「毎日15分位は指導してやる」「早く日本に帰ったほうがいい」…渡米した若手数学者を待ち受けていた「試練」の連続
波乱万丈、紆余曲折…80歳を目前に破天荒な天才数学者が振り返る「人生談」!
「内定取り消し」でお先真っ暗な社会人1年目から「数学」を広めに世界5大陸を駆け回るまで「山」と「谷」に満ちた半生を送ってきた筆者が実践する、身体は老けても全身全霊で余生に向き合う「こころのありかた」とは。
“数学の伝道師”秋山 仁が語る七転八倒の体験的アドバイスが詰まった一冊『数学者に「終活」という解はない』より一部抜粋・再編集してお届けする。
『数学者に「終活」という解はない』連載第2回
『「内定取り消し」から世界へ!…大学講師への道を失い、「お先真っ暗」だった研究者が単身アメリカへ旅だったワケ』より続く。
アメリカ留学怒涛の初日
Another day, another paper. Frank Harary
(一日一編の論文を) フランク・ハラリー(米国ミシガン大学数学教授)
指導してくれるハラリー先生はどんな人だろうか、期待と不安の入り交じった興奮状態で、機中でほとんど眠れず、デトロイトの飛行場に降り立った。到着ロビーに出ると、写真で見たことのあった髭ボーボーで眼光鋭い風貌のハラリー先生がわざわざ空港に出迎えに来てくれていた。
大学のある街アナーバーに向かう車中、先生は一人で話し続けた。慣れない英語とフリーウェイの騒音のせいで半分も聞き取れなかったが、先生の話は大体こんな内容だった。
「自分のところには世界中のたくさんの研究者から共同研究したいという申し入れがある。その中から、大した業績もないお前を受け入れてやったのだから、よほど頑張って研究成果を挙げてくれなければ困る。私のモットーは、Another day, Another paper(一日一編論文を書く)だ。お前もそのペースを目標にして研究に専念するように。自分はとても忙しい身だが、毎日合間をみて15分位は指導してやる。ランチが終わる頃、教職員食堂の前で待っていなさい」
とんでもないところに来てしまったと車中で思った。だが、久々に闘志が湧き上がった。
Photo by gettyimages一時間程走って、車は大学に着き、数学科の秘書に紹介され、キャンパス内のアパートと研究室のカギを渡された。ハラリー先生が、彼の家から毛布とヤカンとマグカップ、それにバスタオルなどの生活必需品を持って来てくれた。
日本から持っていったインスタントラーメンをヤカンで煮て食べ、衣服を丸めて枕にして寝た。これが留学の1日目だった。