旧民主出身7人の曲折 自民最短入閣の細野氏「裏切り者」非難に…「負けたら引退」で突破
第2次高市早苗改造内閣で、自民党の細野豪志復興相が14年ぶりに閣僚に復帰した。民主党政権時代に民主党所属の国会議員を務め、その後、自民入りしたのは細野氏を含め7人。3人が自民政権で閣僚となった。細野氏は入党から約4年10カ月と最も早かった。ただ、野党から自民へ移る過程や入党後には、それぞれ曲折もあった。
民主党政権が下野した平成24年12月以降、当時の民主党に所属した国会議員で自民党入りしたのは細野氏のほか、平野達男、山口壮、松本剛明、鷲尾英一郎、長島昭久、桜井充の各氏。山口、松本両氏は自民政権で閣僚になった。
「生きるしかばね」地盤返上
閣僚に届かなかった4氏も、それぞれ自民入りを巡る曲折があった。
自民党の長島昭久元首相補佐官長島氏は民主党政権で首相補佐官や防衛副大臣を務めた。民進党を離れた後、無所属では政策実現から遠ざかり、自らの境遇を「生きるしかばね」と周囲に表現した。
令和元年6月の自民入りでは、平成15年の初当選以来守ってきた東京21区を手放した。同区には過去3回戦った自民現職の小田原潔氏がいた。長島氏は「落ち度のない小田原さんを蹴落としてまで、自分が自民党に入りたいというのは道理に合わない」と選挙区変更を決断。自ら選挙ポスターを剥がして回り、支援者への「おわび行脚」を重ねた。
入党直後の参院選では、それまで戦ってきた自民候補と並んで支持を訴えた。自民入り後は衆院安全保障委員長などを歴任し、令和6年10月、石破茂内閣で安全保障政策などを担当する首相補佐官に起用された。
民進党に所属していた当時の自民党、鷲尾英一郎衆院議員(左)鷲尾氏は民主、民進両党、無所属を経て平成31年3月に自民入りした。令和2年9月には菅義偉内閣で外務副大臣に就いた。入党から約1年半だったが、閣僚には起用されていない。
桜井氏の離反、古巣が前面に
桜井氏は平成28年参院選で民進党候補として野党共闘を主導し、共産党の推薦も得て当選した。その後、国民民主党を離党し、自民党会派入りを経て令和4年に自民入りした。
自民党の桜井充参院議員(中央)同年の参院選では一転、自民公認で出馬した。古巣の立憲民主党側は桜井氏の離反を選挙戦で前面に押し出し、安住淳県連代表(当時)は報道陣の前で共産党や6年前に桜井氏を支援した市民団体の地元幹部に相次いで頭を下げた。安住氏は自民への移籍を「背信行為」と批判し、共産党の地元幹部も「裏切りだ」と糾弾した。
一方、自民側にも過去4回の参院選で戦った相手への複雑な感情が残り、県連関係者から「敵で何度も戦った相手だ」との声が出た。桜井氏は再選したが、自民所属となって以降、閣僚、副大臣、政務官、首相補佐官といった政府ポストへの起用はない。
民主党政権で初代復興相を務めた平野氏は平成28年7月、自民入りした。自民政権で再び閣僚に起用されることはなかった。
「裏切り者」…背水の自民入り
入党から再入閣までの期間が7人で最も短かった細野氏も、自民入りまでの道のりは平坦ではなかった。
平成29年に民進党を離れ、希望の党を経て無所属となった。31年には無所属のまま二階派の特別会員となり、自民入りを目指した。ただ、地元の静岡5区には自民現職の吉川赳氏がいた。自民県議からは「選挙のたびに辛酸をなめた相手だ。『はい、そうですか』と認められない」と反発の声が上がった。
自民党の細野豪志復興相細野氏は地元を回って支援者に頭を下げ、自民入りを目指した。従来の支持層が2割ほど離れたと感じたという。
令和3年衆院選では、かつての支持者から「全部裏切られた」と突き放される場面もあった。細野氏は「私を裏切り者という人の気持ちは受け止める」と語り、「勝利できなかったら政治の世界から引退する」と退路を断った。
衆院選では自民公認の吉川氏が6万1337票だったのに対し、無所属の細野氏は12万7580票を獲得。6万6243票差をつけて勝利し、選挙から5日後の11月5日、自民党への入党を認められた。吉川氏は比例復活したが、その後、不祥事が報じられ、令和6年の衆院選は出馬しなかった。
福島への発信続け「宿命」
民主党時代に幹事長や政調会長、環境相を経験した細野氏だが、自民入り後、政府の目立った要職には就かなかった。
一方、東京電力福島第1原発事故を巡っては、ALPS処理水の海洋放出や福島県民への甲状腺検査、科学的根拠に乏しい情報による風評の問題について発信を続けた。
高市首相は今回、細野氏を復興相に起用し、福島原発事故再生総括担当も兼務させた。東北復興の知見やノウハウを生かすとして、防災相も兼ねさせた。
閣議を終え高市早苗首相(前列中央)と記念撮影に臨む細野豪志復興相(前列左)ら=9月17日午後細野氏は就任に際し、「野党から転じた私を受け入れていただいた」と自民党への感謝を口にした。東日本大震災から15年を経て、再び責任ある立場に就くことについては「ある種の宿命」と語っている。
入閣まで山口氏6年9カ月、松本氏5年2カ月
山口氏は民主党政権で内閣府副大臣や外務副大臣を歴任。下野後に民主党を離れ、無所属を経て平成27年1月に自民入り。二階俊博元幹事長が率いた二階派に所属し、派閥の事務総長も務めた。
令和3年10月、岸田政権発足に伴い環境相として初入閣した。入党から約6年9カ月だった。
松本氏は民主党政権で外相を務め、平成27年に民主党を離党。29年9月に自民入りした。同年11月に麻生太郎副総裁率いる麻生派に入会し、翌30年10月に党政調会長代理に就いた。
令和4年11月、岸田文雄政権で総務相に起用された。入党から約5年2カ月を要した。今年7月、死去した。(奥原慎平)