【桜蔭→1浪で医学部】スマホ手放せず医学部全落ち「共通テスト後、塾で大号泣」した医学部生ユーチューバーの現在地(東洋経済オンライン)
■桜蔭を卒業→1浪で京都府立医科大学医学部に合格 今回は、桜蔭中学校・高等学校を卒業後、1浪して京都府立医科大学医学部に合格し、現在は同大学4年生のにょみさんにお話を伺いました。 幼少期から教育熱心な家庭で生まれ育ち、優秀な子どもだったにょみさん。すでに幼少期には、将来はノーベル化学賞を取りたいという夢を持っていました。 しかし、中学校に入ってからは成績が低下し、学年でもかなり下の方になってしまったそうです。
それでも医学部に進むという新たな目標を見つけ、中学校での遅れを挽回しようとしたにょみさん。彼女が医学部に進みたいと思った理由はなんだったのでしょうか。浪人生活の1年は、彼女をどのように変えたのでしょうか。お話を伺います。 にょみさんは、東京都に生まれ育ちました。 家でついているテレビはいつも『NHKスペシャル』や『ダーウィンが来た!』など知的好奇心をくすぐる番組で、毎年のクリスマスプレゼントも図鑑だったと語るにょみさん。教育熱心な家庭で育った彼女の幼稚園の時の夢は、ノーベル化学賞を取ることでした。
幼少期から親のサポートのもと、ピアノ、水泳、バレーなどの習い事もさせてもらっていてたにょみさん。成績も優秀で、幼少期から思考を鍛える塾に通い、公立小学校1〜2年生の時は毎週日曜に父親に勉強を教えてもらっていました。 小学校の3年生になってからは四谷大塚に通い始め、4年生で入ったSAPIXのクラス分けテストでは、とても出来がよく一番上のクラスに入れたそうです。 「小さい頃から、地球の歴史とか化学の神秘・現象の神秘などに自然と興味がわく環境で育ててもらっていました。親がサポートをしてくれているから、習い事は続けるのが当たり前だと思っていたので、辞めるという選択肢はあまりありませんでした。
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しんどかったこともありましたが、当たり前に毎日のスケジュールをこなしていくことを経験したので、その経験で忍耐力がついた気がします。このように育ててくれた親には感謝ですね」 志望校は色々見て検討していましたが、桜蔭中学校・高等学校に決定。最後の年に少しだらけてしまい、合格可能性が80%から50%程度に低下したものの、無事合格することができました。 ■桜蔭に入学も、いつも補習 無事、桜蔭に合格して進学したにょみさん。しかし、学校に入ってからの成績は非常に悪く、桜蔭は成績が出ない学校ですが、「学年でもかなり下の方になってしまった」と感触を語ります。
「中学に入ってからスマホを持つようになって、結構遊ぶようになりました。友達とLINEをずっとしたり、おしゃれをして遊びに行ったり、LINEのタイムラインをずっと眺めたり、ジャニーズの動画を見たりしていたら、定期テストでいい点数が取れなくなり、いつも補習チームに入るようになりました。ノーベル賞を取りたいといった崇高な夢はどこかに行ってしまい、どうしたら可愛くなれるか、モテるかなど、青春することで頭がいっぱいでした」
中学3年生ごろからは挽回しようと思い、学校の勉強や、通っていた成増塾の課題に真面目に向き合い始めたものの、どの科目でも「基礎がすっぽりわかっていなくて、頑張っても理解できない状態が続いた」と語ります。 高校に上がっても成績は改善されない状態は続きますが、高校1年生のときには明確に医師になりたいと思い、医学部に行こうと思うことができたそうです。 「私は理系でしたし、自分の将来を考えた時に、人体の仕組みに興味があったんです。身近な方が亡くなるきっかけもあって、一番自分が興味の持てる分野が医学で、医師になるというよりは医学に向き合いたいという気持ちになりました」
しかし、模試では「自分の力を過信していた」こともあり、偏差値が高い医学部を志望校として記入し続け、判定はほぼE。 現役のときの共通テストも75%に終わってしまい、千葉大学、東京慈恵会医科大学、日本医科大学、順天堂大学の医学部を受けて、すべて不合格でした。こうしてにょみさんは浪人を決意します。 ■恵まれていた浪人時代の環境 にょみさんに浪人を決意した理由を聞いてみると、「自分が望んでいる偏差値が高そうな医学部と、自分の現在の学力のギャップが苦しくて、来年は学力をつけて高い偏差値のところを自ら選択したいと思ったから」と返してくれました。
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浪人生活は、現役のときからお世話になっていた成増塾の高卒部に通ったにょみさん。勉強をする場所は変わらなかったものの、勉強の集中力は圧倒的に高まったようで、「現役のときに隙間時間しかできなかった勉強に、1日まるまる空いたスケジュールを使えることはとても大きかった」と語ります。 「成増塾の高卒部では大きな自習室が与えられました。先生方から『そこでほぼ生活していいよ』って言われていたので、そこで浪人仲間の女の子たち7人くらいと寮みたいな感じで生活していました。受験勉強しているときは、それが救いでしたね。先生方の指導もとても良くて、自分に合っていました」
模試でもE以外の判定が出始めたことで、「この年はどこかには絶対受かるなという感覚が明確にあった」と語るにょみさん。現役のときは関東から出るつもりがなかったために志望校はずっと関東圏の医学部でしたが、2浪はしないと決めていたので、確実に合格するために名古屋大学・東北大学の医学部あたりを検討していました。 しかし、共通テストが難化した影響を受け、前年を下回る72%に終わってしまいます。 ■共通テスト後、塾で大号泣
「共通テストが終わった次の日、この結果を受けて塾で大号泣していました。医学部にいけない、終わったと。ですが、この年は平均のパーセンテージが例年より10%ほど下がった年だったので、私のパーセンテージでも共通テストリサーチで名古屋大学のD判定が出ていました。それ以外の大学も探したところ、京都府立医科大学がC判定だったのですが、判定が良かったことに加えて、思い切り育ったことのない土地でチャレンジしてみたかったことと、浪人したことで自信がついて理由もなくいける気がしたことから出願を決めました」
2浪はしないと思っていたため、なんとしてもこの年で医学部に合格すると決めていたにょみさんは、念には念を入れて併願校も多めに受けます。京都府立医科大学に加えて、私立大学医学部5校程度を受け、対策を重ねていきました。なんとしても医学部に行きたいというにょみさんの姿勢は、無事、試験で報われました。 「試験が続く2月後半に、学力が指数関数的に伸びた感覚がありました。私立大学の医学部2校に合格をいただけた時はホッとしましたね。本命であった京都府立医科大学は手応えがなくて落ちたと思っていたのですが、受かっていてうれしかったです」
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こうしてにょみさんは無事、1浪で京都府立医科大学医学部に合格することができました。 にょみさんに浪人してよかったことを聞いてみると「必然的に自分と向き合った大切な時間だった」、頑張れた理由については「今年で合格するしかないと思っていたから」と話してくれました。 「浪人して良かったことはめちゃくちゃあります。浪人の期間は、長い間、精神的にずっとしんどい状態が続きました。一生、大学に入れないような気がしていました。そんな状況で、不確実な将来に対して頑張れた経験が今すごく糧になっていると思います。あの不確実性の塊みたいだった状況に比べたら、今、何かがあってもポジティブに考えられますし、達観できるようになりましたね。塾の環境でみんなと一緒に頑張る中で勉強がわかるようになっていったのが楽しかったですし、仲間と一緒に勉強していた日々が心の支えになっていました。しんどい中でずっと頑張った時間を経験したので他者の辛い気持ちも理解できるようになりました。あの時間は自分にとって大事な時間でしたし、必要だったと思います」
現在、京都府立医科大学の4年生として大学に通うにょみさん。 入学してからは再受験で京都府立医科大学医学部に入った相方とともにYouTubeチャンネル「すしに餡。」で受験の経験や、大学に関する情報の発信をしています。 ■将来は医師をしながらスタートアップをやってみたい 医師の卵として勉強を続けるにょみさんに、最後に今後の展望について伺いました。 「将来はどこに進むかはまだ考えていませんが、医師をしながら医療系のスタートアップをやってみたいと考えています。医療には、自分たちが生きていく上で必ず関わります。ですが、現在、社会と医療が分離していると感じています。少しでも社会と医療を円滑に繋げられるようなものを作りたい、もっと社会を素敵に変えられたらいいなと思っています。そうした課題を解決していくため、現在は医療クリニックさん向けにSNSを活用して、医療を正しく円滑に届けられるようにマーケティング支援を行っているので、頑張っていきたいです」
かつては桜蔭で下位10名に入ってしまった彼女は、今、社会を変えていきたいという意識を抱えながら、医師になるという明確な目標を持って、日々の勉強や活動に取り組んでいるのだと感じることができました。 教訓:不確実な将来に対して頑張れた経験は、将来の糧になる
濱井 正吾 :教育系ライター