サッカーW杯日本代表に感じた「自己組織化型」チームの可能性 ノーベル賞を科学力の糧に
「何の役にも立たない学問をするのが日本の底力だったんだな」
産経新聞が1年にわたって日曜日に連載した「プレイバック昭和100年」で、昭和26年生まれの作家、浅田次郎さんが語っていた。
今年のノーベル賞に輝いた大阪大特任教授の坂口志文さん(生理学・医学賞)と京都大特別教授の北川進さん(化学賞)は浅田さんと同じ昭和26年生まれである。
坂口さんが見いだした制御性T細胞、北川さんが作り出した多孔性金属錯体は、人類に計り知れない恩恵をもたらす。何の役にも立たない―とは対極だが、2人の研究分野は当時の大多数の研究者から見込みがないとみなされ、成果を発表してもすぐには信用されなかった。
地道な研究で「日本の底力」を世界に示した坂口さん、北川さんの快挙を称(たた)えたい。
ただし、ノーベル賞は過去の業績に対して贈られる栄誉であり、今の日本の科学力を示すわけではない。平成12(2000)年以降、自然科学部門で日本のノーベル賞受賞者は22人(米国籍を含む)になったが、受賞ラッシュとは裏腹に、日本の科学力は著しく低下したと、繰り返し指摘されてきた。
浅田さんが過去形で語った「底力だった」を現在進行形、未来形に書き換えるためには何が必要なのか。坂口さんと北川さんの研究と経歴から、筆者なりに考えてみた。
多孔性金属錯体
北川さんが作り出した多孔性金属錯体は、役に立つとは思えない物質内部の小さな穴に、大きな意味と可能性を見いだしたものだ。その着想を得たのは、京都大の博士課程修了後に在籍した近畿大理工学部の助教授のときだった。京都大のような最先端の実験装置は近畿大にはなく、京都大の計算機を使わせてもらったという。
坂口さんは京都大医学部を卒業後に大学院を中退して愛知県がんセンターの無給の研究生になった。「本当に興味が持てることを探していた」という。
制御性T細胞の存在を提唱したのは、4つの研究所を転々とした米国留学時代で、受賞決定後の会見では「研究費の獲得に苦労したこともある」と、楽しそうに話した。
恵まれた研究環境や待遇とは言えないけれど、自分の力を発揮できる「居場所」を、北川さんと坂口さんは見つけられたのだと思う。
多孔性金属錯体で気体の貯蔵や分離ができるのは、気体の分子が自分に合った穴を見つけ、その中にとどまるからだ。
日本の科学力の低落に歩調を合わせるように、博士課程進学者は減少傾向にある。研究設備や待遇改善への投資はもちろん必要だが、日本の将来を担う若い研究者にとっては、小さくても能力が発揮できる自分に合った穴(居場所)が、何より大切なのではないか。
自己組織化
北川さんは、ジャングルジムのような規則的な立体構造を持つ多孔性金属錯体を、「自己組織化」という現象を使って作るという。自己組織化とは、有機分子とつなぎ目になる金属イオンからなる素材を混ぜると、ジャングルジムのような複雑な構造体が自発的に組みあがる現象のことだ。
この分野の先駆者である東京大学卓越教授の藤田誠さんの研究を平成21年に取材したとき、一番印象に残ったのは、自己組織化のカギになるのは、分子間に働く「弱い結合力」である、という説明だった。
素材となる分子を水中で混ぜると、分子間の結合力が弱い場合には結合と分離の試行錯誤を繰り返して安定した位置関係に収まる。結合力が強いと、最初の結合状態で固まり、自己組織化は起きないという。
たとえば、宇宙開発における日米の産官連携を比べると、日本では特定の企業との繫(つな)がりが固定化し、人と組織の流動性、柔軟性が米国より格段に小さい―と思われる。強い結合力が自己組織化を阻害し、持てる力を十分に発揮できていないのではないか。
3年前のサッカーW杯でドイツ、スペインを破った日本代表に、筆者は自己組織化の大きな可能性を感じた。選手同士が繫がり方を確かめ、試行錯誤を重ねて個々の力を発揮できる形を見いだした自己組織化型のチームは、楽しくて強い。日本の科学(サイエンス・ジャパン)も、そこを目指すべきである。(なかもと てつや)