朝鮮学校「フルオープンに」 東大阪で一般公開授業や初のランチ交流
大阪府東大阪市の東大阪朝鮮初級学校で19日、授業の一般公開があり、初の試みとなる「ランチ交流会」も開かれた。公開授業はコロナ禍の中断を経て2025年に再開し、広く一般に呼びかけるのは初めて。同校の創立80周年記念事業の一環で、地域住民ら約130人が訪れた。
同校には東大阪市や八尾市、奈良県などから在日朝鮮人の小学生55人、付属の幼稚班に19人が通う。小学生の教室では、朝鮮語や日本語、朝鮮史などの授業が公開された。
1年生の国語(朝鮮語)の授業。歌に合わせてハングルを楽しく学んだ=2026年9月19日午前9時50分、大阪府東大阪市寺前町2丁目、宮崎亮撮影続いて、ドキュメンタリー映画「声よ集まれ」が上映された。高校無償化から外された朝鮮学校を支える人々を描いた作品で、主な舞台となった滋賀朝鮮初級学校の元校長、鄭想根(チョンサングン)さん(68)のトークもあった。
「俺らのことわかってへんやろ」
東大阪朝鮮初級学校の韓成哲(ハンソンチョル)校長(49)から地域との関係づくりについて問われた鄭さんは「『支える』『支えられる』では上下関係になってしまう」と語った。
滋賀朝鮮初級学校では1995年から公開授業を続けてきた。日本人支援者が学校にかかわり始めた頃は、同胞の間にも警戒感があったという。
鄭さんも若い頃、支援者の日本人教員と酒を飲み、激しく議論をした。
「おまえら日本人なんて、本音のところでは俺らのことわかってへんやろ」。そう言うと、「おまえも日本人のことわかってへんやろ。俺らをひとくくりにするな」と返されたという。
交流を重ねるなかで、日本人支援者に感謝を伝える同胞も増えた。だが支援者からは、「ありがとうと言われる立場でもない。一緒に歩みたいんだ」という声も聞かれたという。
鄭さんは学校を「フルオープン」にすることも心がけた。朝鮮学校と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の関係や拉致問題などについても、「何でも聞いて」と来校者に呼びかけてきた。
本音で語り合い、違いを認める。「あなたが豊かになれば私も豊かになれる。私が豊かになれば、あなたも豊かになれる」。そんな関係づくりこそ、朝鮮学校が地域に開かれる意味だと鄭さんは語った。
鄭想根さん(右)と東大阪朝鮮初級学校の韓成哲校長=2026年9月19日午後0時30分、大阪府東大阪市寺前2丁目、宮崎亮撮影この日は来校者のうち約90人が日本人だった。トークの最後に韓校長は「きょうが始まり。何度でもウリハッキョ(私たちの学校)に来てください」と呼びかけた。
その後、東大阪朝鮮初級学校オモニ(母親)会が用意した冷麺やチヂミ、チャプチェなどの朝鮮料理を囲む交流会があった。約100人が参加し、学校運営や途中から入学した子どもへの朝鮮語教育などについて質問が続いた。
ランチ交流会。オモニ会から朝鮮料理の説明もあった=2026年9月19日午後0時48分、大阪府東大阪市寺前2丁目、宮崎亮撮影初めて朝鮮学校を訪れた大阪市の会社員、西岡学さん(47)はかつて学童保育の指導員を務めていたという。「子どもたちの表情が生き生きとしていて、先生たちも伸び伸びしているのに驚いた」と話した。
「教員も子どもも交流を」
大阪市立城北小学校教諭の西川亜津子さん(44)は、映画の中で朝鮮学校生が高校無償化除外に抗議してスピーチする場面が印象に残ったという。「当たり前の保障を受けるために、なぜお願いをしなければならないのかと思った」といい、「日本の学校と朝鮮学校は教員も子ども同士も、もっともっと交流できたらいい」と語った。
東大阪朝鮮初級学校アボジ(父親)会長の李誠珩(リソンヘン)さん(45)は自身も朝鮮学校を卒業し、いまは子どもを通わせている。朝鮮の歴史や文化、言語を学び、「朝鮮人として堂々と生きてほしい」との思いからだ。自らを知ることが他者を尊重することにもつながる、とも考えているという。
「子どもが将来どういう選択をするかわからないけど、民族のルーツを学んだうえで、日本社会に飛び立ってほしい」
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この記事を書いた人
- 宮崎亮
- 大阪社会部記者|平和・人権
- 専門・関心分野
- 子ども・若者・教育・人権・平和・核兵器