柿谷曜一朗「天才と言われるのは嫌でした」 ジーニアスの愛称も…現役引退会見で号泣
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2024シーズンをもって現役を引退した元日本代表FW柿谷曜一朗が1月23日、古巣セレッソ大阪の本拠地であるヨドコウ桜スタジアムで引退会見を行った。「ジーニアス」のニックネームでファンから愛されたが「天才と言われるのは嫌でしたね」と本音。途中で涙が止まらなくなり、言葉に詰まる場面もあった。
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会見場には所属したC大阪、バーゼル、徳島ヴォルティス、名古屋グランパスのユニフォームを着た柿谷が彩られたパネルが用意された。「サッカーに対する熱が冷めたわけではないけど、新しいステージに立ってみたい、挑戦してみたいというのが数年前からあった。いくつかオファーはあったけど中途半端にプレーするのは違うと思って引退を決めるしかない」と引退の理由を語った。
また「ジーニアス」の愛称について聞かれると、「今日は最後なのでカッコつけることなく喋りますし、辞めてくれと。これは本音です。天才と言われれば言われるだけで普通のプレーをミスするとダメージがでかい。すごく嫌でしたね。ただ自分ではそういうプレーしようと思っていなかったし何かを考えてプレーしたわけではなく、気が付けばそのプレーになっていた」と明かした。
「何かやると天才だと言われてしまうので嫌やった。僕はもともとサッカーをうまい選手ではなかった。これを言うとそうじゃないと言われる。技術は乾(貴士)くんとか(香川)真司くんとかとレベルが違う。僕は運動神経が良かった。
ミスがミスじゃないようにするとミスじゃなくなる。相手にミスしたと思わせればミスを生かせる。こういうプレー見せたいというのは正直なくて子どもたちに帰りに柿谷のプレーなんやったん!? と思い出してもらえたらいいなと思ってやっていたので、天才と言われるのは嫌でしたね」
柿谷はアカデミー時代から才能を開花させ、C大阪U-15、U-18を経て2006年にデビュー。2009年からは徳島に期限付き移籍し、2012年にC大阪に復帰すると、2013年は21ゴールをマーク。2014年7月にスイス1部バーゼルに移籍し、同年のブラジルW杯に臨む日本代表メンバーに選出され、2試合に途中出場した。
バーゼル時代にはUEFAチャンピオンズリーグ(CL)に3試合出場。日本代表としては国際Aマッチ18試合5ゴールをマークした。2016年にC大阪に復帰し、2021年に名古屋へ完全移籍。2023年には12年ぶりに徳島に加入していた。昨季はJ2リーグ29試合に出場したが、11月にクラブから契約満了が発表されていた。
今後については「サッカー系の文化人として幅広く活動していけたら。今までの経験を幅広く伝えていけたらと思います」と言及。さらに名古屋移籍後の2021年、ルヴァンカップの決勝でC大阪と対戦したときの思い出について語ると、「やば、泣きそうになってきた」とハンカチを取り出して涙を拭っていた。
(FOOTBALL ZONE編集部)
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