アルツァフ共和国10万人は、「対テロ作戦」で生きる場所を失った【現地フォトルポ】(現代ビジネス)

あの日、すべてが終わった。 2023年9月19日、アゼルバイジャン軍はナゴルノ・カラバフにて、対テロ作戦という名の軍事攻撃を開始。アルメニア側のアルツァフ共和国首都ステケナパルトなど、アルツァフの軍事施設を攻撃、ステケナパルトの団地なども攻撃を受け32人が死亡。 平和維持軍としてナゴルノ・カラバフに駐留していたロシア軍は、アルメニア、アゼルバイジャン両国に停戦を呼びかけるだけで、同盟国アルメニアを防衛するための行為をなにもしなかった。ロシアは、ウクライナの軍事侵攻にかかりきりで、同盟国アルメニアの平和を維持する余力がなかったのだ。 アルツァフ共和国は、アルメニアは、事実上ロシアに見捨てられた。 アルメニア軍は、ロシア軍とアゼルバイジャン軍に、アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフの未承認国家)に通じる唯一の道ラチン回廊が封鎖され、ナゴルノ・カラバフに入ることすらできなかった。 そしてとうとうアルツァフ共和国は、アルメニア軍にも見捨てられたのだ。 同盟国ロシア軍に裏切られ、アルメニア軍に見捨てられ、残された未承認国家のアルツァフ共和国の軍は2−3万人程度のみで、強大なアゼルバイジャン軍にできることなどなにもなかった。 そして、ナゴルノ・カラバフ難民、アルツァフ共和国の人たちは、アゼルバイジャン軍にすべてを奪われた。 翌9月20日。アルメニアはアゼルバイジャンに全面降伏、アルツァフ共和国のカラバフ自治軍は撤退。アルツァフ共和国は実質消滅した。そして、2024年1月、アルツァフ共和国は名実共に消滅した。 この軍事侵攻により、2023年にわたしが取材した、ナゴルノ・カラバフ難民の4人の少女の父ミカエルは、仲間と故郷を助けるために戦死した。 地獄のような戦場に、アルツァフ兵のハイクはいた。 ハイクのいたポジションに、突如アゼルバイジャン軍の戦闘機から激しい爆撃の雨が降り注いだ。最初の攻撃で、兵士が1人死亡、1人が負傷した。ほかの兵士たちは、戦闘機に居場所が割れている状況で、負傷兵を助けるのは不可能だと判断し、その場を後にした。ただひとり、子どもたちの父親ミカエルを除いては。 負傷兵は叫んでいた。ミカエルはただひとり、負傷した仲間の救助を諦めなかった。ミカエルは爆撃の嵐のなか、真っ直ぐ、負傷兵の元へ走った。しかし、無常にも戦闘機からの爆撃は止まらなかった。ミカエルは戦死。3人残っていた兵士の内、2人が死亡。1人は足を失い死んだ。助けにきた救急車も爆撃された。生き残ったハイクは死んだふりをして夜までやり過ごし、闇夜にまぎれ、逃げ延びた。生き延びたハイクは、ミカエルの最後をフェイスブックに投稿した。ミカエルは本物の英雄だったと。 わたしの目の前で、たれさがったピンク色のウサギの耳が、ピョコピョコと動いている。 ウサギ耳の帽子をかぶっている9歳少女ノナは、戦死したミカエルの娘だ。ノナは、誕生日に友達からもらったというウサギ耳のついた帽子を被り、ピョコピョコと動く耳にあわせて、いつもニコニコとしていた。

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