慢性的な痛みを止める脳内の「キルスイッチ」の存在が明らかに、トリガーは空腹・渇き・恐怖など
足の小指をぶつけたり熱いものに触ったりした際に感じる一時的な痛みは、肉体的な損傷を最小限に抑える役に立つと共に、今後の危険を回避する教訓としても機能します。しかし、慢性的な痛みはそうではなく、痛みを感じるということ自体が持続的な問題となり、多くの人々のQOLや生産性を下げる要因となっています。新たな研究により、慢性的な痛みを止める脳内の「キルスイッチ」の存在が明らかとなりました。
A parabrachial hub for need-state control of enduring pain | Nature
https://www.nature.com/articles/s41586-025-09602-xA built-in ‘off switch’ to stop persistent pain | Penn Today https://penntoday.upenn.edu/news/select-neurons-brainstem-may-hold-key-treating-chronic-pain
アメリカでは約5000万人が慢性的な痛みに苦しんでおり、治療不可能な状態が数十年にわたって続いているケースもあります。ペンシルベニア大学の神経学者であるニコラス・ベトリー准教授は、「これは単なる治癒しないケガではありません。脳への入力が過敏になり、過剰に活動している状態です。その入力を鎮める方法を見つけることが、より良い治療法につながる可能性があります」と述べています。
今回、ニコラス氏はピッツバーグ大学やスクリプス研究所との共同研究で、カルシウムイメージングを用いて一時的な痛みおよび慢性的な痛みにおけるニューロンの発火を観察しました。カルシウムイメージングとは、脳の細胞内のカルシウムイオンの濃度や移動を観察する手法のことです。
その結果、脳幹の外側腕傍核(lPBN)という部位に存在するY1受容体(Y1R)を発現するニューロン群が、一時的な痛みに反応して反応するだけでなく、痛みが持続している間も安定して発火し続けることがわかりました。神経科学者らはこの状態を「tonic activity(緊張性活動)」と呼んでいます。
ベトリー氏はY1受容体ニューロン群における緊張性活動を、アイドリング状態のまま放置されたエンジンにたとえています。これらのニューロン群は外見上は痛みの兆候が薄れても、痛みの信号をアイドリング中のエンジンのように鳴らし続けています。この持続的な活動が、事故や手術後に長期間持続する痛みをもたらしている可能性があるとのこと。さらに研究チームは、空腹や喉の渇き、恐怖といった緊急の生存欲求が持続的な痛みを軽減できることを発見しました。この発見は、スクリプス研究所と共同で開発した「より深刻な他の欲求が存在する場合、腕傍核における感覚入力のフィルタリングにより、持続的な痛みが遮断される可能性がある」とするモデルを裏付けるものでした。
論文の筆頭著者であり、記事作成時点ではマサチューセッツ工科大学の博士研究員を務めるニツァン・ゴールドスタイン氏は、「この結果から脳には痛みよりも生存のニーズを優先する仕組みが内蔵されているはずだとわかったため、私たちはその切り替えをつかさどるニューロンを見つけたいと考えました」と語っています。
そして研究チームが切り替えの鍵であると特定したのが、脳内の神経伝達物質である神経ペプチドY(NPY)です。神経ペプチドYは脳が相反する欲求を処理するのを助けるシグナル分子であり、空腹感や恐怖感が優先される場合、神経ペプチドYは腕傍核にあるY1受容体に作用し、持続する痛みの信号を弱めることがわかりました。
ゴールドスタイン氏は、「まるで脳に上書きスイッチが組み込まれているようなものです。飢えや捕食者に直面しているとき、長引く痛みに圧倒される余裕はありません。こうした他の脅威によって活性化されたニューロンは神経ペプチドYを放出し、それが痛みの信号を鎮め、他の生存ニーズを優先させるのです」と述べました。 また、今回の研究では外側腕傍核におけるY1受容体の特徴も解析されており、その結果Y1受容体は整然とした分子的集団を形成せず、他の多くの細胞種に散在していることが判明。ベトリー氏は、「正確な理由はわかりませんが、このモザイク状の分布によって、脳が複数の回路にまたがるさまざまな種類の痛みの入力を抑制できるのではないかと考えています」とコメントしました。今回の研究結果により、Y1受容体の神経活動を慢性的な痛みのバイオマーカーとして利用し、新たな医薬品開発や治療法につなげる可能性が広がります。ベトリー氏は、「現在、(慢性的な痛みを抱える)患者は整形外科医や神経科医を受診しますが、明らかな損傷がないにもかかわらず痛みが残っています。私たちが示しているのは、問題は損傷部位の神経ではなく脳の神経回路そのものな可能性があるということです。これらのニューロンを標的にすることができれば、まったく新しい治療の道が開かれるでしょう」とコメント。 また、空腹や恐怖が慢性的な痛みを抑制したことを考えると、運動や瞑想、認知行動療法といった行動介入がこれらの神経回路に影響を及ぼし、痛みを軽減する方法を見つけられる可能性もあるとのことです。
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