米ボイス・オブ・アメリカ存続の危機 喜ぶ中露が米の穴を埋める サンデー正論

1942年に創設された米政府系メディアの「ボイス・オブ・アメリカ(VOA)」が閉鎖の危機にひんしている。3月14日にトランプ大統領がVOAを所管するグローバルメディア局(USAGM)の規模縮小を求める大統領令に署名。翌日にはスタッフ約1300人に即時休職が伝えられ、VOAは休止状態に追い込まれた。「米国のプロパガンダ機関」としてVOAを目の敵にしてきた中国など権威主義国家は休止を歓迎している。

「この約80年の間、ナチス・ドイツ、ソ連共産党、中国共産党、タリバン、アルカーイダがVOAを壊したがった。恐らく北朝鮮もそうだ。外部から壊せなかったが、米国の内部から壊されてしまった」

3月15日以降、更新されていないVoice of Americaのホームページ

VOAの東京支局長やホワイトハウス支局長などを歴任したスティーブ・ハーマン氏(65)は取材にこう語った。「誰も番組を制作できず、放送することができなければ、VOAは死んでしまう」。VOAのホームページは3月15日のままだ。

スティーブ・ハーマン氏(本人提供)

ハーマン氏はVOAで最初に休職を伝えられた。2月28日、SNSの発信が内部調査の対象になっているとして即時休職の通知メールが届いた。通知は、2月12日の大統領令(「米国の外交は一丸で」)を引用しており、「大統領の政策を忠実に実行しなかったことは離脱を含む処分事由となる」とあったという。問題視されたのは、「USAID(米国際開発局)を廃止すれば、アメリカ人は国内外で安全でなくなる」と語ったNPO代表の発言をハーマン氏が2月7日のSNS「X」で発信したことだったとされる。

100カ国4億人超が視聴

USAGMの中核組織の一つであるVOAは1942年、ナチス・ドイツの宣伝工作に対抗するために米政府が創設した国際放送局だ。ホームページには「VOAは創設以来、包括的なニュース報道と真実を視聴者に伝えることに取り組んできた。第二次大戦、冷戦、テロとの戦い、世界中の自由への闘いを通じて、VOAは報道の自由の原則を実証している」とある。

ドイツのベルリンの壁崩壊には、自由や民主主義を象徴するジャズの番組を放送したVOAの貢献があったと語り継がれている。軍事力を使わずに文化などで他国の人々を魅了して味方に引き込む外交手段であるソフト・パワーの成功例とも言われる。

USAGM傘下には、VOAのほかにキューバ放送局(OCB)、非営利団体の「ラジオ・フリー・ヨーロッパ(RFE)」「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」などがある。全体で63言語で発信され、毎週100カ国以上で4億2000万人が視聴するといい、公的な国際放送局としては世界最大だ。

USAGMの予算は米連邦議会が決める。予算規模は毎年約9億ドル(約1356億円)で推移している。多言語での報道や発信は資金がかかる。民主主義や米国の価値観を世界に広めるという目的を掲げてきた米国だから可能だったといえる。

報道内容への干渉禁止

VOAは政府機関の一部ではあるが「官製メディア」ではない。米国際放送法(1994年)にある複数の規定は、VOAの報道内容などへの干渉を禁じる「ファイアウォール」と呼ばれ、ジャーナリズムの独立性を担保している。2020年にハーマン氏も関係したトランプ政権に対する訴訟でもその有効性は確認されたほか、政府が給料を支払っているからといって、記者には言論の自由を保障する合衆国憲法修正第1条の権利がないとみなすことは間違っているとの意見が判事から出ている。

第1次トランプ政権のもとでは、17年会計年度の国防権限法に盛り込まれたUSAGM改革でも、VOAや関連組織のジャーナリストの独立性を守る表現が堅持された。過去の司法判断やファイアウォールのほか、議会では超党派で支持を受けていることから、VOA側は第2次トランプ政権でも乗り切れるという自信めいたものがあったとみられる。だが今回は違った。

もともとあったVOAに対するトランプ氏らの不満に、富豪のイーロン・マスク氏率いる政府効率化省(DOGE)による財政改善の動きが加わったことで流れが変わった。実際、トランプ氏は3月25日、記者に米公共放送(PBS)や米公共ラジオ(NPR)への資金提供について問われ、「打ち切りたい。メディアは数多くある。税金の無駄遣いだ」と述べ、PBSなどは「不公平で、とても偏向している」と語った。

このような指摘に対し、ハーマン氏は「我々はバランスを取って、公平であることを義務付けられている」として、妊娠中絶やLGBTといった米世論を二分するようなテーマについては賛否両論を紹介してきたと反論。「納税者たちは、政府が資金を出しているのなら、そのメディアは政府の主張だけを流すべきだと考えるかもしれない。だが、政権が変われば以前の政権を支持していた人たちは不満を持つ。人々は願い事には慎重になるべきだ」と話す。

米国内でVOAなどを取り巻く状況を懸念する人は多くない。放送の恩恵を受ける視聴者が国外在住であることに大きく起因する。ハーマン氏は「我々の顧客層は国内にいないが、米国の納税者は出資者なんだからもっと関心をもつべきだ」と語気を強める。

一方で新たな戦いも始まった。ハーマン氏の同僚らが、トランプ氏がUSAGMのシニア・アドバイザーに指名したカリ・レイク氏らに対して、スタッフの復職などを含めて3月14日の大統領令前の状態に戻すことを求める訴訟を21日に起こした。

ウイグル弾圧伝え続け

VOAが休止状態となり、その存続が危ぶまれていることに小躍りしているのが中国だ。

3月17日の中国の環球時報は社説「〝噓の工場〟として知られるVOAはなぜ休止になったのか」を掲載した。「自由の道しるべと呼ばれたVOAはいまや自国政府から汚れた絨毯(じゅうたん)のように捨てられてしまった」「冷戦時代の手段だった〝認知戦〟は多くの問題があることがわかった今、VOAのような組織は今日の多極化世界で存在すべきでない」などと断じている。

RFAは、中国政府が新疆ウイグル自治区に厳重警備の施設を設置し、ウイグル人やほかの民族を収容していることを世界で最初に報じた。ウイグル語放送を行う唯一のメディアとして、中国によるウイグル人弾圧を果敢に報じてきた。それだけに、ウイグル人救済のために活動する団体などは「トランプ氏の大統領令は新疆ウイグル自治区やほかの権威主義が支配する地域で中国の弾圧を告発する唯一無二の声を沈黙させるものだ」と批判している。

中国の反応についてハーマン氏は「我々の存在が効果的だったことを示している」と語る。その上で「我々がなくなった後の穴は、中国の声やロシアの声が埋めることになるだろう。悲しいことに、世界中の多くの場所では、VOAが特定の言語でタイムリーに正しい情報を伝える唯一の放送局なんだが…」と悔しさをあらわにする。

昨今は問題が多いとはいえ、報道の自由は民主主義の根幹をなす。そこが日米欧と中国のような権威主義国家との違いだったはずだ。しかし、民主主義を維持するためのコストを選挙で選ばれた指導者が否定する事態が起きている。有権者の選択の結果だから当然だと言われれば返す言葉がないが、中長期的に見た場合、誰が得をすることになるのかを考えなければ取り返しのつかないことになる。

(特任編集長 田北真樹子)

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