「こんなに長く生きるとは……」ダウン症者が長寿化 笑顔で高齢期を過ごすポイントとは

山梨県内の「神谷ともいき農園」で大好きな11歳年上の兄の隆太さんと運搬車の上でポーズをとる神谷幸多郎さん(写真:神谷さん提供) この記事の写真をすべて見る

 ひと昔前は成人まで生きられるかどうか、と言われていたダウン症のある人たち。医療の進歩でいまや還暦超えも珍しくない。社会はどう支えていけばいいのか。AERA 2024年11月4日号より。

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「正直、両親は姉を施設に入れたとき、こんなに長く生きると思っていなかったと思います」

 長崎県諫早市在住の古川佳世子さん(56)は、7歳から医療型障害児入所施設で暮らす姉の内田祐子(まさこ)さん(60)に寄り添う。

 祐子さんは3年前に白内障、4年前には膀胱の手術を受けた。

「姉は『見えづらい』とか『痛い』などとうまく伝えることができない。白内障も、歩きづらい様子から周囲が気づいたんです」(佳世子さん)

 父親は9年前に他界し、母親は今年10月に88歳で他界した。2人の弟と協力し、姉を支える。

「姉はきっと、なぜ母が面会に来ないのかと思っていると思います。母に会いたいだろうなぁと。だから私は、会ったときにスマホで母の写真を見せています。姉は自らタッチして、じっくり見ています」

 コロナの影響で面会制限があるなか、通院のための外出は姉とコミュニケーションをとれる唯一の機会で、佳世子さんは「大切な時間だから楽しみにしている」という。しかし診察前は、毎回、姉の体に異常が出ていないか、ドキドキするという。「これまでできていたことがいつできなくなるか」と心配している。

60歳以上がほぼ倍増

 ダウン症は染色体が1本多くなって起こり、筋肉の緊張が低く、ゆっくりと発達する傾向がある。加えて、約半数の人に生まれつき心疾患があり、ほかにも消化器系の疾患など合併症も起きやすく、1970年ごろまでは平均寿命が10歳ぐらいだった。それが、医療の進歩などによって、最近では寿命は60歳程度とも言われる。

 日本ダウン症協会代表理事で、大阪医科薬科大学名誉教授の玉井浩さんはこう話す。

「2010年と16年のダウン症者の死亡時年齢を比較すると、60歳以上がほぼ倍増している。先天性心疾患や白血病・リンパ腫を乗り越えられれば、長寿は可能です」


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バイオリニスト・高嶋ちさ子さんの父とダウン症の長女・未知子さん(写真:高嶋さん提供)

 玉井さんによると、先天性心疾患の有無にかかわらず、成人になってから心臓の弁逆流を起こしたり、最悪の場合は僧帽弁逸脱症になったりすることもあるといい、手術後も定期的な受診が大切で、玉井さんは「サポートファイル(ブック)」の利用も勧める。

 病歴や処方薬、手術記録などの医療情報だけでなく、日常生活やコミュニケーションの方法などさまざま記入するもので、医療や福祉の利用の際に役立つ。日本ダウン症協会のホームページから無料でダウンロードできる「わたしの健康パスポート」もいい。

「親御さんもお年を召していくと記憶もおぼろげになっていきます。ファイルで常に更新していくことで万一に備えられます」(玉井さん)

 合併症だけでなく、ダウン症のある人には身体的な老化徴候が早く起きやすい。

「ざっくりといえば、40歳のダウン症の方は健常者の50歳ぐらい。50歳になると、70歳の健常者ぐらい。外見だけでなく体力も、認知機能も低下します」

 背中は丸くなり、老人性色素斑(いわゆるシミ)などが出現する。年齢とともに、残尿出現頻度も増える。さらに成人期以降は、難聴や白内障、糖尿病、嚥下障害などさまざまな疾患が出てくる。40歳くらいになるとアルツハイマー病が出現することもある。

「ダウン症のある方の認知症の早期発見に役立つとされているのが『DSQIID(知的障害者用認知症判別尺度)』といわれる、家族や介護者が記載して判定できるものがあり、若年期は2~3年に1回は判定し、これを基準値として、35歳を超えたら毎年行って比較すると良いと思います」(玉井さん)

手に職をつけさせたい

 諫早市のみさかえの園総合発達医療福祉センターむつみの家診療部の医師、近藤達郎さんは、長くダウン症患者と向き合ってきた。これまで診た患者数は1千人以上にのぼる。

「ダウン症候群の方は、自分の感情に素直で、デリケートで明るくて笑顔も素敵。多くの方が元気で穏やかではつらつとされています。愛情を持ってご家族が支え、地域の社会資源を使いながら、年齢を重ねるにつれそのつながりを強くしていけばきっと幸せに過ごせると思います」


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 ダウン症の子どもの成人後や高齢期を考え、本人に向いている仕事や作業を探し続け、地域や人とのつながりを築いている家族も少なくない。

 東京都世田谷区在住の神谷有子さん(59)の次男はダウン症で知的障害もある。その程度は「決して軽度ではない」という。

 中学生の時、福祉作業所で1週間の職場体験があった。2時間のタオルの四つ折り作業に飽きた息子に「ちゃんとできるように」と指導が入った。神谷さんには衝撃的だったという。「手に職をつけさせたい。それが彼の自信と生計につながれば」。この頃から次男がやりたいという何かを探すようになった。

 縁あって山梨県笛吹市のぶどう園の人々との交流ができ、東京から次男と夫と「週末農業」体験をしたときのこと。

「収穫作業など、ところどころの参加であっても息子が楽しそうにしているんです。繰り返しの作業でも、完成品のワインという『成果』が出る。工程の一部が結果につながることが実感できる。これなら息子にもできるかもしれないと思ったんです」

家族で農園を立ち上げ

 県主催の新規就農者向けシニア研修に参加。その後空き家バンクを通して6千平方メートルの農地付きの家屋を購入した。

 家族で立ち上げた「神谷ともいき農園」には知的障害者の団体が見学にやってくるなど、障害のあるなしにかかわらず多くの人に開放している。

「子どものためにお金を残しておくという考えもあると思う。でも人と人とのつながりを大切にひとつひとつ積み上げていけば、将来すごく大きなものにつながるような気がしています」(神谷さん)

 次男は計算ができず、かみ砕いて説明をしないとわからないところもある。丁寧な説明が必要だ。

「そんな息子でも人を見る目がすごく優れているんです」(同)

 夢は、農園に手伝いにくる多様な人を巻き込んで、賄い付き温泉付きの宿泊施設を作ること。

「我々がいなくなっても持続できる何かを作っていきたい。超高齢社会。ダウン症があろうが認知症があろうが、できることをみんなでやって補い合う。助け合おうとする人たちが出てきて社会は変わっていく。人口が増えない限り、そうやっていかざるを得ないのかと思います」

 神谷さんは充実した表情を見せながら言った。

「息子が、人生で大切なものを教えてくれました」

(ライター、介護福祉士・大崎百紀)

AERA 2024年11月4日号

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