「心は存在しない」「物理は存在しない」――脳科学者と物理学者が語る“世界は本当にあるのか”(AERA DIGITAL)
毛内 逆に僕は「脳がなくても物理ってあるのか」ってことを物理学者に聞きたいです。音にせよ光にせよ、結局のところ電磁波じゃないですか。 例えば音は空気の振動でそれを耳でキャッチするから音になるんですよね。ということはやっぱり脳が必要ですよね。『物理は存在しない』でも書かれていますけど、最終的に量子力学って「観測する」ことがファクターに入ってくるわけだから、観測者、要は脳が必要だっていうことになりませんか? 面白い実験があって、生まれたての赤ちゃんでさえ「物を投げれば上から下に落ちる」という物理法則に反することを見せると驚くんだそうです。驚きっていうのは表情とかで定量できるのでどれくらい驚いたかも分かるらしいんですね。同じことが、猫でも分かっているそうで。 田口 脳がどうやって物理法則を認識してるかっていうのは、それで分かるかもしれないですね。今は光遺伝学があるから、どこを止めたら物理法則と異なったことを見せて驚かないのかを実験できそう。 毛内 物理法則をつかさどるような脳回路か。考えたこともなかったですね。 ■「F=ma」は人間が作った“世界の理解の仕方” 田口 僕の新刊『物理は存在しない』では、人間が認識してるのは「F=ma」のような世界だけど、人間には直感的には理解できない量子力学がより正しく世界を記述しているんだってことを書いてるんです。 その意味で、「F=ma」は嘘だってこの本では主張していて。毛内先生のお話を聞くと、猫や犬、赤ちゃんもそういう「F=ma」の認識を持ってるとなると、脳のどこかに「F=ma」で世界を解釈する回路があるんじゃないかな。 毛内 『物理は存在しない』って、気になるタイトルですよね。物理は存在しないってどういうことなんですか? 田口 ひとつ前の本『知能とは何か』で、「生成AIと人間の知能はどう違うのか」ということを書いたんですよね。結局、生成AIも人間も世界を解釈するシミュレーターを作っているに過ぎなくて、どっちも知能だと言えるんじゃないかという結論に至った。 そう考えると、人間が見ている世界はあくまで解釈で、現実とはズレが生じる。そのズレの一例として、高校物理でおなじみの「F=ma」は、量子力学的に見たら存在しないものだけど、人間が動物として理解しやすいがために作り出したものだって書いたんですよね。それを、編集者と話していたときに僕が「物理は存在しないんだ」っていう言葉を言ってしまったので、じゃあそのタイトルで書きましょうっていうことになった(笑)。 高校物理で「F=ma」が難しくてつまずいちゃう人もいると思うんですが、実際にはこの数式は人間が世界を認識するために考えた都合のいい理由に過ぎないから、これが分かんないということと本当の物理が分かんないっていうことは、必ずしも同じじゃない。 毛内 たしかに、僕も大学で生物物理を教えてるんですけど、「F=ma」から入らないで身近な生物の理屈から入っていくと、物理ってこんな面白いんですねみたいな反応が多いですね。みんな数式アレルギーがある子が多いから。 結局多くの人は、これを勉強して何の役に立つんだって思っちゃう。ボールを投げてどこに着地するかを計算できるって、それで結局ロケットが月面着陸までしちゃうわけだからものすごい理論なわけで、大発明だとは思うんですけど。 田口 そうですね。「F=ma」を勉強しちゃうと、かえって量子力学は難しくなるから、高校生にも最初から力学じゃなくて量子力学を教えた方が、量子力学ネイティブな人ができるんじゃないかみたいな極端なことを言っている人もいるぐらい。 【著者プロフィール】 田口善弘(たぐち・よしひろ)1961年、東京都生まれ。中央大学理工学部教授。1988年東京工業大学大学院理工学研究科物理学専攻博士後期課程修了。同年、東京工業大学理学部物理学科助手。97年より中央大学理工学部物理学科助教授、2006年より中央大学理工学部物理学科教授。『砂時計の七不思議―粉粒体の動力学』(中公新書)で第12回講談社出版文化賞科学出版賞受賞。スタンフォード大学とエルゼビア社による「世界で最も影響力のある研究者卜ップ2%」に2021年から2025年まで5年連続で選ばれた。 毛内拡(もうない・ひろむ)1984年、北海道生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院自然科学系助教。東京薬科大学生命科学部卒業後、東京工業大学(現・東京科学大学)大学院で博士号(理学)を取得。日本学術振興会特別研究員、理化学研究所研究員を経て、2018年より現職、生体組織機能学研究室を主宰。脳の情報処理機構やグリア細胞の研究に従事し、文部科学省の「世界で活躍できる研究者戦略育成事業」であるTRiSTARフェローとしても活躍。『脳を司る「脳」―最新研究で見えてきた、驚くべき脳のはたらき』で第37回講談社科学出版賞受賞)。