第18回・山田正雄の述懐「群れぬ男の心根」~~伝説のスカウト木庭教伝(木村公一)

 山田正雄は1986年にスカウトとして日本ハムに入団し、のちにゼネラルマネージャー(GM)や顧問を務めるなど、40年にわたってプロ野球の世界に生きてきた。 40歳でプロのスカウトの世界に飛び込んだ当初、球団幹部からは

「1年契約なんだから、いつクビになるか分からない。他のスカウトと群れるな。思い切ってひとりでやれ」と言われたという。その教えもあり、山田はスタンド上段で他球団のスカウトたちと群れることを避け、あえてバックネット前列に座ることが多かった。

 当時、広島東洋カープのスカウト部長を務めていた木庭教は、山田にとってはライバル関係であり、スカウトとしては大先輩にあたる存在だった。

 その木庭が、秋の大会などになるとコートを着て、山田の近くの前列にふらりと座ることがあった。

「よく見ていると、コートのポケットの中で手をごそごそ動かしているんです。他球団のスカウトがスタンドの上段で計測している中、木庭さんは他のスカウトに悟られないように、スピードガンを人目につかないよう隠し持って、ネット越しにこっそり球速を測っている。スタンド上段より前列の方が、球速表示もより正確に出ると知っていたからなんですね。周りをキョロキョロ見回しながら、何ともおかしな測り方をして、サッとバッグに仕舞い込んでスタンドを上がっていく。面白い人だなあ、と思いましたよ」

 ネット裏で他球団のスカウトたちと顔を合わせれば、木庭はいつも冗談ばかりを飛ばして周囲を煙に巻いていた。

「お前ら、あんな選手を一生懸命見たってしょうがないぞ」

「なんだ最後まで見るんか? 仕事熱心じゃのう。それだけええ給料貰うとるんか?」

 まるであまり仕事をしていないかのように振る舞い、軽妙な毒舌を口にする。だが、いざドラフトの核心になると絶対に本音を漏らさず、他人に相談することもなかった。

 そんな木庭が、ふとした瞬間に見せる孤独な一面を、山田は覚えている。 「木庭さんはスタンドでポツリと漏らすことがあったんです。

『ワシは子どもの頃から転校ばかりして、いろんな場所を転々としてきたからね、ふるさとがないんよ。土地に思い入れがないから、全国どこへでも行ける。人間関係でも、誰かと親友になってつるんで生きていく機会がなかったから、ずっとひとりで生きてきたんだ』と。あの飄々とした冗談の裏側に、どこか寂しげな一匹狼の影があった。僕自身、群れるのが嫌いな性分だったから、木庭さんのその孤独な佇まいに、たまらなく惹かれるものがあったんです」

組織の狭間で――同僚としての3年間

 木庭のスカウティングは、徹底した「個人主義」だった。 どれほど世間から粗削りだと評されようが、指導者や他球団が「性格に難がある」と敬遠しようが、己の眼が「この原石はいける」と見立てたら、一切の妥協なく獲りに行く。

「性格がワルだから敬遠しよう、と他人が言う選手ほど面白い。人間には生まれ育った環境がある。ワシだってそんな環境に育ったら悪ぶってみせるよ。それを頭ごなしに悪いと決めつけて切り捨てるのはかわいそうだ。プロ野球という厳しい世界に入って、多くのファンに見られながら揉まれれば、人間なんていくらでも真っ当に育っていくんだから」  木庭はそう語っていたという。

 広島時代、木庭がスカウト部長として結果を残し続けられたのは、球団トップの理解のもと、全責任を背負える裁量権が与えられていたからだった。現場の担当スカウトが「どうしても獲りたい」と惚れ抜いた選手なら、たとえ木庭自身が一度も見ていなくても指名枠を空け、「ダメだったらワシが責任を取る」と腹を括った。

 さらに山田によれば、木庭は身内のスカウト同士が仲良く馴れ合うことをよしとしなかったという。

「木庭さんは、球団の中でスカウト同士の仲が悪いのを面白がっていたところがありましたね。普通なら『お前ら仲良くやれよ』と間に入って宥めそうなものですが、木庭さんは違う。『どんどん喧嘩しろ、その代わり仕事の勝負で争え。競い合ってあいつよりいい選手を獲ってやるという意識があるから面白いんじゃないか』と。スカウト同士を競わせて能力を引っ張り出す。そういう組織の動かし方、リーダーシップのあり方も独特でした」

 しかし1987年秋にカープを退団した後の木庭は、球界に押し寄せていた「組織化」と「全体合議制」の波に直面することになる。 そして1995年、木庭はオリックスを退団し、日本ハムに編成部付の顧問として入団する。かつてネット裏で遠巻きに見つめていた大先輩と、山田はここから3年間にわたり同じ球団の同僚として関わることになったのである。

近代化するスカウティングと失われた「面白さ」

時代は1990年代から2000年代へと進み、ドラフト1位の契約金が高騰していった。巨額の資金が動く以上、球団としても「1人のスカウトの独断」に未来を委ねるリスクは冒せなくなっていく。 複数のスカウトが同一選手をクロスチェックし、採点表を突き合わせ、議論を重ねて合議を図る。さらにはトラッキングシステムやアナリストによるデータ分析が、編成会議の重要な指標となる時代が到来した。

山田自身、のちにGMとして球団の編成トップに立ち、まさにその近代的なシステム改革を推進した立場である。だからこそ、組織化の必然性と、その一方で薄れていった現場の醍醐味を客観的に見つめている。

「スカウト個人の仕事としては、昔のほうがずっと面白かったと思いますよ。いまは球団のシステムとして、クロスチェックを重ねてみんなで検討し、全員の総意として指名を決めていく。そのほうが球団としてのリスクは抑えられるし、個人に過度な責任が集中することもありません。ただその反面、『この選手は俺が見つけて、惚れ込んで獲ってきたんだ』というスカウト本来の張り合いや個人のこだわりは、どうしても薄れがちになってしまいますよね」

かつて渡辺秀武は、

「木庭さんにはプロ野球選手としての経験がなかった。細かな技術論が重要視される平成以降の時代になると、スカウティングの限界があったのではないか」

 と、語っていた。 だが、その問いに対して山田は異なる見方を示している。

「プロを経験した人間なら『あいつにフォームが似ているから、プロでこのくらいまで伸びるだろう』という比較対象が頭の中にあるのは確かです。でも木庭さんは、プロ未経験だからといって選手を測れなかったわけじゃない。信じられないくらい野球を研究して勉強していたし、何より選手の未来に対する独自の物差しを持っていた。『俺ならここを直す』と、コーチのように技術的な修正点まで見抜いていたんです。プロ経験がないからダメだという発想は、僕にはまったくありません。日本ハムでも、プロ未経験であっても素晴らしい眼力を持ったアマチュア出身のスカウトを採用してきましたからね」

 さらに山田は、木庭の「獲ったあとのフォロー」の深さをこう証言する。

「木庭さんはよく言っていましたよ。『スカウトは獲って終わりじゃない。獲った選手は俺が育てるんだという気持ちがなかったらダメだ』と。キャンプなどでコーチが選手を指導しているのをじっと見ていてね。あとでその選手を呼んで『お前、さっきコーチが言ったことの意味が分かったか?』と確認する。理解できていない若手には『コーチが言おうとしたのはこういうことだぞ』と噛み砕いて教えてやるんです。単に『頑張れよ』と声をかけるだけの精神論じゃない。選手がプロで壁にぶつかったときの技術的なフォローまで、裏で親身になってやっていた。そこまで選手の人生に深く関わる人でした」

「今でも必ず探してくる」――受け継がれる木庭イズム

 もしも今、木庭教が生きていて、現代のプロ野球界でスカウトとしてグラウンドに立っていたとしたら、果たして通用しただろうか。 データと数値が支配し、情報があっという間に共有される現代のグラウンドで、あの一匹狼は力を発揮できたのか。

 山田は迷うことなくこう語った。

「絶対に通用しますよ。木庭さんが今生きていて、『好きなところを自由に歩いて、思いっきりやってこい』と言われたら、絶対にどこからか素晴らしい選手を見つけてきます。間違いないですね」

 長年グラウンドを見つめ続けてきた確信を込め、山田は言葉を重ねる。

「スカウティングの本質を掴んでいる人間というのは、どんな地域に行っても、誰も見向きもしないような場所から原石を掘り起こしてくるものなんです。今の時代だって、独立リーグや地方の無名校から、前評判にも上がらなかった選手が突然プロに入って活躍しているでしょう? 選手はいつの時代だって必ずグラウンドに埋もれているんですよ。ただ、見る側が数字や他球団の評価に流されて見えなくなっているだけなんです」

 山田が日本ハムの編成トップとして下した数々の決断――その年の「一番いい選手」を恐れずに指名し続けた姿勢の根底には、木庭の背中から受け取った感覚が息づいていた。

「日本ハムが北海道に移転してチームが新しくなったとき、僕が責任者として思い切った決断を下せたのは、やっぱり木庭さんから教わったものが生きていたからだと思います。『担当スカウトがここまで惚れ込んでいるんだから、その目を信じてやろう』という腹の括り方ね。木庭さんが見せてくれたスカウトの生き様は、決して過去の遺物なんかじゃない。どんなに時代が変わり、組織が近代化しようとも、スカウトという仕事の根本には『俺が見て、俺が決断して、こいつの人生を変えてやるんだ』という気概がなければならないはずなんです」

スタンドの前列で、他球団に悟られないようにスピードガンを構えていた木庭教。 昭和の一匹狼が遺したその眼差しと仕事への気骨は、組織の時代を生き抜いてきた名スカウト・山田正雄の胸の奥底に、今も色褪せることなく刻み込まれている。(敬称略)第19回に続く。

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