「富士山」に登って、「急性高山病」にかかる人とかからない人の「違い」はなんなのか(石田 浩司)

生命活動の根源ともいえる「呼吸」。人は一生の間に6億~7億回「呼吸」をするといわれています。そもそも「呼吸」とはなにか? 体はどのように酸素を取り込み、それを体のすみずみにまでに運ぶのか? さらに酸素はどのように細胞で消費され再び肺胞に送られた二酸化炭素はどのように酸素と交換されるのか?「換気」の仕組みからエネルギー代謝の方法など、その精密につくられた驚異のメカニズムを「呼吸」の研究の第一人者として知られる著者が徹底解説します。

*本記事は、石田 浩司『呼吸の科学 いのちを支える驚きのメカニズム』(講談社ブルーバックスの内容を抜粋・再編集したものです。

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この新型コロナ禍の前までは中高年者、若い女性を中心に登山がブームになっていました。総務省によると登山・ハイキング人口は1000万人前後で推移し、60歳以上ではウォーキング、器具を使ったトレーニングに次ぐ実施率です。

山に登ると、ある程度長い時間歩く(運動する)ことになるので、持久力トレーニングになりますし、荷物を背負い、山道・岩を登ることは、筋肉もよく使うので筋力トレーニングにもなります。つまり、持久力トレーニングと筋力トレーニングが一度にできるので、一石二鳥といえます。そして山に登れば景色がよく、森林浴になり、達成感もあるので、ストレス発散やリフレッシュにもなります。登山やハイキングは心身の健康にいいのは間違いありません。一方で、登山は危険で、身体に悪いこともあります。警察庁によると、ここ数年は遭難件数が全国で年間2500件程度、遭難者は3000人程度(死者・行方不明300人程度)もいます。

標高2500mを超えて酸素が薄くなると、安静ではあまりわかりませんが、少し動くと息が切れます。これは生体の正常な反応です。しかし、体がうまく適応できないと、体調が悪くなって高山病にかかる人が出てきます(不思議なことに、まったく平気な人もいます)。

高山病には、頭痛を主訴とした「急性高山病」(AMS:Acute Mountain Sickness)、AMSが悪化し、肺に水が溜まって呼吸困難や激しい咳が出て死に至ることもある「高地肺水腫」、さらに、脳が腫れて激しい頭痛とふらつきなどの運動失調や精神錯乱を起こし、より危険度の高い「高地脳浮腫」などがあります。日本では肺水腫や脳浮腫まで悪化することは少ないですが、AMSは標高2500〜3000mの山で10〜20%の人が、3500m以上(富士山)では30〜50%の人がかかるとされています。

AMSは、国際標準で症状別に程度を0〜3点に得点化した「レイクルイーズAMSスコア2018年改訂版」(日本登山医学会訳:http://www.jsmmed.org/info/pgams.html)をもとに判断することができます。まず「頭痛」が必ずあること、かつ「胃腸症状(吐き気、食欲不振)」、「疲労・脱力感」、「めまい・ふらつき」の4症状の得点の合計点が3点以上になるとAMSと診断されます。

AMSは、2500m以上の高所に登り、数時間から1日以内に起こります。実は私も、2014年にガイド付きのバスツアーで富士山に登りましたが、8合目(3100m)の山小屋で頭痛が起こりAMS状態になりました。このときは、夕食がほとんど食べられず、仮眠もできませんでした。その後、頭痛薬を飲んだら多少よくなったのでなんとか登頂できましたが、長い下りを含め、「富士登山は修行です」とガイドさんに言われました。同じツアーの若者たちは、歌をうたいながら楽しく登っていました。なぜ、このようにAMSを発症する人と発症しない人が出てくるのか、第2章の低酸素の話を復習しながら解説します。

まず、高所では空気の圧力(重み)が減って気圧が低下します。そのため、空気中の酸素濃度(組成比:20・93%)は変わらなくても、含まれている絶対酸素量が低下します。標高2500mでの気圧は、0mの75%程度に低下します(気圧=760×0.75mmHg)。

第2章で出てきた肺胞気式で計算すると(吸気酸素濃度:20・93%、肺胞気二酸化炭素分圧:40mmHg、呼吸商:0・85と仮定)、肺胞の酸素分圧は62mmHgとなり、拡散により動脈血酸素分圧はそれより5mmHg低いとして57mmHgとなります。

ここで、第2章図13の酸素解離曲線を見ると、この時の「動脈血酸素飽和度」は90%弱になり、この値は病院では酸素吸入が必要になるものです。この状態になると、体は酸素不足を補うため、化学受容器反射で換気量を上げます。ただし、この程度なら安静時ではそれほど換気も増えず、息苦しさもほとんど感じません。しかし、登山のように上り坂を登るとなると、必要な酸素は増えるので余裕がなくなります。そのため換気が上がり、すぐに息苦しくなってしまいます。この時「動脈血酸素飽和度」は85%程度にまで下がります。富士山でどうなるかは、第2章で見たとおりです。

息苦しさの度合いは、呼吸の化学感受性によって異なり、低酸素ですぐに息が上がる(低酸素感受性が高い)人とそうでない(低酸素感受性が低い)人がいます。動脈血酸素飽和度も人によってかなり異なります。これまでは、低酸素化学感受性が高いほうが、低酸素環境で換気が増加しやすく、酸素をより多く取り込めるため、有利と考えられていました。実際、一流登山家の化学感受性は、低酸素、高二酸化炭素とも一般人より高いことが報告されています。

低酸素感受性が低い人は、高い人に比べ高所で換気が上がらないので、動脈血酸素飽和度がより低下します。以前は、高所で酸素飽和度が低い人(=低酸素感受性が低い人)はAMSを発症しやすいと考えられていました。しかし、低酸素感受性とAMSスコアは相関しないとの報告や、高所での酸素飽和度とAMSのスコアが相関しないとの報告もあります。つまり、AMSは、高所での低換気や低い酸素飽和度だけが原因で起こるのではないということです。また、標高4000m以上に3〜5日程度滞在すると、低酸素の化学感受性が増加し、換気量を増やすように適応します。さらに、第2章で述べた「2,3DPG」(赤血球内で酸素とヘモグロビンの結合を調節する物質)も増加し酸素供給を高めます。これが初期の高所馴化です。このころになると、AMSも治ってきます。

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