ダーウィンも見つけられなかった「幻の巻き毛ウマ」は実在した

巻き毛のアルゼンチン・クリオージョ種。(Photograph By Andrea Sede)

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 荒涼という言葉はこの場所のために作られたのかと思うような景色が広がるアルゼンチン、リオネグロ州のソムンクラ高原で、獣医のヘラルド・ロドリゲス氏は静かに草を食む一頭のウマを見つけた。乾ききったこんな陸の孤島にウマがいるだけでも奇妙なうえ、氏がそれまでに見たどのウマとも違っていた。巻き毛だったのだ。

 当初ロドリゲス氏は、そのウマは病気になっているか、汗をかいているだけだと考えた。しかし、ガウチョ(南米のカウボーイ)が驚くべきことを教えてくれた。干ばつや火山の噴火などで数が減る前は、このような巻き毛のウマがよく見られたという。(参考記事:「時代を先取り?くるくる巻き毛の動物たち 4選」

 このウマに夢中になったロドリゲス氏は、売ろうかと言われてイエスと即答した。妻のアンドレア・セデ氏も同じで、すぐにこのウマと心を通わせた。「この子と会ったときのことは一生忘れません。ずっと一緒にいたかのように、私たちに近づいてきたのです」

 そのとき、巻き毛のウマの群れを作りたいという夢が二人に生まれた。約20年経った今、ロドリゲス氏とセデ氏の元には、巻き毛のウマが40頭いる。この品種で唯一の群れだ。

 この巻き毛のウマからは、パタゴニアの自然史の興味深くて意外な部分が垣間見える。

 チャールズ・ダーウィンがビーグル号で南米を航海したとき、この地域の動植物を綿密に記録したが、巻き毛のウマはダーウィンの目すら逃れていた。このウマの噂は聞いていたものの、ダーウィンには見つけられなかったのだ。(参考記事:「ダーウィン「ビーグル号航海記」の聖地巡礼と自然保護の船旅へ」

パタゴニアの巻き毛ウマの起源

 なぜアルゼンチンに巻き毛のウマがいるのか。それを理解するには、数世紀前、スペイン人が南北米大陸に初めてウマを持ち込んだ時期までさかのぼる必要がある。(参考記事:「最も古い乗馬の証拠が見つかる、ヤムナ文化の勢力拡大に貢献か」

 1535年、コンキスタドール(新大陸へやってきたスペイン人征服者)のドン・ペドロ・デ・メンドーサは、リオ・デ・ラ・プラタ地域(一部は現在のアルゼンチン)に植民地を設立するという任務をたずさえ、入植者と兵士、そして100頭のウマを連れて大西洋を渡った。そこには、作業用のウマも、スペインの都市カディスの厩舎から連れてきた高級軍馬も含まれていた。

 6年後の1541年、この地域のブエノスアイレス入植地が、植民地支配に抵抗する先住民部族によって焼き討ちされ、破壊された。スペイン人たちは、12頭から45頭のウマを含む所有物を捨てて逃げ去った。このウマたちは生き延び、アルゼンチンの広大な草原パンパを自由に走り回ることになった。

「逃げたウマたちは環境に適応し、驚くほど数を増やしました」。国際巻き毛ウマ団体(ICHO)の調査部で副議長を務めるミッチ・ウィルキンソン博士はそう話す。「その子孫は数十万頭の野生のウマの群れとなり、『バグアレス』と呼ばれています」

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