「もう一度飲みたい」91歳で亡くなるまで晩酌続けた女性が「70代がん宣告」後に行った独自のリハビリ内容 胃を3分の2失ったが…「お酒を飲める身体に戻す」と固く決意
去年7月に、21万人のフォロワーをもつ大崎博子さんがご自宅で永眠された。美味しそうな「晩酌」投稿が人気だった大崎さんだが、実は70代前半でガンの宣告を受け、胃の3分の2を切除したという。それから約20年もの間、大崎さんが“心身の健康”のために続けてきたという「リハビリ」は予想外の内容だった――。
「ちょっと、2、3個、つまんで食べてみて。これね、昨日の“晩酌の友”! 牛肉に野菜をガバッと入れたらだしの素を入れて、簡単なのよ。ゴボウが美味しさの秘密。ゴボウをささがきにして入れるだけで、二味くらい変わっちゃうのね」
インタビューの終盤、大崎博子さんは冷蔵庫からラップに包まれた皿を取り出し、お菜を目の前に差し出してくれた。レンコンとゴボウ、ニンジン、ピーマンなどの色とりどりの野菜と牛肉を炒めた、ボリュームタップリのまさに“完全食”だ。
「晩酌の友達」とは毎日、「X」にアップする大崎さんの夕食のこと。毎晩、晩酌を欠かさないから必然、その「友」となる。
撮影=林ひろし
大崎博子さん、当時91歳。練馬区にある都営住宅で一人暮らしを謳歌しながら、自らを「高貴香麗者」と称し、生活の端々を投稿。連日つぶやく「X」のフォロワー数はなんと、21万8000人。太極拳、麻雀、韓流アイドル、韓国ドラマなどへの手放すことのない好奇心と、凛と一人立つ、唯一無二の暮らしが多くの人を惹きつけていた。
私自身、会った瞬間、立ち姿に一瞬で魅了された。小柄で痩身、ピッタリとしたスキニージーンズに包まれた足は驚くほど細く真っ直ぐで、風になびく藤紫色の髪が美しく、スッと立つ確かな体幹に太極拳の鍛錬を思わずにはいられない。
きちんとした化粧、センスあるさりげないアクセサリーが、大崎さんが醸すキリリとした雰囲気によく似合っていた。サバサバとした口調にキッパリした動作、その全てに、依りかからず生きてきた「これまで」があった。
撮影=プレジデントオンライン編集部
64歳であけたというピアス。ご自宅にて。
乾杯の約束をして…
我々取材班が訪ねたのは、24年7月9日のことだった。大崎さんの手料理をいただいた感激に、「今度、絶対三世代(60代の私が娘、30代の編集者が孫)女子会に行きましょう! 乾杯しましょうね」と盛り上がり、活気に満ちた取材となった。
そのまさか約2週間後である7月23日に、大崎さんが永眠されるなんてことは、微塵も脳裏によぎっていなかった。近いうちに三世代女子会は行われるし、なんなら帰りに編集者と「大崎さんは絶対100歳以上、いや、もっとずっと長生きされるに違いない!」と確信に満ちた会話をして帰路に就いたくらいだ。得難いパワーを、たくさんいただき……。もちろん、そのパワーは今も胸にある。
いまだに突然の別れを信じられずにいるが、今は亡き大崎博子さんにお話いただいた、彼女の人生を追悼の気持ちとともに振り返りたい。
撮影=林ひろし
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シングルマザーとして、子育てと生活に追われていたら、40代はあっという間のように過ぎた。ようやく経済的安定を得たのは50歳のころだ。
大崎さんは50歳で、「衣装アドバイザー募集」という新聞広告を見て、履歴書を手に募集先の「八芳園」へと向かった。
「結婚式などの衣裳担当の募集でした。私は洋服も着物も好きだったから、これだと思ったの。ちょうどバブルの時期で、結婚式に何百万もかける時代でした。そのおかげだと思うけど、正社員で採用されて、ここから厚生年金もついてね」
八芳園での日々は、大変ながらも、すごく充実したものだったという。
「お嫁さんに打ち掛けを着せたり、衣装を畳んだりするのだけれど……全部がとても重くて驚いた。でも、それ以上にすごく楽しかった。華やかな喜びの場に接することができたのもよかったし、好きなことでお役に立つことができたから」
60歳で「八芳園」を定年退職した後は、別のホテルで「衣装アドバイザー」として週に3回、アルバイト勤務を続け、70歳まで現役で働いたという。
ようやくゆっくり老後生活を送れる……現役を退いた70代前半のある日、大崎さんは「胃」に違和感をもった。
胃がんが発覚。3分の2を切除
「いつものようにお酒を飲んでいたら、なんとなく胃が変だったの。それで医者へ行って、胃カメラをやったら、がんだった。ステージIのBだから、本当に早期だったのが幸いだったね。それで胃を3分の2、切除しました。あのときは娘が1歳の孫をおぶって、イギリスから来てくれたから……、18年か19年くらい前のことね」
がんの宣告を受け、病床で大崎さんが願っていたこととは――。それはおそらく、十中八九、誰もが予想しないことだった。
「固く決意したのは、もう一回、私は、私を、お酒を飲める身体に戻すぞ! ということ。お酒を飲んでいてがんになった場合、お酒を断つという人がほとんどらしいけれど、私はお酒を飲むことこそが回復のモチベーションだったの」