードになった史上初のケースと考えられる。

FOIPはいわば「対中包囲網」の様相もみせる。台湾が接する南シナ海や東シナ海で、武力行使によって現状変更を図ろうとする中国共産党政権と対峙することを念頭に、国際法など法の支配や、海域の自由航行、さらに自由貿易の推進による地域の安定と繁栄を目標とする。この点で中国に近接し、同時に四方を海に囲まれた日本も、状況はまったく同じだ。

日米やインド、オーストラリア、東南アジアのみならず、台湾も含め、民主主義の価値観を共有する国際社会は、「国家利益」共有のため、戦略を描くべきだと李教授は考えている。外交戦略として安倍元首相は、トランプ大統領のみならず、インドのモディ首相、さらにロシアのプーチン大統領まで「個人的な友人」として信頼関係を築くに至った。こうした点も、経緯や外交成果など学術研究の対象にしていく。

CPTPPで国益を共有

李教授はさらに、安倍政権が推進した「環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定(CPTPP)」への評価も重要だと話した。「環太平洋パートナーシップ協定(TPP)」交渉への参加決定から、第一次トランプ政権の意向による米国離脱後、日本を中心としたCPTPP発効に至るまで、安倍政権は大きな役割を果たしたからだ。

当初、日本やオーストラリア、カナダ、シンガポール、ペルーなど十一カ国でスタートした多国間貿易協定だが、EU(欧州連合)を離脱した英国が加盟申請し、二〇二三年七月に正式承認されている。台湾も二〇二一年に加盟申請を行ったが、現在に至るまで承認されず、中国からの政治圧力を背景に、審議も進んでいないのが実情だ。

ただ、安倍元首相は二〇二一年七月、衆議院第一議員会館で行った筆者との単独インタビューで、「日本としては、国際社会の中で台湾が地位を確立する上で、支援していく。WHO(世界保健機関)に、できればTPPにも入ってもらいたい」と明言しており、首相退任後も台湾の加盟を強く希望していた。

香港と同じく、台湾は国家としてではなく「独立した関税地域をもつ経済実体」としてWTO(世界貿易機関)やAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の正式メンバー。安倍元首相は、台湾のCPTPP加盟に政治圧力をかける中国に強い違和感をもっていたと考えられる。二〇二二年十二月、都内での講演で高市氏も台湾加盟を支持した。

安全保障を含む外交や、自由貿易のための経済政策で、日本のみならず、広大なインド太平洋地域において、台湾は民主主義社会と「国益」を共有できる、との考えが李教授や台湾の学術界、さらには頼政権を含む政界にあふれている。逆に何らかの理由で台湾を排除することは、国際社会にとって不利益になる、と言い換えることも可能だ。

日台共同の対米投資も可能

二〇二五年九月に行われた「安倍晋三研究センター」設立式典で、頼総統は「研究センターの責任は重い」と存在意義の大きさを強調した上で、「アベノミクスによって日本の産業界が活力を回復した。経済効果は(日本の各)地方にも広がり、半導体戦略推進も進んで、台湾からの対日投資の基本になった」と述べた。主に半導体受託生産の世界最大手、台湾積体電路製造(TSMC)による熊本県でのプロジェクトをさす。

人工知能(AI)の急展開による高度な半導体チップの需要が世界的に広がりを見せており、TSMCは熊本県での第二工場建設に二〇二五年十月、着手した。日本政府もTSMCの熊本プロジェクトに計一兆円を超える巨額の支援を行う方針で、半導体という安全保障上も欠かせない重要な産業において、日台連携を強める政策が始まっている。

頼総統はさらに「米国は産業(主に製造業)の再生を進めている」とも指摘した。この発言について李教授は半導体産業をひとつの例に、「厳しい関税政策で迫るトランプ政権への対処として、日本と台湾が共同で対米投資を行うとの提案も可能性がある」と考えている。日本が五千五百億ドル(約八十兆円)、台湾が三千億ドルの対米投資を迫られる中で、半導体分野での日台協力に期待が集まる。

AIや物流、高速鉄道などの交通システム、地下資源開発など日台が共闘できる産業分野は幅広い。トランプ政権の関税政策をむしろ転機と考え、「日米台の三方による産業協力ネットワークの構築も可能であり、『安倍晋三研究センター』での学術研究を基礎に、高市政権に提言していきたい」と李教授は意欲を燃やしている。

好循環を生んだ政策の継承を

台湾側のこうした対日期待感に呼応するように、設立式典に出席した自民党の甘利明元幹事長は「日本と世界が失った安倍晋三への評価を最も理解しているのが台湾だ」と語った。

「集団的自衛権の限定行使という解釈に踏み込んだ」とも述べ、憲法改正には至らなかったものの、東アジアの安全保障を国際的に担保していくことに、安倍政権が一歩踏み出したことに言及した。「歴史が(安倍元首相を)評価する」と強調した。

同席した萩生田光一衆議院議員も、中国の軍事脅威を念頭に、「力による現状変更は認められない。(日本の生命線でもある)東シナ海や台湾海峡などで価値観を共有している台湾はかけがえのないパートナーだ。経済政策と安全保障は不可分である。だからこそ(安倍元首相が述べた)『台湾有事は日本有事』だ」と改めて強調した。

設立式典の後、李教授をモデレーターにその場で行われた円卓会議に出席した東京大学東洋文化研究所の林泉忠特任研究員は、「安倍政権の時期は久しぶりに日本が繁栄した時代だった」と振り返った。外交関係なき台湾との関係で、安倍元首相がみせたリーダーとしての決断力や実行力として以下の三例を挙げた。

まず、二〇一三年四月に日台が締結した事実上の「漁業条約」ともいえる「日台漁業取り決め」だ。海域を接する日本と台湾が、台湾や沖縄の排他的経済水域(EEZ)などで双方の漁業が秩序を保つためのルールで、日本側を代表した当時の「公益財団法人交流協会」と、台湾側を代表した「亜東関係協会」の双方の代表が署名した。外交関係なき日台は「条約」を結べないが、このとき名を捨て実を取ったことになる。

次に、二〇一七年一月、一九七二年の日台断交以来、対中配慮から何をどこと交流するのか曖昧な名称だった「交流協会」を、すっきりと「日本台湾交流協会」に改めたことだ。中国から強硬な反発があったが安倍政権は粛々と変更に踏み切った。

これを受けた台湾外務省も同年、対日窓口機関の名称を「台湾日本関係協会」に変えた。一歩ずつだが着実に、安倍政権は台湾との関係を縮めていったように見える。

さらに二〇二一年七月、新型コロナ禍にあってワクチンの調達で苦慮していた台湾に対し、すでに退任していたものの、後任の菅義偉政権を下支えしてアストラゼネカ製ワクチンの台湾無償供与に踏み切ったことだ。

当時、台湾の駐日代表だった謝長廷氏らからの要請を受け、安倍元首相はわずか十日ほどでワクチン供与の決断と、緊急輸出手続きを進めさせたと、政策を高く評価した。林研究員は「日台の民間関係は明らかに深まり、好循環を生んだ。この(安倍)時代の政策継承が必要だ」と語った。

式典で登壇した安倍昭恵夫人(筆者撮影、提供)

「主人の思いを持って来た」

設立式典では安倍昭恵夫人も登壇し、台湾と安倍元首相の関係について、こう強調した。「主人は(一九九三年に)国会議員になった後、李登輝元総統から学んできた。父親のように可愛がって下さり、(第一次安倍政権を降りた後)日本と世界のために、もう一度、首相になりなさいとおっしゃっていただいた」と、親子か師弟のようであった日台二人のリーダーの関係と姿を振り返った。

昭恵夫人は「理想だけではなく現実を見て政治をしなさい、と李元総統が話していたと、私に何度も話してくれた」とも明かした。「(第二次安倍政権を終えた後、安倍元首相は夫人に)台湾に行きたい、と何度も話していた。(二〇二〇年七月に逝去した李元総統の墓参のため訪台を)計画していた矢先に亡くなって、無念」と静かに話した。

一方で、「主人の思いを持って私は台湾に何度も来た。頼総統にも家族のように親しくしていただいた。友情はほんとうにありがたい」と感謝の言葉を綴った。昭恵夫人はさらに「主人の政治をよく分かっていなかったので、私も学びたい」と話し、「安倍晋三研究センター」の学術研究や活動への期待を込めた。

昭恵夫人によると、安倍元首相の出身校、成蹊大学で「自由で開かれたインド太平洋研究所」が作られたほか、米国の大学でも「アベノミクス」を研究する動きがあるという。

本誌令和七年八月号で筆者は、「安倍晋三の『師』は李登輝だった」を執筆し、安倍政権の政策にはさまざまなところで台湾の李元総統からの影響があると論じた経緯がある。安倍元首相は、衆議院第一議員会館十二階の角部屋、一二一二室の事務所で、来客の目立つ場所に、李元総統から贈られた「冷静 謙虚」と書かれた色紙を大切に飾っていた。ただ、設立式典で二人の関係に触れたのは昭恵夫人ただ一人だった。

李登輝と安倍晋三の関係性

円卓会議に登壇した東大の林泉忠研究員に、帰国後オンラインで話を聞いた。なぜ台湾側から李元総統による安倍元首相への政治的な影響が語られなかったのか、との問いに、「確かに影響はあったと考えられるが、台湾側からは言い出しにくいことではないか」と話した。日台に上下関係などないはずだが、台湾の置かれた国際的立場と日本の存在感から考え、万一にも「上から目線」にならぬよう配慮したのかもしれない。

ただ、昭恵夫人が語ったように、安倍元首相の政治姿勢の根幹に、李元総統の父親のような「教え」があったことは明らかで、「安倍晋三研究センター」でもこの二人の関係について、ひとつの研究テーマにすべきではないかと考えている。この問いに対して研究センターを率いる李教授はこう話した。

「私自身が実際、一九九〇年代に進んだ李元総統の政治的戦略性を学んできた。李元総統は(大東亜戦争の時期に旧制台北高校から進学した)京都帝国大学で学んだが、私も京都大学で博士号を得た。後輩である。李元総統の脳裏にあったのは(台湾だけではなく)世界の中の台湾であり、このことは(安倍元首相が語った)『地球儀を俯瞰する外交』戦略と何ら変わらない」という。この先の学術研究の展開に期待が膨らむ。

李教授の現時点の構想では、「安倍晋三研究センター」の活動として、二〇二六年四月に台北で、台湾のメディア関係者や三十〜四十歳代の政治家らを招き、台湾の日本研究者や政治家を講師に「安倍政経塾」と名付けた研究会を始める方針だ。「台湾の若手で欧米留学派に比べ日本留学派は多くない。日本のことを知っているようで、実は知らない台湾人が多いのは事実」とその理由を説明した。実際に、李元総統のように日本統治時代に高い日本語教育を受けた世代はもはや、ごく少数だ。台湾におけるこの日本語世代の存在が戦後の日台関係で、政治経済から民間交流まで果たしてきた役割は大きかった。

その後、六月に台北で、日台関係に寄与している学術界や産業界の人々、文化人らを対象にした新たな顕彰制度による表彰式を予定している。日本も台湾も主に年配者を対象とした公的な叙勲は行ってはいるが、「若手を顕彰してこそ、将来につながる日台関係の基本ができる」と李教授は考えている。さらに九月に東京で、台湾と日本、さらに米国を含む三方の関係について討論するシンポジウムの開催を計画している。

安全保障や外交、「三本の矢」で知られた経済政策のアベノミクスなど、単なる政策研究のみならず、その考え方を含め、安倍晋三という希代の政治家が残した軌跡を再評価し、研究成果を台湾と日本、そして米国や世界の民主主義社会との連携や発展に結び付けたいとの強い思いが、台湾の政財界や学術界、メディアなどに広がっている。

「台湾発」のムーブメントや日台連携の提言に、高市政権下の日本の政財界や学術界がどこまで呼応できるか。そして新たな局面を切り開いていけるか、注目していきたい。

=東京国際大学教授、元産経新聞台北支局長

月刊「正論」12月号から)

かわさき・ますみ 昭和三十四年東京生まれ。拓殖大学大学院修士(政治行政)。産経新聞経済部、外信部、台北支局長、上海支局長、論説委員兼特別記者など歴任。令和四年から現職。著書に『李登輝秘録』(産経新聞出版)、『還ってきた台湾人日本兵』(文藝春秋)など。共著に『台湾有事どうする日本』(方丈社)など多数。

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