「量子コンピューター」産業化へ、〝ないないずくし〟からの挑戦を追う|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社

富士通・理研の256量子ビットの量子計算機

量子コンピューターのエコシステム(協業の生態系)構築が急務になっている。政府は2030年に量子技術の国内利用者を1000万人、量子技術による生産額を50兆円規模に引き上げる目標を掲げる。ただ国内で稼働している量子コンピューターは数台規模にとどまる。人材は物理の研究者が中心だ。計算機も用途も人材も十分ではなく、ないないづくしからエコシステムを立ち上げる難しさがある。理化学研究所富士通は国産機開発、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は用途開発や人材育成を進める。挑戦を追った。(小寺貴之)

実用志向が競争力に 質高めてエラー率改善

「量子コンピューターは社会に役立つアプリケーションの開拓が急務になっている。日本は大学生も実用を真剣に考えていて素晴らしい」と米IBMクオンタムのジェイ・ガンベッタバイスプレジデントは目を細める。IBMは18年から慶応義塾大学に量子コンピューターの計算サービスを提供してきた。学生にとっては高度な理論研究から、使って試しながら勝手を覚える実験対象になった。人材の裾野が広がり、用途探索の基礎研究が進んでいる。ガンベッタバイスプレジデントは「プラットフォームを提供したのは我々だが、大学のリーダーシップがあってこそ」と振り返る。ここで学んだ学生が産業界や学術界に散り、用途探索を推進している。

18年当時は慶大からアクセスできる量子ビットは20個だった。この4月には富士通と理研が256量子ビットの量子計算機を稼働させた。国産機としては4台目。23年に公開した国産初号機の64量子ビットから4倍に増やした。ユーザーに提供される実機としては世界最大級になる。

量子ビットチップのパッケージ変更

富士通のヴィヴェック・マハジャン副社長は「4倍増は簡単に実現できると想定していたが、実際に組み上げると課題がいくつも出てきた」と振り返る。当初は初号機の量子ビットチップ4枚分を並べればよいと楽観していた。理研の量子ビットチップは数を増やしても配線が干渉しないよう3次元接続構造に設計されているためだ。富士通研究所の佐藤信太郎量子研究所長は「理研の量子チップの設計は秀逸」と評価する。だが熱収支を計算すると信号増幅器などの発熱量が冷凍機の冷却能力に迫ることが確認された。

そこで増幅器を選び直し、筐体(きょうたい)も設計し直して冷却効率を高めた。増幅器周辺で熱負荷を約4割抑制している。佐藤所長は「部品の選定指針やシステムの設計ノウハウは量子計算機のサプライチェーン(供給網)構築に欠かせない知見になる」と説明する。4号機は冷凍機や量子ビット制御装置などの重要部品を海外製品が占めた。26年度には1024量子ビットの機体を開発する計画だ。国内の部品サプライヤーと連携して国産比率を向上させる。

量子実用化・産業化の主な課題と政府の基本的対応方針

着実に実機開発は進んでいる。それでも普通のコンピューターのように計算できるようになるまでにはまだまだ時間がかかる。富士通は量子エラーを一部許容しながら実用レベルの計算問題を解くには約6万量子ビットが必要と試算する。現在の量子ビット数とは2ケタの乖離(かいり)がある。

さらに超電導方式の量子計算機は量子ビットの数を増やす前に、量子ビットの質を向上させる必要がある。例えば富士通の256量子ビットマシンでは量子エラーを訂正する実験を計画している。ただ量子ビットの質を示す忠実度を現在の99・1%から99・5%以上に向上させないと、量子エラー訂正の処理でエラー率が改善されないと見込まれる。

理研の中村泰信量子コンピュータ研究センター長は「他の開発企業も数を追う方針を転換した」と指摘する。数年前は開発企業が100万量子ビットを目標に数を競う開発ロードマップを描いてきた。だが質の低い量子ビットを増やしても性能向上につながらない。ロードマップの開発目標は堅持しつつも、開発の優先順位は質向上にシフトしている。

NEDO、用途探索で懸賞金

まだ計算機としては台数も性能も途上の段階でアプリを開発する難しさがある。そこでNEDOは2億円の懸賞金を用意して量子コンピューターの用途開発を進めている。特徴は量子コンピューターで解くべき課題と、そのソリューションを広く社会から募る点だ。広く業界から計算課題を集め、コンテスト形式で量子人材が競って課題を解いてソリューションを作る構想だ。

実際に送配電網の最適化や無人航空機の大規模飛行管理など44の計算課題が集まった。超高速生体情報解析法を開発してほしい課題提供者は、DNAの1塩基解像度のトンネル電流波形データを提供する。広告の場所を最適化したい課題提供者は人流の時系列データを提供する。多分野の課題が整理され、量子人材が挑戦できるようになった。NEDOの高田和幸部長は「1からエコシステムを立ち上げる。ソリューションが使えると実証されたらビジネスが始まる」と期待する。

人材育成、大学院レベルの講義提供

課題に挑戦する量子人材も育成する。課題募集と並行して、数学や情報科学の素養のある若手や異分野の専門家を募り、教育プログラムを提供した。講師を務めたQuemix(キューミックス、東京都中央区)の松下雄一郎社長・東京大学特任准教授は「大学院と同じ難易度のカリキュラムを実施した。参加者は働きながら講義を受け、よくついてきたと思う」と評価する。

NEDO量子チャレンジの修了式

約50人が履修を完了した。ある電機メーカーの研究者は、社内で量子コンピューターの新事業を立ち上げる下準備として参加している。講義の後に松下特任准教授を質問攻めにして量子コンピューターについて学んでいった。この研究者は「社内で企画書を通す必要がある。そのための情報を整理できた」と振り返る。体系的に学び直して新事業の企画に説得力をもたせる。

教育プログラムには高校生も参加していた。高校3年生の添田拓叶さんは「正直、量子アルゴリズムの講義はついていくのがやっとだった。それでも出された宿題はすべて提出した」と振り返る。

量子演算ではユニタリー行列を解く。松下特任准教授は「紙と鉛筆でこつこつと行列を解く力が重要。若さと集中力でついてきてくれた」と振り返る。社会人が途中で脱落していく中、最後まで履修した。

早稲田大学の白石将晃学部生は量子コンピューターの研究室の配属を志望する。その実績作りにNEDO事業に挑戦した。ここで知り合った技術者にアドバイスをもらって国の若手研究者の発掘プロジェクトに応募している。自身は学生のため産業界の課題には明るくない。だがNEDO事業では企業の技術者と人脈を作れる。白石学部生は「量子分野への参入という共通の目標があり、研究計画を磨くことに協力してくれた」と説明する。

NEDO事業では大規模言語モデル(LLM)で量子回路を生成する課題に挑戦する。白石学部生は「NEDOは学生にも大量のグラフィックス・プロセッシング・ユニット(GPU)や貴重な量子コンピューターを使わせてくれる。研究室配属の前に研究ができる」と目を細める。

参加者は開発力や専門性をバランスさせるために企業の技術者などとチームを組む。ライバルは現役の量子研究者たちだ。NEDO事業は26年6月までソリューション開発を進めて、同年9月ごろに成果を審査して表彰する。賞金の2億円は3分野で分け、首位には4000万円、2位は2000万円、3位には1000万円が授与される。大きな賞金を確保できたため、企業に勤める量子研究者も本気になった。

量子コンピューターは計算機の数も性能も途上だが、野心的な人材が集まっている。彼らがソリューションを開発し、各業界の課題と量子コンピューターを結び付ける役割を果たすと期待される。NEDOは産業界などからの課題を継続的に募集している。業界の課題をエコシステムに打ち込めば、ソリューションや量子人材を惹(ひ)きつける機会になると期待される。

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