火星の石、未知への扉…南極で発見「想像かき立てる」

 その物体は1000万年前、火星と小天体との衝突で宇宙に飛び出した。地球に落下したのは数万年前。その後、南極の厚い氷に長く閉じ込められていた。

万博で展示される「火星の石」を前に、発見当時の状況を語る国立極地研究所の今栄直也さん(昨年12月10日、東京都立川市で)=田中秀敏撮影発見された当時の「火星の石」。年月日などを氷にペンで書き込んだ(2000年11月29日、南極で)=極地研提供

 国立極地研究所(東京都立川市)が、大阪・関西万博で初めて一般公開する「火星の石」。重さ13・7キロで、火星由来では世界最大級の 隕石(いんせき) だ。ラグビーボールのようないびつな球状で、大気圏突入で溶けたため表面が黒い。研究者の間では、「ご神体」と呼ばれる。

 「見た瞬間に隕石だとわかった。ただ、緑がかって光沢もある。1万点以上の隕石を見てきたが、知らない種類だと思った」。第41次南極観測隊の越冬隊員として隕石の探査に加わった極地研助教の 今栄(いまえ) 直也さん(60)は、発見時の興奮をそう語る。

 2000年11月29日、南極・やまと山脈付近は氷点下14度、快晴だった。隊員6人が雪上車とスノーモービルを歩くような速度で走らせ、見渡す限りの氷原に目をこらした。黒っぽい塊をリーダーが見つけ、サブリーダーの今栄さんが慎重に採集した。

 東京・晴海ふ頭を観測船「しらせ」で出港してから382日目、南極・昭和基地を雪上車で内陸に向けて出発してからは34日目のことだった。

 観測隊の報告書には、悪天に何度も行く手を阻まれた記録が残る。

 「11月8日 ホワイトアウトのため行動中止」

 「11月23日 朝から強く高い地吹雪、天候回復待ち」

 道中、深く裂けたクレバスに荷積み用のソリが転落しそうになったこともある。「冒険だったと思う。私が向いているかどうかは別として……」。今栄さんは控えめに振り返る。

 翌年、日本に戻ると、早速分析に取りかかった。発見場所や採集した順番などから「Yamato 000593」と命名。隕石に含まれるガスの成分と、米国の探査機が火星で測定していた大気データが一致、水の痕跡があることも確認し、02年の国際学会で発表した。生命の存在につながる水が火星にあった証拠を改めて示す研究となった。

 少年時代、極寒の地を犬ぞりで突き進む冒険家・植村直己に夢中になった。だが、宇宙にあこがれていたわけではない。地元・大阪で「月の石」に行列ができた1970年万博はまだ幼く、行っていない。

 契機になったのは京都大の学生時代。農学部に入ったが、「何となく興味を持ち続ける自信がない」と理学部に転部。在籍した研究室では隕石の研究が盛んで、おもしろさを知った。「望遠鏡で空を見上げるのではなく、顕微鏡をのぞき込む。じっくり時間をかけて分析すると、そこに宇宙が見えてくる」。地道な作業に 醍醐(だいご) 味を感じた。

 隕石の研究者として神戸大に移っていた1995年、極地研から誘われ、南極観測隊への参加を決めた。

 火星の石は重厚そうだが、実は砂で作った団子のようにもろい。長く一般公開が控えられたのはこのためだ。今回は、緩衝材などを使って厳重に 梱包(こんぽう) し専門業者が輸送。万博会場では、専用の空調設備で気温や湿度を厳密に管理し、警備員も配置する。

 宇宙探査は月から火星へと挑戦が広がるが、「月の石」とは異なり、人類が火星から石を持ち帰ったことはまだない。地球上で採取した隕石こそが、火星を知る貴重な手がかりになる。

 今栄さんは「月の石のように、宇宙への想像力をかき立てるものになれば。長い歴史を持つ南極観測にも思いをはせてほしい」と目を輝かせる。(中西賢司)

火星由来の隕石1%未満

(4)宇宙へ

 国際隕石学会のデータベースによると、昨年12月19日現在、地球上で見つかった隕石約7万個のうち0.6%の393個が火星由来で、32個は南極で採取された。

 火星は、太陽の周りを地球のすぐ外側で回る惑星。薄い大気があるなど、太陽系で地球に最も環境が近いといわれる。

 火星圏探査は近年、活発化している。中国は2021年、旧ソ連、米国に続いて3か国目となる無人探査機の火星着陸に成功した。宇宙航空研究開発機構( JAXA(ジャクサ) )は、火星の衛星フォボスから試料を地球に持ち帰る世界初の計画の実現を目指し、米国も火星の有人探査を目標に掲げる。実業家のイーロン・マスク氏らは、将来の火星移住計画を提唱している。

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