落合博満が認めた「お前との勝負は三振でいい」“落合の天敵”盛田幸妃とは何者だったのか? 大酒飲みの無頼漢が“奇跡のリリーバー”と呼ばれるまで

 2012年6月下旬。梅雨真っ只中の湿り気に満ちた夜が白々と明けていく、午前5時前のことだった。  泥酔した四十路すぎの中年男性二人が横浜市内の街道沿いを千鳥足で歩く途中、ガタイのいい片割れが右足を引きずりながら、唐突に口を開いた。 「俺、そんなに生きられねえから、今から俺に密着して本にまとめない? 売れるよ。50までは絶対に生きられないし、正味、今から2、3年くらいじゃねえかな」  酔いにまかせた戯言だと思い、軽く諌める。 「ふざけたことばかり言ってないで、早く帰って寝ましょう」 「売れるんだけどなぁ」  右足を引きずる盛田幸妃は、口惜しそうにぼそっと呟いた。  まさか、盛田の言葉が現実になってしまうとは、この時点ではつゆにも思わなかった。

 脳腫瘍に羅患した野球選手として、多くの人がまず思い浮かべるのは昨年ヒットした映画『栄光のバックホーム』の主人公となった横田慎太郎だろうか。阪神期待のホープはプロ4年目の2017年に脳腫瘍の宣告を受け、2年間の闘病生活とリハビリを経たが一軍復帰は叶わず、24歳で引退。その後、2022年3月に腫瘍が再々発し、翌年7月に28歳の若さでこの世を去った。  横田の現役時代から遡ること約20年前の1998年、脳腫瘍の手術から復活を遂げた“奇跡のリリーバー”がいた。その男こそが盛田幸妃だった。脳腫瘍から復帰して一軍で結果を残したのは、長いプロ野球史のなかでも盛田だけではないか。  盛田は北海道南西部の鹿部町にある、16代続くホタテ漁の網元・盛田家の長男として生を受けた。函館有斗(現・函館大付属有斗)から1987年、ドラフト1位指名で大洋に入団。当時のドラフトの目玉だった立教大の長嶋一茂を指名した大洋は抽選に漏れ、外れ1位で盛田を指名したのだった。  入団してからの3年間はほとんどファーム暮らし。若き日の盛田は186cmの身長と鋭い顔つきのせいか、パッと見は“いかつい兄ちゃん”だったが、一度心を許した相手にとっては気さくなヤンチャ坊主だった。 「1年目の5月に一軍に行っているんだけど、35歳以上のベテランがたくさんいて、年寄りの墓場かと思った。気を遣うのが面倒臭いし気持ち悪いから、早く打たれて二軍に帰りたかったよ」  初めて取材したとき42歳だった盛田は歯に衣着せぬ性格で思ったことを遠慮なしに言う、豪胆そのものの野球人だった。その気質は10代の頃からまったく変わっていないという。 「ファームにいる間、グラウンドキーパーから寮長まですべての人が俺のことを“人間的にダメ”って言っていたから。例えば、ファームでピンチになってコーチがマウンドへ来たときに『なんだよ、やっと気合いが入って面白くなるところなのに、やる気なくすな』とか言えば、そりゃコーチも怒るでしょ。だからファームでいくら好投しても、上から声がかからない」


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 妻の倫子は、ゆっくり言葉を紡ぐように当時のことを述懐する。 「関東遠征のときは(横浜の)家から通っていたので、8月頭のロッテ戦の前日だったと思います。就寝中にひどい揺れを感じて真夜中に起きたんです。横を見たら夫が右足から全身にかけて痙攣していた。数分しておさまると、すぐに問い詰めました。そうしたら2カ月前から何度も痙攣が起きていると答えるので、『すぐ病院に行って』と強く念を押しました。それがまさか……」  当初、盛田は単なる疲労によるものだと思っていた。  しかし痙攣は続いた。日を追うごとにその範囲が広がっていき、やがて日常生活にも支障をきたすようになる。運転中に右足の動きが悪くなる、スリッパを履いても脱げてしまう……。明らかに右足首の力が弱くなっていた。  8月7日のロッテ戦では、試合前の練習中から痙攣が始まり、走れなくなっていた。右足全体をテーピングで固めても膝がガクガクと震えて止まらない。血の気が引くように悪寒がし、腕も痺れている。 「盛田、行ってくれ」とコーチに言われ、ブルペンで肩を温めることもできないままマウンドに向かうものの、マウンド上でも痙攣は容赦なく襲ってきた。いかに無頼の盛田でも、この状況はどうにもならない。ストライクがまったく入らず、3つの四球を出して降板。  やがて痙攣が始まると、足だけでなく体全体が震え出すようになり、周囲にも「盛田の様子がおかしい」と異変が知れ渡っていく。  8月12日、福岡ドームでのダイエー戦を最後に登録抹消。大阪に戻って病院で精密検査をすると、左側頭部に直径5センチほどの腫瘍が見つかった。 「病院でレントゲンを見たら、脳室が5センチほどの腫瘍で潰れているのがわかる。これを取れば治るんだろうなという感覚でしかなかった」  脳腫瘍と診断されても盛田は特段のショックを受けなかった。「手術すれば2週間くらいで復帰できるだろう」と、胃のポリープ手術のような感覚でしかなかった。だが、この瞬間から始まった病との闘いは、盛田を終生苦しめることになる。 <続く>

(「プロ野球PRESS」松永多佳倫 = 文)

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