参議院選挙:自民幹事長お膝元、保守王国の鹿児島で「重鎮の娘」反乱…野党系が擁立 : 読売新聞

 「我が胸の燃ゆる思いに比べれば 煙はうすし桜島山」

 公示日の3日、明治維新の立役者・大久保利通の銅像に臨む鹿児島市の広場。参院選の鹿児島選挙区に立候補した無所属の尾辻朋実(44)は、前参院議長の父・尾辻秀久(84)が2013年に比例選から同区に転じた時と同じ言葉で第一声を始めた。秀久は6期36年の任期を終えて引退する参院自民党の重鎮だ。

 だが、この日、朋実と初陣を共にしたのは、自民でなく、立憲民主党や社民党県連の幹部らだ。立民は「秀久さんの娘が自民に砂をかけて出てきた」とアピールし、保守王国での「反乱」への支持拡大を狙う。

 〈秀久のむすめ〉。朋実は5日、背中側にこう大書したタスキをかけて繁華街の天文館交差点に立ち、「父が生まれ育った地区からスタートした」と切り出した。

 秀久の秘書を務めた朋実は昨年夏、秀久の後継を決める自民県連の候補者公募に挑むも、選外になった。選ばれたのは、自民の園田修光(68)。衆院と参院での議員経験や有権者への浸透ぶりで軍配が上がった。

 公募結果を受け、「引き抜き」に動いたのが、立民衆院議員の川内博史(63)だ。川内は昨年11月、野党系からの擁立の許しを得ようと秀久に直談判した。拒絶も覚悟したが、秀久は「娘は娘の人生がある。自分で決めるだろう」と応じた。

 秀久と長年戦った立民の支持団体には、朋実の支援に抵抗もあった。朋実を推薦した連合鹿児島の会長、下町和三(65)は「勝てば政治の地殻変動が起きる。劇薬だが、のみ込んだ」と振り返る。共産党も立候補予定者を取り下げ、野党は事実上、一本化した。

 鹿児島は自民幹事長、森山裕(80)のお膝元だ。鹿児島市議出身の森山は県連会長として県政界も取り仕切る。郵政民営化に反対した森山は05年衆院選は無所属で出馬し、自民の「刺客」を破った。盤石な支持基盤を誇り、保守王国は「森山王国」でもある。

 「森山幹事長に(候補者に)選んでいただき、また皆さんの声を国会に伝えられる」

 園田は10日、鹿児島市で支持を呼びかけた。全国を回る合間を縫って森山も駆けつけ、「本当に厳しい戦いだ。何としても勝ち抜かないといけない」と力を込めた。森山は公示日の朝には園田に電話し、「絶対に勝たないといけない。総力を挙げてやる」と激励した。

 鹿児島が改選定数1の「1人区」となった01年以降、負け知らずの自民は組織戦で迎え撃つ。ある県議は「薩摩 隼人(はやと) は筋を通さないのが嫌いだ。団体を徹底的にまとめる」と意気込む。JA(農業協同組合)の政治団体「県農民政治連盟」や県遺族連合会など有力団体の推薦状が選挙事務所の壁を埋め尽くす。

 ただ、遺族連合会事務局長の朝広三雄(80)は「頭が痛い」とこぼす。秀久が1985年から会長を務めているためだ。「秀久が方々に電話で朋実支持を呼びかけているようだ」との臆測も飛び交う。

 2日には森山と党紀委員長の連名で「非公認・非推薦候補者への応援は絶対に許さない」との通達が出た。党内では、鹿児島も念頭にあると受け止められた。

 疑心暗鬼にさいなまれる自民の敵対心は、朋実の出馬を容認した秀久に向く。地元入りを控えてきた秀久が選挙中に朋実陣営の応援に入るかどうかに自民は神経をとがらす。自民県連幹部は「何十年と議員を務められたのは自民と森山会長の支えがあったからだ。二度と鹿児島の土は踏ませない」といきり立つ。

 「圧倒的に自民優位な土地柄」(立民衆院議員)ゆえ、朋実が当選後に自民入りするとの見方もくすぶる。朋実は支援者から「選挙後、どうせ自民に帰るんだが」と問われ、「森山幹事長にケンカ売ってるんです。ほんな復帰させるはずがない」と答えたこともあった。

 野党系陣営の結束を乱しかねない「復帰説」を打ち消すため、朋実はこう宣言している。「片道切符を握った人間だ。帰るところはない覚悟で戦っている」

(敬称略)(阿部雄太、鹿児島支局 小林未南)

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