世界の水素事業からの「周回遅れ」に気がついていない東京都

エネルギーTokyo metropolitan government building featuring modern architecture under an overcast sky

CHUNYIP WONG/iStock

「東京は、水素でおもしろくなる。」

「この街を動かすエネルギーが、水素に変わってきています。誰もが、あたりまえに水素を使う。そんな日常が、すぐそこまで来ています。東京が水素シティになったとき、そこにはどんな景色があって、私たちはどんな夢を見るのでしょう。 (中略)世界に先駆けてあたらしいエネルギーを整備する街では、前例のないワクワクが次々と動き出します。あなたの毎日が、私たちの東京が、おもしろくなっていきます。」

との触れ込みで、東京都の「TOKYO H2」が始まった。

その手始めとして東京都は2030年度までに水素燃料電池タクシー600台の導入を目標に掲げたが、この件に関しては、杉山大志氏が早くも9月には既に非常に的確な批判記事を書かれている。

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本稿ではその点での重複を避けて各種の問題点を指摘したい。

24億円で年間20トン——グリーン水素の“超高コスト”

今後増大が見込まれる水素需要に対応するため、その需要地である都内での水素の地産を行う取り組みの一環として、都は大田区京浜島の都有地にグリーン水素製造拠点の施設整備を進めて、第1基目の水電解装置が完成し、去る10月23日には「東京都京浜島グリーン水素製造所」開所式も行われた。本事業では総設備費24億円で、年間20トン程度の水素製造を行うとされている。

私はこの数字を見て実に驚いた。年間20トン生産する設備が24億円とは・・。むろんこれは「第1基目」なので、今後さらに増設されるのだろうけれど。それにしても、化学プラントならば、よほど高価な物質を生産する施設でないと作れないはずだ。この場合、生産物はエネルギーとなる水素なので、かなり安くないと間尺に合わないはずだが・・?

この24億円は初期設備費であり償却年数と年利に応じた年数割りになるが、実際にはこの設備償却費の他に水素製造用の電力費や人件費、各種維持コストなどがかかる。水素1トン当りの原価が本当はいくらになるのやら、見当もつかない。

仮に10年償却で無利子としても設備費は水素1トン当り1200万円、エネルギー換算すると石油トン当量で約420万円になる。今の原油輸入価格は1トン当り約10万円なので、40倍以上高い。しかもこの値は設備費だけでの値であり、実際には上記のようにその他の出費がある。つまり、経済的には実用性が考えられない事業であり、民間企業では決して実現できない。「お金持ち」の東京都だからこそ出来る事業なのだ。なぜ、そこまでして「水素」に執着するのだろうか?

水素を“エネルギー源”と誤解していないか

ここで改めて書くのも気が引けるけれど、やはり書いておかなければならない。それは、上記の文言にもある「エネルギー」という言葉の意味についてだ。この言葉には二つの意味があり、一つは「源」、専門用語では「一次エネルギー」であり、もう一つは「源」から製造された製品、あるいは「媒体」、つまり「二次エネルギー」である。

前者としては、化石燃料(石油・石炭・天然ガス)と原子力、あとは自然エネ(水力、風力、太陽光、地熱等)の3種類しかない。どんなエネルギー統計を見ても、当然ながらこの3種類しか載っていない。

片や後者としては、各種石油製品(ガソリン、軽油、重油等)や都市ガス、そして重要なものとして電力が含まれる。水素もこの部類に属し、必ず何かから作られる「二次エネルギー」である。

しかし上記東京都による文言においては、それが明確でない。何か新しいエネルギー「源」が出現したかのように書かれているからだ。しかし実際には水素は二次エネルギーで、電力やガソリン等と同等のエネルギーである。

とすれば、上記文言中の「水素」を全部、「電力」や「ガソリン」等で置き換えても同等のはずである。それで読み替えたら、変な気分になると思う。あたりまえに「電力」を使う、それで前例のないワクワクが次々と動き出す・・? 東京が、そんなにおもしろくなっていく・・?

電力なら発電所で作られるから、電力供給問題と言えば誰でも「電源はどうするの?」と聞くはずだ。水素でも同じ理屈で、誰でも「水素源は何?どうやって水素を作るの?」と聞かねばならない。ところが、水素では「源」が問われる場面が極度に少ない。これはどう見ても変だ。

要するに、水素「エネルギー」の意味を取り違えてはいませんか?と言いたいのだ。それが意図的なものか無知によるものかは別にして。TV番組やマスコミ記事などにおいても、水素をきちんと二次エネルギーあるいはエネルギー媒体と捉えて紹介されているものは少ないのが現状だ。まずは、水素が「何から作られるのか」を明確にしなければならないと言うのに。

グリーン水素の致命的な効率問題

今回の東京都の水素は「グリーン水素」と呼ばれる。水を電気分解して作るので、水素製造過程でCO2を出さないからだ。

一方、今世の中に出回っている水素の大部分は、メタンなどの炭化水素を水蒸気改質して作られたものなので、製造時に燃やした時と同じ量のCO2が出る(それで以前はブラック、最近ではグレー水素と呼ばれる)。

故にそのまま使うのでは「脱炭素」にならないので、CCS(CO2の固定と地下貯留、あるいは再利用)などのワザを使う必要がある(その場合にはブルー水素と呼ばれることが多い)。今でも「INPEX、『エコ水素』の実証設備 製造時のCO2は地中に埋める」などの記事が出る理由もそこにある。

しかし同じ「製造時のCO2は地中に埋める」ならば、石炭や天然ガスを燃やして出てくるCO2を地中に埋めても同じはずだ。石炭火力発電所でCCSを使えば、それこそ「エコ」ではないか。

化石燃料から水素を作るにはエネルギーの損失が必ずある。だから化石燃料を直接燃やせば良いのに、なぜ、そんなに損してまで水素を作る必要があるのか、合理的な説明は困難だ。

片やグリーン水素では、上記のように水の電気分解で水素を製造するのでCO2は出ない。しかし、水素製造のために同じ二次エネルギーである電力を使うと言う点が致命的だ。これで作られる水素は従って「三次」エネルギーになってしまう。当然、元の電力より高いものになってしまう。

しかも、水素はそのまま燃やすか、燃料電池を使って電力に変換して使うのだが、燃やして使うのは効率が低いし、電力に変換するのでは何をやっているのか分からない。元の電力を直接使えば良いからだ。電力→水素→電力がバカげていることは、子供でも分かる。

電力貯蔵手段としても、水素は効率が悪い。電気分解60%、燃料電池60%の効率なら、総合効率は0.6×0.6=0.36つまり36%に落ちるし、燃やしたら効率40%程度なので総合効率は24%になってしまう。貯えたら電力が1/4〜1/3に減る蓄電池なんて、誰も使うはずがない。

要するに、電気設備が普及している大都会東京で、わざわざ電力を費やして水素を製造する意味は、どこにも見出せない。単なるエネルギーとお金の無駄である。

なぜ、そうしてまで水素にこだわるかと言えば、燃やしてもCO2が出ない、出るのは水だけと言う、この1点に尽きると思う。アンモニアを燃やすのも同じ発想だ。しかし電力ならば、使っても水さえ出ないし、各種機器をそのまま駆動できる。絶縁さえしっかりやれば爆発等の心配もなく安全に使えるし、電線1本で輸送も簡単にできる。

二次エネルギーとして比較した場合に、水素と電力では比べ物にならない。圧倒的に電力が有利である。電力の弱点は貯蔵が難しい点だけだが、それらは電力負荷配分・平準化技術その他、今後の電気技術の進歩でかなり克服できると考えられる。貯蔵可能の一点だけで水素・アンモニアを使うのは説得力に欠ける。

世界的に水素プロジェクトが頓挫する理由

既に杉山大志氏が今年7月に書かれたように、水素関連プロジェクトは世界中で頓挫している。欧州で8件、米国で3件、アジア太平洋で7件、ラテンアメリカで1件が確認されたとある。理由は様々挙げられているが、根本的には、政府の支援込みでも採算が合わない、ということだそうだ。

水素案件が世界中で頓挫している

水素が「筋の悪い」エネルギーであり、経済性が成立する見込みはないことは、この連載でも松田智氏が何度も説得的に述べていた。 水素は失敗すると分かっているのに… 水素先進国が直面する種々の現実的困難と対応 vs. 日...

今回の東京都の例も、ほぼ同じだと思う。上記したように、設備費だけでもとんでもなく高価で、採算などとても取れそうになく、単に税金のたれ流しに終わる公算が高いからだ。まさに「世界の周回遅れ」事業と言える。

今の水素供給の二大方式(化石燃料の水蒸気改質と水の電気分解)では、上記のような本質的な困難があるため、今後とも採算がとれる見込みはないと私は思う。

残るのは触媒を使って太陽光で水を分解する方式だが、これはまだ効率が低すぎて実用化には遠い。もし供給可能になったとしても、その水素をエネルギーとするには燃やすか燃料電池を用いるから、その分の効率低下を見込んで、太陽電池より高いエネルギー変換効率を求められるので、実用化へのハードルは更に高くなる。むしろ、化学原料として水素を用いる場合の供給方法としての意味に重点が置かれるだろう。

私は2016年に英語論文を書き、二次エネルギーとして水素が使われる社会はやって来ないと予言した(pdf添付参照)。

The Feasibility of a “Hydrogen Society”

あれから10年近くが過ぎたが、世界は正にその通りに推移している。せっかく英語で書いたのに、残念ながら私の論文は世界の人々の目に多くは触れなかったらしい。各国の政策立案者があれを読んでいたら、こんなにも世界的な水素ブームなど起きなかったはずだと思うからだ。

しかし一方で、人為的CO2温暖化説の「信仰」があまりにも広がってしまったので、燃やしてもCO2が出ないという水素の魅力に抗しきれなかったのかも知れないとも考える。もしそうであったとしても、電力は使用後にCO2もH2Oさえも出ないのだから、二次エネルギーとして水素と電力のどちらが優れているか、くらいは考えるべきだったろうに、とも思う。

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