「日の丸」振るのに迷う日が来る? 国旗損壊罪法が奪う“自由”

メキシコW杯最終予選の韓国戦で、超満員となった国立競技場のスタンド=1985年10月26日

 日の丸の旗を、私が初めて振ったのは41年前の1985年10月26日、東京・国立競技場だった。

 86年にメキシコで開かれるサッカー・ワールドカップ(W杯)のアジア最終予選で、日本と韓国が激突した。

 高校3年生の私はサッカーには詳しくなかったが、友人に誘われて観戦した。後に「伝説の日韓戦」と言われた試合だ。

 68年のメキシコ五輪での銅メダル獲得以来、日本サッカーは長い低迷期に入っていた。84年4月のロサンゼルス五輪最終予選では4戦全敗。メキシコW杯予選も苦戦が予想された。

 ところが、強敵の北朝鮮を破るなど快進撃を続けた。最終カード、ホームアンドアウェー方式で争う日韓戦の結果次第で、悲願のW杯初出場が決まることになった。

 当日、競技場近くで日の丸の小旗が配られていた。スタンドは6万2000人の超満員。人数以上に驚いたのは、日の丸の多さだった。大小無数の旗が風にひるがえる。「こんなに多くの日の丸を見たことはない。きれいだ」。そう思った。

 試合は前半に2点を先取された。前半終了間際、敵陣で日本がフリーキックを得る。木村和司選手が右足を振り抜くと、ボールは韓国選手の壁を越えて、相手ゴールに突き刺さった。

 その瞬間、後にも先にも聞いたことのない大歓声。隣の若い男性が「メキシコだー! メキシコだー!」と絶叫して小旗を振っていた。私も振った。スタジアムに、日の丸の波が広がった。

 日本は1―2で敗れ、韓国での第2戦も負けてW杯出場はならなかった。

 それから41年。日本代表は劇的に強くなった。現在開催中の北中米3カ国W杯では惜敗したが、強豪中の強豪ブラジルを苦しめた。その未来は明るそうだ。

 しかし、日の丸を巡っては暗雲が垂れこめている。

いびつな「立法事実」

 国旗・日の丸を損壊する行為などを処罰する法案が今国会に自民、日本維新の会、国民民主、参政の4党によって共同提出された。

 昨年、自民と維新は連立合意書に日本国旗損壊罪の創設を盛り込んだ。高市早苗首相も就任前から制定を望んでいた。

 6月30日、衆院本会議で法案は可決された。しかし採決では、全野党が欠席。立法を目指していたはずの国民民主と参政が賛成しないという、「永田町珍劇場…

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