東出昌大「クマを撃った!」駆除する猟師の本音
環境省によれば、今年4月~10月までのクマによる被害件数は176件、被害者数は196件と過去最悪のペースとなっている。連日、各所にクマの目撃情報、被害報告がニュースで報道され、われわれの日常を震撼させているなか、本誌連載中の東出昌大が寄稿したクマ報道に関する記事を配信したところ、話題を呼んだ。さまざまな意見が飛び交うなか、猟師として山に出入りする東出昌大がさらなる見解を述べる。(以下、東出昌大氏による寄稿)
昨日、Yahooニュースで今年の8月に私が書いたエッセイが記事になり、多くのコメントがついた。 見出しには「クマは危ないものじゃない」の文字が鮮烈に踊ったが、それはエッセイの中の表現の一部であり、マスメディアの人に「熊の凶暴性について」と“凶暴”“凶悪”を前提とした聞かれ方をした場合の返答だ。むしろ文中で言いたかったのは、クマ問題をこれ以上深刻化させない為に今後人間が取り組まなければならない課題についての私見であった。 熊は危ない。小学生のウエストくらいの木を薙ぎ倒した熊を山で見たことがある。爪や歯に触れ、その厳つさに恐れ慄いた経験もある。 「山で自分より高い位置にいる熊は撃つな」と先輩猟師には教わった。傷ついた子は時速50kmでこっちに跳んできて、逆襲されるからだ。だから1発で仕留めないといけない。 東北の被害は凄まじい。ブラフチャージ(威嚇攻撃)も含め、これ以上犠牲者が増えないことを祈る。 しかし、直接の被害を受けた現地ではないメディアが過剰に騒ぎすぎだとも、正直思う。 私の住む地域では最近「畑に熊の糞があった」と騒がれ、その対策として箱罠が仕掛けられた事が地方紙の一面を飾った。見出しには「さらに状況が悪化しないよう」の文字がデカデカと出た。しかし、まだ糞が見つかっただけで、熊そのものが目撃された訳ではないし、人も襲われていない。ましてや例年、その周辺の土地では我々猟師が熊を捕獲し駆除もしてきた。箱罠の設置は今回だけの異例措置では決してない。 この報道における「さらに」という言葉には、東北の熊被害のニュースの印象を引き継いでいやしないだろうかと思えて仕方なかった。 元々のコメントをされた役所の職員さんに他意はないだろう。これも私の推量の域を出ないが、真摯に「状況が悪化しないように」との思いから出た発言だと思われる。 記者さんも大変である。この前までは中古車販売業者の闇を暴き、その次は米で憂い、今ここで新たに熊を追わないといけないのだから。限られた人員で全ての問題の本質に迫って解を導き出し、尚且つ読者の心を踊らせる書き物を世に送り出すその労力は、私には想像すら追いつかない。だのにちょっと熊について生活の中で考えていただけの私のような青二才が出しゃばっていきなり指摘して来たら、立たない腹はないだろう。お気を悪くされたら申し訳ありません。 コメントをする人たちにも不満も抱かない。コメントを読みながらニヤッとしてしまう底意地の悪さを持つことも正直に告白するが、私なりにだが 「人間は不安の種を集めにいく習性がある」という暫定的な答えのようなものを持っているので、不安を匿名で掲示板に書き込みたくなる気持ちも分からないではない。 人間の場外乱闘は好まない。誰かが正論だと思う自論を吐き、別の誰かがそれを真っ向から否定し、双方に意見を出し合った結果が苛立ちという状況しか生まないのなら、なんと寂しいことか。黒目がちな熊も白い目を向けたいだろう。 そして、今まで書き連ねたのは全て私個人の私見である。短い経験の中で感じたことをつらつらと書いただけのことで、この文章にクマ問題を解決に導くヒントがあるとも思わない。言い訳をする訳ではなく、クマ問題は膨大な数の問題が複合的に絡み合っているので、この短い文章で私が言い切れることは残念ながら無い。 クマ問題に本当に興味がある人には、田口洋美先生、山﨑晃司先生、米田一彦先生の本をオススメしたい。 他にも熊について書かれた名著は数多くあるが、熊の習性や昨今のクマ問題について分かりやすく書かれており、理解を深めるには素晴らしい先生方の著作だと思う。
東出昌大
金属製の檻さえ頼りなく感じるクマ駆除の現場
「熊が檻に入ったから撃ちに来てくれ」 数日前から桃畑が熊に荒らされ、行政から駆除の許可がおり、猟友会のベテラン猟師が仕掛けた箱罠に熊が入った。 その日、山から下りて来たばかりの私はちょうど鉄砲を持って軽トラに乗っており、すぐに駆け付けられる状況にあった。 熊肉が食べられる期待と、殺しをやらねばならない憂鬱さを同時に抱きながら、オンボロ愛車のギアをガチャガチャやって田舎道をブッ飛ばした。 畑に着くと先輩猟師がお茶を飲みながら日向ぼっこをしていた。罠の場所の案内を受け、現場に向かう。 箱罠は畑の奥の茂みの、遠くから覗いても見え難い場所に置いてあった。しかし、人間が近付いて来る気配に気づいたのか、金属製の檻をバシャンと叩きながら「ゴアァッ!!」と吼える声が聞こえた。 鉄砲のカバーを外し、鳥撃ち用の散弾をポケットから抜き出す。 通常、狩猟で大型獣を狙う場合は弾の大きな一粒弾を使うが、罠の中の熊は至近距離で撃てるため、貫通力よりも当たる面接の大きな散弾を選んだ。 ランスで突くよりも、ハンマーでボガンッとやるイメージ。着弾が頭頂部なら、なおさら脳の広範囲が破壊され卒倒するだろう。 熊は近づく私を認めると、数秒押し黙った。「コイツハ オレニ 何ヲ シニキタンダ」私を見定める時間。 今まで山で生きてきた数年で、これほどに暴れても脱出の出来ない堅牢な金属製の箱に閉じ込められたことは無かったし、人生の中でもとんでもない事態に陥っていることは熊にも察しがついているのだろう。 銃に弾を込め、銃口を熊に向けて檻の隙間にスーッと近付ける。 熊は瞬時にその行為が「ナニカ キケン」だと感じ、吠え声を「ガオオッ!!」と明確な敵意に溢れた声に変え、鉄格子から手を伸ばしては銃口を振り払おうとする。その剣幕は腹にくる。いくら金属製の檻があっても、その檻さえ頼りなく感じてしまうほどに「こいつには勝てない」という絶望的な恐怖感を覚える。 私は頭蓋の中心を撃ち抜きたい一心。殺すなら無駄に苦しませたくない。そして興奮させ過ぎれば、肉も不味くなる。目の前の熊は箱罠が一瞬浮くほどに全身を鉄にぶつけ、憤怒をあらわにした興奮は絶頂を迎えている。 鉄砲を差し込むたびに熊は暴れ、剛腕を振るい、強靭な顎で噛みつこうとし、それを避けながらまた鉄砲を差し込む攻防が数十秒続いた。 そして数秒、熊の動きが緩慢になった。 「今だっ!」と引き金に指をかけて発砲、その一瞬間、鉄砲の照準器の先で熊が首を上に振り上げる素振りが見えた ドゴォアアァァァンッ!! 放たれた銃弾は熊の鼻先から下顎にかけてを吹き飛ばした。と同時に熊は檻の中で立ち上がろうと窮屈な姿勢になりながら、両手で顔を覆った。 「フゴッ!アァァ〜!」熊の口元から叫びにならない声が、そして真っ黒な両手の間からは泡だった鮮血がボトボトと溢れ落ちた。 のたうち回る熊の脳天を鉄砲で追いかけ、数秒後、二の矢を放つ。 ドチャンッと熊は、檻の中で力無く崩れた。 半壊した熊の顔を見て、舌が口から垂れていることを確認する。「野生動物は死ぬとベロを出す」と猟師の間では言われている。 しかし、まだすぐに檻は開けない。散弾を受けた頭頂部の傷口からは白い骨やピンクの脳漿も見えているが、脳震盪で気絶している可能性も捨て切れない。 動かないことを確認する時間が3分ほどあったが、熊の死体の横にしゃがみ込みながら色々な考えが巡った。 「痩せてるなぁ」「こいつは何で山から下りて来たんだろう」「鉄砲を怖いものだと分かっているようだった」「1発で仕留められなかった」 なにより、半壊した口もとを両手でかばった姿が本当に痛そうで、 「痛かったろうな」「申し訳なかったな」「いや、ほんと、申し訳ない」と、ずっと謝りたい気持ちが湧き起こり続けた。 体重40kgほどのオスの成獣だった。 人間でいえば大学生くらいの子だろうか。 最後に食った桃は、美味く感じただろうか。 今この子の胆嚢は、胃薬として我が家の冷蔵庫に入っている。 これは一昨年の夏の話。私は今まで熊を駆除で3頭か4頭撃ってきた。明確に思い出そうとすれば記憶が辿れそうなものだが、狩猟と違い駆除は何か人間都合の矛盾みたいなものも孕んでいるような気がしてならなくて、あまり思い出したくも無い。熊の足