低所得のアーティストが「毎月約16万円のベーシックインカム」を無条件で受け取る実験で起きた変化とは?

サイエンス

音楽家や小説家、イラストレーターといったアーティストの中には生活が苦しい人も多く、本業やアルバイトと掛け持ちしているケースも多々あります。そんな低所得のアーティストが、毎月1000ドル(約16万円)のベーシックインカムを受け取ったらどのような変化が起きたのかについて、アメリカ・インディアナ大学の研究者らが報告しました。

Testing the empirical validity of the work preference labor supply model: evidence from a guaranteed income program for artists in New York State | Journal of Cultural Economics | Springer Nature Link

https://link.springer.com/article/10.1007/s10824-026-09594-0

We studied what happened when financially struggling artists received $1,000 a month, no strings attached, for 18 months

https://theconversation.com/we-studied-what-happened-when-financially-struggling-artists-received-1-000-a-month-no-strings-attached-for-18-months-280799

Do artists work less when handed free money? This study says no

https://www.scienceofmoney.org/when-the-rent-is-covered-do-artists-make-more-art-a-new-york-experiment-offers-a-663/ 標準的な経済モデルに基づけば、人は低賃金よりも高賃金の仕事を優先し、仕事と余暇のバランスを取ると想定されています。ところがアーティストは、たとえ選択肢となる別の仕事の方が高収入であっても、あえて経済的に不安定なクリエイティブ系の仕事に就くケースが多々あります。

こうしたアーティストの選択を説明する理論として、1994年に経済学者のデヴィッド・スロスビー氏が提唱した「work-preference model(仕事選好モデル)」があります。仕事選好モデルでは、アーティストはクリエイティブな仕事から金銭的収入だけでなく、経済学者が「精神的収入」と呼ぶ一種の満足感を得ているとされています。そのため、アーティストはしばしば低賃金であってもクリエイティブな仕事を選び、生活費をまかなうために別の仕事を掛け持ちする場合があるとのこと。 スロスビー氏は、「アーティストは生活費をまかなう必要がある限り、希望よりも多い時間を非クリエイティブな仕事に費やすが、十分な収入によって金銭的プレッシャーが緩和されれば、たとえ報酬が少なくてもクリエイティブな仕事に費やす時間を増やす」という予測を立てました。しかし、この考えを検証するために行われた研究の多くはアンケート調査に依拠しており、アーティストの実際の行動を調べたものはほとんどないそうです。

今回、インディアナ大学公共環境問題学部のジョアンナ・ヴォロンコヴィチ准教授らの研究チームは、アメリカ史上最大規模のアーティスト向けベーシックインカムプロジェクトである「Guaranteed Income for Artists initiative(アーティストのための所得保障制度)」のデータを利用して研究を行いました。 このプロジェクトでは2022年6月から18カ月間にわたり、ニューヨーク州全域に住む2400人のアーティストに対して月1000ドル(約16万円)のベーシックインカムを、用途やクリエイティブな活動への要望などをまったく指定せずに支給しました。応募資格は芸術活動に従事していることの証明と、ニューヨーク州在住であること、そして所得が特定の基準を下回ることなどでした。 研究チームはプロジェクトに参加したアーティストと、プロジェクトの抽選に応募したものの外れた対照群のアーティストを比較して、ベーシックインカムが芸術活動や全体的な収入にどのような影響を与えたのかを調査しました。プロジェクトに応募したアーティストはさまざまな条件が似ていることから、後に生じる差が「ベーシックインカムの有無」に起因するものだと考えられるとのこと。 分析の結果、ベーシックインカムを受け取ったアーティストはそうでないアーティストと比較して、芸術活動に費やす時間が週あたり約3.9時間多く、非クリエイティブな仕事に費やす時間が週あたり約2.4時間少なくなりました。ベーシックインカムを批判する人は、「受給者があらゆる仕事への意欲を失う」と主張しています。ところが今回の結果は、アーティストは生活のために行っていた仕事の時間を減らし、代わりに芸術活動に取り組む時間を増やすことで、総労働時間はむしろ増加したことを示しています。 収入に目を向けると、ベーシックインカムを受け取ったアーティストの総収入額は、年間平均で約1万1600ドル(約180万円)減少しました。これは、ベーシックインカムで受け取る年間収入の1万2000ドル(約189万円)とほぼ同額であり、アーティストが全体的な収入を保ちつつ労働内容を再編成し、本当にやりたい仕事に充てる時間を増やしたことを示唆するものです。

なお、研究チームは今回の結果を解釈するにあたり、慎重な姿勢を見せています。アーティストの収入はそもそも変動が大きく、数件の依頼が入ったかキャンセルになっただけで、年間収入が劇的に変動する場合があります。また、プログラムが新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が終息しつつある時期に行われたため、生活を立て直そうとする試みが結果に影響を及ぼした可能性もあるとのこと。 その上で研究チームは、「毎月の現金給付はある種の仕事を減らす一方で、別の種類の仕事を増やす可能性があります。生活費を稼ぐために行っているアルバイトの収入は減るかもしれませんが、意義のある仕事や社会的に価値のある仕事、あるいは自分自身を支える仕事に費やす時間を増やすことができます。このプログラムに参加しているアーティストにとって、月1000ドルの収入は休暇や怠けるための資金ではありませんでした。それは、彼らが何より大切にしている仕事に費やす時間を得るための資金だったのです」と述べました。

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