号泣する上谷沙弥と肩を組んで…“引退決定”中野たむは「宇宙一幸せなプロレスラー人生」で何を手にしたのか? 試合後、通路の片隅で見た“ある光景”

「中野たむのすべてを奪ったぞ! でも、なんか苦しいな。なんでこうなったの? お前のせいだからな。お前のせいで私はプロレスラーになった。お前のせいで、ケガもした。お前のせいで、強くなった。お前のせいで、お前を引退させることになった。全部、全部、全部、お前のせいだからな」  勝利のマイクを握りながら上谷は泣いていた。 「でも、今日、お前のすべてを奪ってわかった。私はお前のことが大好きだ。プロレスを始めた時、真っ暗で生きる希望がなかった私に、希望の光をくれたのはたむだった。私が真っ黒に染まった時もずっと信じてくれたのは中野たむ、あんた一人だけだった。私にとってあんたは光り輝く一番星だよ」 「汚い顔」と中野は上谷を見た。 「上谷さ。不器用すぎでしょう。愛を忘れたんじゃなかったんだね。たむはこんな不器用で、泣き虫で、メイクもおかしい後輩のせいで大変な思いをしたけれど、あなたがいたから、ここまで生きられた。戦えた。ごめんね。ありがとう。上谷、あなたはさ、これから中野たむの呪いを一生背負って生きるんだよ。ここにいるみんなもそう。全員、たむのことを一生忘れちゃだめだからね」  客席がどよめいた。上谷が叫んだ。 「背負うわけないだろ。バカ! ブス! オタンコナス! 腐ったミカン!」 「腐ったミカンはお前だ」と中野が返す。上谷は続ける。 「そんな重たいもの背負わすなってよ。でも、お前に出会えて私はここまで強くなれた」

「上谷さ、最後に一つだけ聞いてもいい? プロレスラーになってよかった?」 「もちろん」と上谷がうなずいた。「あんたに出会えて幸せだったよ。バーカ!」 「たむも宇宙一幸せなプロレスラー人生だった」  二人とも泣いていた。 「何もなかった私だけれど、ここまで戦うことができた。ありがとうございました」と上谷が言った。 「今日だけは一緒に帰らない?」と中野が誘った。 「最初で最後だな」と上谷が応じる。  二人は肩を組み、泣きながら、花道を歩んだ。 「たむ!」「中野たむ、やめるな!」「上谷!」という声が聞こえる。  中野たむというプロレスラーがこの日、リングを去った。


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 スターダムにやってきた頃は「この子、大丈夫か」と多くの人が思った。筆者も中野がここまでの存在になるとは思っていなかった。それがいつの間にか、「中野たむ、結構いいな」「中野たむ、すごいな」に変わっていった。 「宇宙一のスープレックス・マスターを目指しています」  そんなことを宣言するだけの技量が中野にはあった。中野の背中の筋肉はびっくりするほど発達していた。安定感のあるブリッジだ。だからジャーマンスープレックスもタイガースープレックスも力強く、美しい。 「宇宙一かわいい」という大好きなフレーズと、感情的で激しいファイト内容のギャップが魅力だった。コズミック・エンジェルズという中野のユニットもある。  この日も試合前、中野は普段と変わらない様子で控室前の通路に姿を見せていた。引退のかかったビッグマッチでも通常モードのようだ。

 まるでウェディングのような白いドレスで入場した中野。  対して、黒いドレスの上谷。ワールド・オブ・スターダム王座の赤いベルトもかけられている。  上谷はフランケンシュタイナーで中野を場外に落とすとチェーンを使った。テーブルに仁王立ちして観客にアピールした。  持っている技を競うように二人はぶつかった。キックを打ち合い、張り手の応酬で口の中は切れている。  中野はジュリアから赤いベルトを奪った2年前の横浜アリーナの記憶をたどるように、花道での長いランニングからヒザを繰り出した。  リング上で中野はバイオレットスクリュードライバーやトワイライトドリームという名のスープレックスも繰り出すが、上谷に跳ね返されてしまった。  上谷はコーナーに上がったが、フェニックススプラッシュを飛ぶのは躊躇した。スタークラッシャーでフォールにいったが、無理やり引き起こすと「永遠にさようなら」と両手をつかんでの蹴りを見舞った。だが、中野が粘りを見せると、とどめは中野が使うトワイライトドリームだった。  中野は3カウントを聞いてしまった。それは同時に「引退の3カウント」になった。  引退セレモニーも引退の10カウントもない、ということは試合前にアナウンスされていた。4月27日の横浜アリーナ、これがすべてだった。  敗れた中野の手はいつの間にか、隣に横たわったままの上谷の手を握っていた。

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