ウクライナ危機において「戦略の論理」に背を向けた米欧
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ウクライナ危機は、3年ほど前のロシアの侵略により、本格的な長期戦争へと悪化してしまいました。ここで解明されるべき重要なナゾは、なぜ関係各国とりわけキープレーヤだったアメリカが危機管理に失敗してしまったのか、ということです。その1つの答えは、相手を動かす「バーゲニング力」に求められます。ここでいうバーゲニングとは、自らの意思を相手に受け入れさせる相互作用のことです。
アメリカやヨーロッパのNATO諸国は、ウクライナに展開する戦力や危機に賭ける利害、自らの意志を通す決意において、ロシアに大きく劣っていました。それにもかかわらず、バーゲニング力で劣るワシントンやブリュッセルは、それに優るモスクワから譲歩や妥協を引き出そうとしたのです。これがウクライナ危機の管理を失敗に導いてしまった根本原因でしょう。
見過ごされるバーゲニング・ギャップ—軽視されたロシアの決意—
ウクライナ危機に関しては、これに深く関与してきた大国であるアメリカと「ドンバス戦争」の事実上の当事国であるロシアの間に、能力や利益、決意に大きなギャップが存在していました。にもかかわらず、危機の行方を左右するこれらの要因は、アメリカや西側諸国のウクライナやロシアへの政策には反映されてきませんでした。
このことに早くから気づいて警鐘を鳴らしたのが、政治学者のスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)でした。かれはウクライナ危機への西側の対応に「困惑」していました。西側は、あたかも「夢遊病者」のように戦争へと歩んでいる、ということです。
第1に、アメリカとNATO(北大西洋条約機構)はウクライナを助けるための直接の軍事介入をしないことを明らかにしていました。これは西側がウクライナに賭ける利害は死活的なものではなく、同国のために戦う決意にも欠けるという、ロシアへのシグナルに他なりません。このことについてのウォルト氏の以下の指摘は的確です。
アメリカのバイデン大統領は、アメリカがウクライナのために戦う米軍を派遣しないことを明確にしてきたし、ヨーロッパのいかなる主要国もそのようなこと(部隊の派遣)を提案していない。どちらかといえば、アメリカは米軍人を撤退させ、外交官を退避させることにより、逆のメッセージを送ってきたのだ…アメリカの対外政策の主流派は、誰もウクライナのために実際の戦争を行おうと思っていない。これは実際には(ウクライナが西側の)本当の死活的利益ではないと暗黙に了解されているということだ。
第2に、ロシアはウクライナがNATOという敵対する強大な軍事同盟に組み込まれることを防ぐことに大きな利害を持っているだけでなく、そのためには武力行使も厭わないという固い決意を持っていました。この点についても、再度、ウォルト氏の分析を引用します。
これとは対照的に、ロシアはその中核的目的すなわちウクライナのNATO加盟を今だけでなく将来のいかなる時点でも実現させないために、武力行使も辞さないことを明言してきた。それは以前の2014年における意思表示が例証していた…2014年の時と同じように、ドンバス地方へのロシア軍の現在の進撃は、西側の視点からすれば、不法であり、非道徳であり、弁解の余地がない。しかし、にもかかわらず、それは起こったのだ…ここで何が私を当惑させているのか。決意すなわちロシアが死活的利益(つまり戦うに値する利益)とみなすものが、西側にとって死活的とはいえない(つまり戦うに値しない)だけでなく、直接に関係する軍事力において著しい不均衡が存在する…ウクライナはロシアのすぐ隣にいるので、その航空戦力や陸上戦力からの攻撃に脆弱なのだ。
第3に、主要な関係国の相対的なバーゲニング力が危機の結末を左右するならば、西側がロシアを動かせる見込みは低かったはずです。すなわち、バイデン大統領や西側の指導者が、プーチン大統領にウクライナのNATO非加盟を公式に約束するといった譲歩をすることなく、ロシアに侵攻を思いとどまらせられるだろうという判断は、戦略のロジックから予測できる結果に目を背けた、矛盾するものだったのです。
当時、ウォルト氏の以下の見立ては的確だったにもかかわらず、かなり非難されました。
能力と決意の双方における、この大きなギャップにもかかわらず、アメリカ(そしてNATO全体)は、交渉において、双方で隔たりのある中心的問題にまったく譲歩の姿勢を見せてこなかった…NATOは今でもウクライナが加盟条件を満たせば同盟に入る権利があると主張している。ウクライナが早い段階で加盟できるとは誰も信じていないのに、西側は一つの点(ウクライナの加盟の非現実性、引用者)を繰り返し訴えればモスクワの懸念が和らぐと期待して、この抽象的な原則への立場を変えようとしなかった…この核心的問題に関して、ロシアが幾分か望むものを同国に与えることなくして、どうやって西側の指導者がこの危機を解決できると考えていたのか、わたしには理解できない…あなたの敵が現地で軍事的優勢を保持しており、あなたより結果をもっと気にしている場合、紛争を解決するには、あなたの方がある程度の調整を行う必要がある。このことは正しいとか間違っているとかの問題ではない。これは相手を動かす力(リバレッジ)の問題なのである。
ウクライナ危機において、利害や決意で優るロシアはアメリカとNATO諸国に対してバーゲニングで有利な立場にありました。したがって、ロシアは妥協しないだろうと予測できます。にもかかわらず、なぜ弱い立場のアメリカやNATOが強い立場のロシアから譲歩を引き出せると考えていたのかが、ウォルト氏やわたしにもナゾなのです。これは理論的なパズルであるだけでなく、直観にも反することでしょう。
こうしたアメリカの矛盾をはらんだウクライナ危機への対応の源泉は、政策エリートが陥りやすい以下の思考の「歪み」、すなわち「見たいものは見て、見たくないものは見ない」ということなのかもしれません。
「誤用」される歴史の教訓—ミュンヘンのアナロジー—
国際危機や紛争において濫用されるのが、「ミュンヘンの教訓」です。ウクライナ危機も例外ではなく、「ミュンヘンの教訓」がいつのまにか援用されていました。すなわち、プーチンはヒトラーの再来であり、少しでも弱みを見せればつけあがって侵略を続ける「大悪党」なのだから、ウクライナ危機において一切の妥協をしてはならない、という主張です。
イギリスのベン・ウォレス国防相(当時)は、ロシアに対する外交努力には「ミュンヘンのにおいがする」と発言していました。「ミュンヘン宥和の再来はごめんだ」との意図を示唆していたのでしょう。ただし、この歴史の教訓は全ての危機や紛争にあてはまるわけではありませんし、その誤用の代償も大きいのです。
第1に、国家間の対立をミュンヘンのアナロジーで理解してしまうと、それが善と悪との戦いに再解釈されてしまい、危機を政治外交で解決させる、あるいは終息させる可能性をほぼなくしてしまいます。
第2に、これは悪とみなされた敵を徹底的に倒す行動を正当化しかねないので、ウクライナ危機をめぐる核武装大国である米ロ間の恐ろしい核戦争のリスクを高めることにもなりかねません。要するに、ミュンヘンのアナロジーのメンタル・マップを持った国家の指導者は、プーチンという「悪」に対するいかなる妥協も許されないと考えてしまうことにより、危機や紛争への柔軟な外交的アプローチの幅をどんどん狭めてしまうのです。
興味深いことに、アメリカの世論調査(2022年2月)によれば、72%が、アメリカはロシアとウクライナの紛争において小さな役割を果たすか、全く何もすべきではないと回答していました。しかし、バイデン政権はロシアに対して妥協を拒む強い姿勢でのぞみました。
バイデン大統領はインテリジェンスからロシアの侵攻が迫っているとの報告を受けた際、「これは狂気の沙汰だ…何よりも第一にそれを防ぐのだ…しかし、このことを防ぐわれわれの能力には限界がある」と発言したにもかかわらず、「とにかくやれ。試してどうなるかを見よう」という投機的で論理的でない方針をとってしまいました(Bob Woodward, War, Simon&Shuster, 2024, pp. 68-69)。かれには、「なんとかなるかもしれない」という楽観バイアスがあったようです。
戦争を防ぐ失われた機会
ここで問われるべき最も重要なことは、米欧やウクライナがロシアに妥協すれば、戦争が防げたのかどうか、ということでしょう。時計の針を2022年2月以前に戻して、これを試すことはできないので、確かなことはわかりません。しかしながら、「反実仮想分析」を使えば、ある程度の推察は可能です。
ここでは、その1つとしてジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)の推論を紹介します。かれは、ロシアのウクライナ侵略が始まった後の3月1日に、『ニューヨーカー』のインタヴューを受けています。その一部を以下に紹介します(この対談記事は日本語に訳されています)。
理想の世界において、ウクライナ人は自分たちの政治システムや自身の対外政策を自由に選べるだろうから、これは素晴らしいことだろう。しかし、現実の世界において、これは実現可能ではない。ウクライナ人はロシア人が自分たちに望んでいることに深く注意しなければならない…もしロシアは、ウクライナがアメリカやその西洋の同盟国と連携するために、ロシアに対して実存的な脅威を与えていると考えるならば、このことはウクライナにとって、とんでもない損害を生み出すことになる。もちろん、このことは今まさに起こっている。だから、わたしはこう主張する。ウクライナにとって戦略的に賢明な戦略は、西側とりわけアメリカとの緊密な関係を断ち切り、ロシアに便宜を払うよう試みることだ、と。もしウクライナをNATOに含めようとする東方拡大の決定がなかったら、クリミアやドンバスはウクライナの一部であっただろうし、ウクライナにおける戦争もなかっただろう。
このような反実仮想分析には反論もあります。アンドレイ・スシェンツォフ氏(MGIMO大学)とウィリアム・ウォールフォース氏(ダートマス大学)は、ミアシャイマー氏が、アメリカはNATOを拡大させ、安全保障を追求するロシアを追い詰めたとの暗黙の前提に立っているが、これは理論的に矛盾していると次のように指摘しています。
もしアメリカが抑制的な戦略をとった場合、ロシアはヨーロッパ広域で自国優位の安全保障アーキテクチャを構築できたであろう。アメリカが本国に帰ったところで、(ロシアの)利益がどこかに行ってしまうことはないのだ。このことが意味するのは、もしアメリカが本当に本国に帰ってしまい、その後になって強い国益を認識して戻ってこようとしても、そこにはアメリカのパワーを受け入れようとしないロシア主導のヨーロッパ安全保障構造があると知ることだろう。
要するに、かれらにいわせれば、ヨーロッパにおける米ロ関係の悪化は、西側のせいではなく、現状打破の衝動にかられた米ロ両国の戦略的な競争の結果と見る方が適切だということです。
わたしは、この主張には無理があると思います。なぜならば、ロシアのパワーの優位性はウクライナなどの中小の周辺諸国で局地的に成立するにすぎず、ヨーロッパ大陸全体に全く及ばなかったからです。
繰り返されるドミノの誤謬
我が国では、ウクライナ危機でロシアに妥協することは、アジアにおける中国の現状打破行動を大胆に促してしまうのではないかと一部で懸念されています。ウクライナという最初のドミノのコマが倒れたら台湾というコマも倒れるという、かなり突飛な推論です。
岸田総理の「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」のだから、ロシアの侵略には毅然と対応するという姿勢は、多くの日本国民に受入れられたようです。イギリスのジョンソン首相も、当時、ロシアがウクライナに侵攻すれば、影響は台湾に及ぶといっていました。『アトランティック』誌は、「次は台湾か―ウクライナへのロシアの侵攻は中国がこの島の支配権を握る恐ろしい可能性をより現実的なものにしている―」と題する記事を発表しました。
こうした主張には頷けるところもなくはありませんが、東アジアにおける中国の攻撃的行動は、ウクライナ情勢ではなく、現状維持国に有利なバランス・オブ・パワーが保たれるかどうかに、より強く影響されるでしょう。潜在的侵略国への抑止の信ぴょう性を保つためだけの理由で、地理的に遠く離れた地域で行う戦争など不必要なのです。
戦争の防止や終結において、戦略の論理を無視することは、それに従った政策をとれば得られたであろう結果をもたらさないでしょう。ウクライナ戦争の関係各国が持つバーゲニング力から目を背けても、その効力はなくなりません。われわれはウクライナ危機の管理に失敗した事実を直視することにより、その間違いを学習すべきです。
ウクライナ戦争の終結交渉が進められる現在においても、米欧とロシア間のバーゲニング力の非対称性は、ほとんど変わっていません。もちろんウクライナ自身は自国の独立と主権を維持することに強い利益と決意を持っていますが、残念なことに、肝心の戦力ではロシアに大きく劣ってしまいます。
このような事実は「見たくないもの」なのでしょうが、「これを見る」という基本的な作業こそが、失敗の繰り返しを避けるためには必要でしょう。