朝比奈秋 × 青木彬が考える「幻肢」の想像力「切断された足は見えないけど、確かにここにある」

 12歳で骨肉腫を発症し人工関節を入れた右足を、30歳で感染症のために切断した。だが、義足をつけた後も無くなった足の存在を感じる幻肢が続いた。その体験を記録した青木彬『幻肢痛日記』(2024年)。ハンガリーの病院で働くアサトは、悪性腫瘍のため左手を切断し、移植手術を受けた。麻酔から覚めると白人の手がつながっていた。彼の妻はウクライナを取材しており、国境紛争と移植の拒絶反応が並んで語られる朝比奈秋の小説『あなたの燃える左手で』(2023年)。幻肢をあつかった著者同士が、対話した。(取材・構成/円堂都司昭)

幻肢痛は、寝られないくらい痛い

朝比奈秋

――お互いの作品の感想から。

朝比奈:『あなたの燃える左手で』で左手を切断し移植する話を書きました。どの小説もそうですけど、僕はあまり取材をしません。医学的な整合性は論文でチェックしましたが、インスピレーションとイマジネーションで書いた部分が相当あります。『幻肢痛日記』を読ませていただいて、幻肢痛にこんな可能性があるのかと教えられると同時に、自分の小説も取材しないで書いたわりには、間違っていなかったと思いました(笑)。

 無いはずの手が痛む幻肢痛とはべつに、手があるという感覚は、たぶん誰にでもある。筋肉や骨の感覚にオーバーラップして、手や足があるという存在としての感覚があるんです。それが僕にもあるから、小説に書いた。僕は想像力を介してですが、青木さんは実感として見えない存在と応答し続け、探求して自分なりに前に進むのが面白かったです。

青木彬

青木:ありがとうございます。『幻肢痛日記』出版後、『あなたの燃える左手で』を編集者に紹介してもらいました。僕はアートのキュレーターという仕事の関係で本は読みますが、小説を読むのは久しぶりでした。面白くてのめりこみました。主人公が失った腕の代わりにもう一方の腕を鏡に映し幻肢痛を抑えるシーンがあったり(※そのような治療法がある)、失った体を感じ続ける。そこに失った家族のことが重なったり、いろいろな経験が反映されるところが、自分の経験を通して実感を持って迫ってきました。朝比奈さんは医師として医療現場にいらしたから描写がリアルで、ビジュアルもディテールが浮かぶ。

朝比奈:『幻肢痛日記』には、医者や看護師から毎日、痛みを0から10までの間の数字で表してくれといわれ嫌になるとありました。僕が医学界を背負っているわけではないけど、申し訳ない気持ちがあります。医者は科学者なので、基本的に医学的な尺度や基準を通して人を見ます。医学でしか解決できない問題もありますが、人は医学的な尺度に限定されないので、それだけでは十分ではない。治療を受けたり入院したりするのは、患者としてではなく人としてそうするんですから。幻肢痛も痛みだけで測れない。医療でも今後、体のあらゆる痛みに対して敬意が払われるようになっていくでしょう。

青木:朝比奈さんの小説の登場人物は『あなたの燃える左手で』の主人公もそうだし、『サンショウウオの四十九日』も自分の体に敬意を払ってほしいという感覚がすごくある。例えば、国境の話と幻肢がオーバーラップしたり、1つの体に2つの人格が宿ったり、体のなかで競りあうような感覚は、医学としては表現しきれない部分でしょう。

 幻肢痛は、寝られないくらい痛い。でも、痛いことに意味があるはずだと思ったし、痛み止めの薬を飲めばおさまるかもしれないけれど、それをなくして殺してはいけない気がしたんです。痛みの先になにか存在があるなら、それに耳を傾けたいと思いました。これは、今でなければ向きあえない感覚だというところがありました。

現実の体験だけでなく、芸術的な広がりを持っている

朝比奈:幻肢痛と幻肢って、どう違うんですか。幻肢痛が弱くなって痛みが気にならなくなったら幻肢というわけでもないですよね。

青木:一番最初、手術からベッドに戻ったら朦朧としていたけど、足が燃えるように熱かった。手術は失敗して血まみれの足がまだついていると感じました。でも、見たら、膝ぐらいで包帯ぐるぐる巻きになって先になにもない。これが幻肢痛かと感じました。その時は痛みというほどではなく、2、3日後に痛みが激しくなり、どこから発生するのだろうと当事者研究的にレポートし始めたんです。痛みの背後に幻肢の感覚がずっとありました。

朝比奈:幻肢痛が痛覚だとすれば、幻肢というのは存在感?

青木:本では、幻肢という感覚を「無いものの存在」と書きました。切断された足は見えないけど、確かにここにあることをどうしようもなく僕は知っている。「無いものの存在」というキーワードを使いながら、その感覚を探求しているところです。

朝比奈:ある意味で僕も同じような体験をしています。小説は毎回、プロットは決めず、まず映像が浮かび、これはどういうことだろうかと受け手として書くんです。『あなたの燃える左手で』では切断しても手の感覚があると主人公が話すと、妻が「手はなくならないのよ」といいます。そのセリフが浮かんだ時、僕自身も、そうか切断してもなくならないのかと感じました。『文學界』で『幻肢痛日記』を紹介した際、「足は切断してもなくならなかった、肉や骨を脱ぎ捨てたけどまだ足はある」と書けたのは、そんな感覚を経験したからです。

青木:『あなたの燃える左手で』では、奥さんが電車で主人公の無い腕のところに手を重ねるシーンが印象的でした。僕は、まだ義足をつけず松葉杖で電車に乗って椅子に座ったら、幻肢で足がまっすぐ伸びている感覚があるところに人が立ってドキッとしたことがあります。自分の領域に他人の肉体が重なる不思議な感覚でした。

『あなたの燃える左手で』の奥さんの場合、コミュニケーションとして意図的にそうしている。僕の妻も幻肢を気にして触ってきます。見えない体に他者が働きかけてくる。身近な人だからこそ感覚を共有できるのかなと思いました。

 また、僕が切断したのが足でなく手だったらと、違いも考えました。幻肢については、見えない足を動かせたら面白いと想像力を働かせたんですけど、どうしても足の輪郭に幻肢の存在感が閉じこめられるんです。もし手だったら、積極的な部位ですからいろんなものに触ったり、世界に対して違う働きかけをするでしょうね。

朝比奈:『幻肢痛日記』には幻肢がもし以前にあった体の記憶なら、宇宙に行った時、足だけ重力を感じるのではないか、とありました。足は体を支え、常に重心を感じて微妙なバランスをとっています。だから足の幻肢痛の方が、重心だったり重みの感覚が強いのではないかと思いました。

『幻肢痛日記』は体験記でありつつ、アートのキュレーションを仕事としていることが反映されています。現実の体験だけでなく、芸術的な広がりを持っている。また、前と同じように歩きたいというような、もとの足への執着がなく、前向きな探求心を感じます。

 日記やエッセイは現実に基づいていて、実際に自分はこう感じたといわれたら、他人は反論できない。それが現実や体験の強さですけど、体験だけではこういう本にはならない。現象を通してなにかを知ろうとして、言語化し続け、思索を深めたからでしょう。僕も小説を書きながらいろいろなことを思い出します。無自覚にあった偏見、トラウマなどを思い出し、以前は感じきれなかった痛み、理解できなかった苦しみを再体験する。乗り越える方法は人それぞれですが、物語が効果的な場もあります。青木さんにはぜひ小説を書いてほしい。

青木:それは、開けちゃいけない扉(笑)。僕はもともと本を読むのは苦手で、本当に読書を始めたのは高校3年生くらいから。舞台監督だった父親の影響もあって芝居は見ていたんですが、病気もあったから、傲慢ないい方ですけど、自分の人生の方に興味があった。でも、高3の数学の先生がおすすめ本リストを渡してくれて、三島由紀夫の小説を手にとり、こんなに面白いものがあるのかとのめりこんだのが、読書体験の始まりでした。

 大学生の頃、父親が脳腫瘍で入院し、亡くなる直前にはまともにコミュニケーションがとれなかったので距離を置いていたんですが、たまたま病室で2人きりになった時がありました。ちゃんと話せるのは最後かもしれないと、進路を選択する時期だったから父に、僕が舞台監督になったら嬉しい? と聞いてみたんです。「嬉しい」といわれたら自分は大学を辞めてそうなろうと思ったんです。誰かに選択を任せた方が楽だから。そうしたら「出役でもいいよ」といわれ、出役はやだよっていったんですけど(笑)。言語でスムーズにコミュニケーションをとることは難しかったんですけど食い下がって聞き続けると、彬の好きなことをすればいいといわれ、それが一番難しいなと思いながらも芸術に関わることを選び、今はキュレーターにたどり着きました。なにかを企画したり場をしつらえる職業だから、舞台監督っぽいといえるかもしれません。もしかすると、エッセイを書くとかは出役的かもしれませんが。

朝比奈:自分が出ていますからね。

青木:エッセイが逃げなのかはわからないですけど、現実を足場にしたいというか。

朝比奈:『幻肢痛日記』はすごく言語化されていると感じましたけど、三島由紀夫を読んでから言語化し始めたのか、生まれつきの癖だったのか。

青木:小さい時から芝居を見せられて言葉のインプットが多かったんでしょう。骨肉腫で入院した12歳の頃、自分と体をちょっと意図的に乖離させる感覚がありました。目をつぶって自分の空洞な体のなかをイメージして、コックピットの自我が悪いところはないかと探検するんです。抗がん剤治療で体重が落ち、髪の毛が抜け、毎晩のように吐くなかで、自身と向きあうのを強制された経験がありました。今自分がなにを考えているとか、意識を向ける訓練をされてしまったような。それが今でも尾を引くように残っています。

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