首相目指した「広報のプロ」世耕弘成氏、復党審査また持ち越し 政治遍歴に2つの「因縁」
自民党は15日、党紀委員会を開き、派閥政治資金パーティー収入を巡る不記載事件で離党した世耕弘成衆院議員(和歌山2区)の復党を審査したが、8月に続いて結論を持ち越した。世耕氏は安倍晋三元首相の信任を得て官房副長官や経済産業相を歴任し、参院自民党の実力者として権勢をふるった。離党後は衆院にくら替えし、自民党公認候補を破って当選した。世耕氏の政治遍歴には地元・和歌山での二階俊博元幹事長の陣営との対立と、かつて活動の拠点とした参院自民党の幹部からの厳しい批判という2つの〝因縁〟がある。
15日の党紀委員会では復党を認める結論には至らなかった一方、明確に反対する意見は出なかったという。浅尾慶一郎党紀委員長は会合後、記者団に「反対という意見はない。時期尚早と、認めるという意見だ」と説明した。具体的な意見の内容は明かさなかった。
岸田首相に国会で苦言も
世耕氏はNTTの広報担当課長から政界に転じた「広報のプロ」として知られる。第2次安倍政権では官房副長官を約3年7カ月務めた。旧安倍派の有力者「5人衆」の一角を担い、党参院幹事長として強い影響力を持った。令和5年10月の参院本会議では岸田文雄首相(当時)に「首相の決断と言葉には、いくばくかの弱さを感じざるを得ない」と苦言を呈するなど、発信力を武器としてきた。
参院本会議で代表質問する自民党の世耕弘成参院幹事長。上右は岸田文雄首相(いずれも当時)=令和5年10月25日政治的な野心も隠さなかった。令和4年1月の産経新聞のインタビューでは「政治家である以上は、トップを目指していきたい」と明言。首相を目指す上で衆院へのくら替えを念頭に置きつつ、「地元を割るわけにはいかない」と語っていた。
その2年後、世耕氏は地元を二分する衆院選に踏み切ることになる。
転機となったのは令和6年の不記載事件。世耕氏の政治団体では平成30年から令和4年までの5年間に計1542万円の不記載が判明し、6年4月に離党勧告処分を受けた。党は不記載額だけでなく、派閥運営の中枢にありながら不適切な会計処理に適切に対応しなかった政治責任を重くみた。
世耕氏は離党後、参院から衆院にくら替えし、令和6年10月と今年2月の衆院選に無所属で出馬して当選。今年5月に復党願を提出した。
二階家との対立、衆参2度の選挙
一つ目の因縁は、和歌山での二階氏の陣営との対立だ。
二階俊博氏(左)と世耕弘成氏令和6年の衆院選では、二階氏の三男、伸康氏が自民党公認で出馬した和歌山2区に、世耕氏は無所属で立候補した。不記載事件を謝罪する一方、安倍政権で培った経験や実績を訴え、党の応援弁士や街宣車に頼らず伸康氏を破った。
翌7年の参院選和歌山選挙区でも、世耕氏が支援した無所属の望月良男氏が、自民党公認の伸康氏を退けた。世耕氏側は2度の国政選挙で伸康氏に土を付けた形となる。
復党審査では、和歌山県連の意向も確認事項となった。8月6日の党紀委員会では、県連からの文書に「賛成多数」と記されていた一方、積極的に復党を求める文言がなかったため、委員から賛成多数の中身を確認するよう求める意見が出た。
記者団の取材に応じる自民党の浅尾慶一郎党紀委員長=10月15日午後、党本部(奥原慎平撮影)浅尾氏は今月15日の党紀委員会で、県連側に改めて確認した結果、復党への賛成・容認が多数を占めていたと報告した。
石井準一氏は「時期尚早」
もう一つの因縁は、世耕氏が長く活動の拠点としてきた参院自民党にある。
世耕氏は旧安倍派の参院側トップを務め、参院幹事長として存在感を高めた。記者会見でも積極的に発言し、就任後は週1回だった定例会見を2回に増やした。
今年5月に世耕氏が復党願を提出すると、参院自民党の幹部から厳しい批判が上がった。
記者会見する自民党の石井準一参院幹事長(当時)=4月15日午後、国会石井準一参院幹事長(当時)は6月30日の記者会見で、世耕氏が衆院選で自民党公認候補と争い、参院選でも公認候補に対抗する無所属候補を支援した点を問題視。党籍があれば「除名処分に値する」と批判した。
不記載事件を巡っても、大野泰正元参院議員の有罪判決と世耕氏の国会での説明を踏まえ、旧安倍派の資金の付け替えを世耕氏が主導したとの見方を示した。復党については「時期尚早」とする考えを重ねて強調した。
石井氏は7月14日の記者会見で、党本部に呼ばれ、世耕氏の復党について従来と同じ趣旨の意見を伝えたと説明。復党手続きへの対応は党執行部に一任したと明らかにした。
選挙の審判「それだけではない」
復党を審査する党紀委員会を巡っては、次回の日程や結論を出す期限も決まっていない。浅尾氏は審査を続ける考えを示した一方、今後の委員会の体制についても「何も決まっていない」と述べた。
世耕氏は無所属で2度の衆院選を勝ち抜いた。浅尾氏は8月の党紀委員会後、選挙で有権者の審判を受けた点を「重要な要素」としながら、「それだけではない」とも指摘していた。
選挙での勝利は復党を認める上での重要な材料となる一方、自民党公認候補と争った経緯は古巣からの批判を招いた。世耕氏が党を離れて積み重ねた政治実績は、復党を巡って相反する評価を受けている。(奥原慎平)