「朗希とまた野球をしたい」ドジャース・佐々木朗希23歳が、交通事故に遭った友人に送った“あるメッセージ”…小学生からのチームメイトが明かす秘話(Number Web)

 高校最後のゲームとなった、花巻東との県大会決勝。ベンチで仲間を鼓舞しながら、今野聡太は冷めていく自分の気持ちに気がついた。4回戦で、自分が試合中に肉離れをしたことは受け入れるしかない。だが佐々木が登板せず、打席にも立たないという監督の判断には疑問を抱いた。 「全力で勝ちに行ってるのかな?」  試合前後に説明がなかったこともあり、もどかしさは引退後も尾を引く。ケガが長引いたこともあり、関東で野球を続けるという目標はあきらめ、県内の盛岡大学に進んだ。野球への情熱はすっかり冷め、前々から興味のあったダンスサークルに入ったが、「やっていたのはブレイクダンス。これは違うなと思って、すぐやめました」。それからはもう目的もなく、ただキャンパスに通うだけの日々を過ごしていた。  そんな今野を交通事故が襲う。 「1年生の前期テスト1週間くらい前、大学近くの横断歩道で軽自動車にはねられて、頭部を打ったんです。そのときは断片的な記憶しかなくて、気がつけばヘリコプターで花巻の病院に運ばれていました」

 幸いにも一命を取り留め、寝たきり生活も免れたが、入院生活は3カ月弱続いた。その中で悟ったことがある。 「人生はいつ終わるかわからないんだ。それなら、今日が最後の一日だと思って、悔いの残らない人生を歩みたい」  そしてこのとき頭に浮かんだのは野球、高校最後の夏で嫌いになったはずの野球だった。自分にはつくづく野球しかない、そう思い知らされた。  医師から激しい運動を禁じられていたが、退院後、今野は黙々と身体づくりを始めた。ひとり暮らしの部屋で、ダンベルや懸垂に取り組む。ドクターストップがいつ解けるかわからなかったが、今日が最後の思いでトレーニングに打ち込んだ。  幾度となく検査をくり返して、2年生になったある日、ついに野球への許可が出る。3年生になったタイミングで入部すると、すでに「佐々木朗希の同期がいるらしい」という噂が流れていたため、同期や先輩から「待っていたよ」と歓迎された。小学生のころから同じチームで野球を続けてきた佐々木に、野球をふたたび始めたことを伝えると、「がんばってや」というメッセージが届いた。


Page 2

「長く野球から離れていたのでちょっと変な感じですし、肉離れもまだ完全に治っていませんけど、自分がやりたいものに打ち込めている喜びはありますね」  セレクションを採用していない盛岡大は現在、所属する北東北大学リーグで最下位に低迷中。部員が36人と少ないこともあって、“3年生の新入部員”には、代打のチャンスが頻繁にめぐってくる。 「チームは降格の危機に直面していますが、自分が加わったからには1部残留に貢献したい」と意気込んでいる。  今野は燃え尽きることなく終わってしまった、高校時代のもどかしさを大学野球で燃焼させようとしているのだろうか。いや、そうではなかった。  意を決したかのように、今野が静かに口を開く。

「朗希とまた、野球をしたいんです。はい、プロに行きたいということです。対戦しても面白いと思うし、味方になる状況を想像しても鳥肌が立ってきて」  この思いは、両親以外のだれにも明かしたことがない。誕生日が一日違いで、いまでもプレゼントを贈り合う佐々木にも。  今日が人生最後の練習のつもりで――。  取材が終わり、今野は走り出した。照明設備もない、いびつな形のグラウンドへ。最後の夏は、まだ終わっていない。《ノンフィクション第1回、第2回も公開中です》

(「Sports Graphic Number More」熊崎敬 = 文)

関連記事: