奇妙な性質を持つ新たな氷の相「柔粘性氷VII」の観察に成功 氷天体の進化に関与?
「水」は身近な物質の1つですが、その性質は未だに多くの謎に包まれています。例えば、高温高圧の世界でのみ存在する特殊な氷は何種類も存在し、その中には非常に奇妙な性質を示すものもたくさんあります。氷を大量に含む天体の内部には、そのような特殊な氷が自然に存在し、天体の性質に直接関わっているという説もあるため、正確な性質を知ることは重要です。
【▲ 図1: それぞれ左から液体の水、通常の氷、柔粘性氷における水分子の動き。液体では水分子そのものが自由に動きます。通常の氷の水分子は、その場で振動するだけで、位置や向きは固定されています。柔粘性氷は、水分子の位置は固定されながらも、その場で回転しているという特徴があります。(Credit: Maria Rescigno, et al.)】ローマ・ラ・サピエンツァ大学のMaria Rescigno氏などの研究チームは、新たな氷の相「柔粘性氷VII(Plastic Ice VII)」の合成と観察に成功したことを報告しました。柔粘性氷VIIは「柔粘性結晶(Plastic crystal)」の性質を示す氷としては初めて発見され、固体でありながら部分的に液体のような性質を持っているため、通常の氷とは異なる変わった性質を持つことが予想されています。
柔粘性氷VIIの実証は天文学的にも注目されます。例えば柔粘性氷VIIの性質が、木星の衛星「ガニメデ」と「カリスト」の内部構造に大きな違いを作った可能性があります。
「水」は温度と圧力で多様な性質を示す
「水」は身近な物質の1つであり、水は水素原子2個と酸素原子1個が結合した水分子で構成されています。そして、この水分子がどのように並び、どのように結合するのかによって、水の物理的な性質である「相」が変化します。多くの人が身近で目にする水の相は「0℃以下で存在する固体の氷」「0℃以上100℃以下で存在する液体の水」「100℃以上で存在する気体の水蒸気」の3種類でしょう。これは、水分子の並び方や結合の強さによって起こるもので、同じ水分子でできていても全く別の物質であるかのように振る舞います。
【▲ 図2: 縦軸を温度、横軸を圧力とした水の相図。通常の氷はIhですが、温度と圧力を変えると様々な結晶構造の氷が現れます。今回実験が行われた範囲は右上にあります。なお、実際にはこの図の外側だけでなく内側にも、この図には書かれていない結晶構造が見つかっています。(Credit: Thomas Loerting)】しかし、氷・水・水蒸気の3種類は、水分子が示す物性のほんの一例です。温度を変えるだけでなく、大気圧よりずっと高い圧力を加えることで、例えば100℃を超える温度で存在するような氷など、水分子は極めて多様な変化を示します。水の相が何種類あるのかは長年研究が進んでおり、実験によって存在が証明されているものに限っても、20種類を越える水の相が発見されています(※1)。理論的にはさらに多くの相が未発見のまま眠っているとされています。
※1…いくつかの水の相については、合成報告に反論や異論が示されており、決着がついていません。また研究者によって、ある相を1つの相として数えるのかどうかも立場が異なるため、一義的に「水の相は全部で何種類」と答えることは困難です。筆者が知る限り、論文による報告を単純に全て数え上げると、氷(固体)が28種類、水(液体)が2種類、水蒸気(気体)が1種類、超臨界流体が1種類の計32種類となります。
高温高圧でしか生じない氷の中には、非常に変わった性質を持つものがあります。その1つが「超イオン氷(超イオン水)」と呼ばれる氷です(※2)。通常の氷では、水分子を構成する原子の位置は固定されており、その場で多少振動はしても、大きく位置をずらすことはありません。しかし超イオン氷の場合、酸素原子が一定の配列を保ちつつも、水素原子は酸素原子から離れ、完全に自由に動く水素イオン(陽子)として振る舞います。
※2…「氷XVII(SI-fcc)」と「氷XX(SI-bcc)」の2種類。
酸素原子は固体・水素原子は液体のような振る舞いをすることから、超イオン氷は固体と液体の両方の性質を持つ氷(水)と捉えることができます。そして、光を通さない不透明な固体であり、非常によく電気を通し、力を加えれば割れずに変形するなど、超イオン氷は一応氷であるにも関わらず、まるで金属のような性質を示します。
柔粘性結晶を示す「柔粘性氷」とは
では、原子が動かない普通の氷と、一部の原子が自由に動く超イオン氷の間に、中間的なものは存在するのでしょうか?
このような中間的な性質を持つ物質相は、一般的に「柔粘性結晶(Plastic crystal)」と呼ばれます。英名はプラスチック・クリスタルですが、これは日本語で連想されるような合成樹脂とは無関係であり、もちろん結晶性樹脂とも関係ありません。ただし、プラスチックの名前の由来は、力を加えると割れずに変形する性質である「塑性」を意味する「plasticity」に由来し、柔粘性結晶は塑性を持つことから、力を加えた時にプラスチックのように変形する、というイメージを持つことまでは間違いではありません。
普通の結晶を分子単位で見ると、分子の位置と向きが一定の規則で並んでいます。しかし柔粘性結晶の場合、分子の位置こそ規則的ながらも、向きは定まっておらず、その場で回転しています。この場合、分子の位置がきれいに揃っているという、結晶としての性質は保ちつつも、分子同士の結合は弱くなるため、力を受けると割れるのではなく変形します。これが柔粘性結晶が塑性を持つ理由です。
普通の氷は、水分子の位置も向きも固定されているため、水素原子も動いていないと見なすことができます。逆に超イオン氷では、水素原子は酸素原子を離れて自由に移動します。もし、柔粘性結晶の性質を持つ氷の「柔粘性氷(Plastic ice)」があるならば、水分子はその位置から動かないものの、向きまでは固定されず、その場で回転していることになります。
これは、水素原子がある程度自由に動いているという点で普通の氷よりは自由度が高い一方、酸素原子から離れることはできないため、超イオン氷よりは自由度が低い、と見ることができます。柔粘性氷が普通の氷と超イオン氷の間に位置すると言われるのはこのためです。あるいは、超イオン氷が固体と液体の両方の性質を持つならば、柔粘性氷は部分的に液体の性質を持つ固体である、ということもできます。
柔粘性氷の存在は、以前からコンピューターシミュレーションを通じて示唆されており、今回の研究対象となった相も2010年前後には予測されていました。しかし、水分子の回転による水素原子の位置の変化は1兆分の1秒単位で進行するため、これを正確に捉えることが困難でした。
水分子の中における水素原子の位置のようなものを捉えるには、中性子を照射し、中性子の運動方向や速さがどのくらい変化するかを捉える手法(中性子準弾性散乱)を使うことが一般的です。しかし、柔粘性氷が生じると予測されるのは高温高圧の世界であり、実験室で作り出せる氷のサンプルはとても小さくなってしまいます。サンプルが小さいと、照射した中性子の動きの変化も小さくなってしまい、水素原子の位置による変化なのか、その他の影響による変化なのかを区別するのが難しくなります。これが柔粘性氷の実証を難しくしていました。
初の柔粘性氷「柔粘性氷VII」の観察に成功
【▲ 図3: 今回の研究で使われた実験装置のひとつ、飛行時間スペクトロメーターの「IN5」の内部。(Credit: l'Institut Laue-Langevin)】ローマ・ラ・サピエンツァ大学のMaria Rescigno氏などの研究チームは、この難題に対処するため、中性子に関する研究で有名なフランスのラウエ=ランジュヴァン研究所にある2つの装置による実験測定を行いました。2つの装置は、飛行時間スペクトロメーター「IN5」と「IN6-SHARP」であり、体積が小さな高圧の氷でも十分な精度で測定を行うことができます。
Rescigno氏らは、高温高圧を作り出すことが可能なダイヤモンドアンビルセルを使い、水を180~330℃(450~600K)の温度と1億~60億Pa(1000万~6億気圧)の圧力の下に置いた後、中性子を照射することで、1兆分の1秒単位で水素原子の位置の変化を調べました。これまでの実験では、この温度と圧力の付近では「氷VII」という高温高圧で現れる氷の結晶か、もしくは液体の水になるかのどちらかが現れることが知られています。もし、理論的に予測された柔粘性氷が生じるのならば、それは氷VIIの結晶構造を持ちつつも、水素原子は液体のような挙動をしていることが観察されるはずです。
【▲ 図4: 今回の実験範囲の水の相図。今回の測定で実際に柔粘性氷の性質が確認された温度と圧力を緑色の丸印で表している。緑色に塗られた領域は柔粘性氷VIIが存在すると予想された範囲。(Credit: Maria Rescigno, et al.)】実験によって得られた測定値と、それに基づくコンピューターシミュレーションを合わせた結果、柔粘性氷を示すデータを得ることに成功しました。この新たに観測された相は、氷VIIとの類似性から「柔粘性氷VII(Plastic Ice VII)」と名付けられました。柔粘性氷が実在することが確認されたのは今回の研究が初めてです。
しかし、事前の予測とは異なる性質も見つかりました。事前の予測では、水分子はどの方向にも自由に回転していると考えられていたのに対し、実際の柔粘性氷VIIでは回転方向にある程度の制限があり、その制限の中でランダムに方向が選ばれていることが実験観察により明らかとなりました。これは多数の分子の相互作用を取り扱うコンピューターシミュレーションの限界を示す一例であり、実証実験が大事なことを示しています。
柔粘性氷は、氷天体の進化に関わっているかもしれない
柔粘性氷VIIの合成により、水分子も柔粘性結晶を作ることが確認されたのはとても興味深いことです。先述した通り、柔粘性氷は普通の結晶の氷と超イオン氷の中間的な性質を示しています。今回は普通の氷の結晶と液体の水の間にある柔粘性氷の発見となりましたが、将来的には普通の結晶の氷と超イオン氷の間に、新たな柔粘性氷が見つかるかもしれません。
また、意外なことかもしれませんが、柔粘性氷は氷を豊富に含む天体の進化に影響を及ぼす可能性もあります。今回柔粘性氷VIIが観察された高温高圧環境は、氷を豊富に含む天体の内部に発生することがあるため、柔粘性氷VIIが自然発生する可能性があります。この時、柔粘性氷VIIは通常の氷VIIと比べて保持できる熱の量が異なることが測定されており、おそらく硬さなどの他の性質も異なるものと予測されます。この違いによって、天体内部の環境が変化するものと予想されます。
【▲ 図5: ガニメデとカリストの予想される内部構造を表した図。ガニメデは層がはっきりと分かれている一方、カリストは曖昧であると考えられています。(Credit: NASA & JPL / 文字入れは筆者による)】このような物性の違いは、氷天体が形成される過程において、内部構造の進化に影響するかもしれません。例えば、木星の衛星の「ガニメデ」と「カリスト」は、氷と岩石の塊という同じような構成を持ち、少しだけ大きさが違う程度に関わらず、内部構造はかなり異なると推定されています。具体的には、ガニメデは金属の核・岩石のマントル・氷の外層と、はっきり層に分かれている一方で、カリストは核やマントルの構造が曖昧であり、内部は中心部に向かうほど岩石の割合が増える、氷と岩石の混合物でできていると推定されています。この内部構造の違いは、ガニメデとカリストのわずかな大きさの違いが、氷の物性の違いによって生じた可能性もあります。
高圧科学は天体内部の様子を観察できるため、惑星科学の分野とも密接な関係があります。また中性子による測定は、他の方法では詳細な測定が難しい水分子の詳細な測定に適しています。水分子は宇宙で3番目に多く存在する分子であり、天体を構成する主成分でもあるため、物性の正確な理解は欠かせません。しかしこれまで、高圧科学と中性子による測定は相性の悪さからほとんど実験が進められていませんでしたが、柔粘性氷VIIを観察した今回の研究により、天体内部への理解をさらに深めるための新たなアプローチが提案されたとも言えるでしょう。
ひとことコメント
不思議な名前をしているけど、単に新発見なだけでなく、変わった性質を持つ氷の相として注目される発見だよ!
文/彩恵りり 編集/sorae編集部