「最後の被爆地に」80年の節目に鳴り響く「長崎の鐘」…福山雅治さん作曲「クスノキ」児童ら合唱
長崎は9日、被爆80年の節目となる「長崎原爆の日」を迎えた。長崎市松山町の平和公園では長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれた。被爆者や遺族、石破首相のほか、94か国・地域の大使ら計約4045人が犠牲者を追悼した。被爆2世の鈴木史朗市長は「長崎平和宣言」で、世界各地での紛争激化に触れ、「このままでは、核戦争に突き進んでしまう」と危機感を示し、「『長崎を最後の被爆地に』するために、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くす」と述べた。
式典の開式を前に合唱を披露する被爆者ら(9日午前10時42分、長崎市の平和公園で)=代表撮影今年の式典には、昨年、パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを招待しなかったことをきっかけに欠席した核保有国の米国や英国などの大使も参列を予定。紛争当事国のロシア、ベラルーシが4年ぶり、イスラエルは2年ぶりに市の招待を受けて出席したほか、台湾が初めて参加した。一方、例年出席していた中国、ウクライナは欠席した。
原爆がさく裂した午前11時2分に平和公園内の「長崎の鐘」が鳴らされると、参列者全員で黙とうし、犠牲者の 冥福(めいふく) を祈った。
鈴木市長は平和宣言で、被爆者として初めて国連本部で演説した山口仙二さん(故人)や、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞したことに言及。「一人ひとりの力は小さくとも、結集すれば未来を切り 拓(ひら) く大きな力になる」と訴えた。
続いて、横浜市の西岡洋さん(93)が歴代最高齢の被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた。
平和祈念式典であいさつする石破首相(9日午前11時27分、長崎市の平和公園で)=若杉和希撮影石破首相は「原子爆弾の被害の過酷さを、決して風化させることなく、記憶として継承していかなければならない」とあいさつした。被爆医師として負傷者の治療に尽力した永井隆博士(故人)が残した言葉を引用し、「長崎と広島で起きた惨禍を二度と繰り返してはならない」と述べた。
また、当時、甚大な被害が出た長崎市立城山、山里両小学校の児童が、市出身の歌手・福山雅治さんが被爆樹木を題材として生命の尊さなどをテーマに作詞作曲した「クスノキ」を初めて合唱した。
今年7月末までの1年間に死亡が確認された3167人の名前を記した原爆死没者名簿3冊の奉安も行われた。1968年からの累計の奉安者数は20万1942人で、初めて20万人を超えた。
厚生労働省によると、広島、長崎で被爆し、全国の被爆者健康手帳を持つ人は今年3月末時点で初めて10万人を下回った。