【未成線の謎】京急久里浜線が三崎口駅から“延伸”できなかった理由 「五新線」はアーチ橋の遺構が現存

京急久里浜線の三崎口駅。「なぜここで線路が途切れているのか?」と、たびたび話題になった。本来はこの先、油壺まで延伸する計画だった この記事の写真をすべて見る

 観光開発や物流改善を掲げながら、時代の変化とともに完成に至らなかった「未成線」が各地に残る。形にならなかった夢の跡は、今も土地に息づく。観光資源として活用される例も生まれ、人々の想像力を揺さぶっている。AERA 2025年12月1日号より。

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京急久里浜線

 神奈川県の三浦半島。

 都心から1時間余りのこの半島に、「幻の鉄道路線」の夢の跡が残る。

 半島を走る京浜急行電鉄の久里浜線は、堀ノ内(横須賀市)から三崎口(三浦市)を結ぶ。終点の三崎口駅を降りると、不思議な光景が目に入る。ホームの先に「車止め」があり、線路は国道134号線の跨線橋をくぐった先まで延びているのだ。久里浜線を半島南部の油壺まで延伸する計画の名残だ。

 京急は1950年代、三浦半島の観光と住宅開発を目指し、鉄道を延伸する計画をスタートさせた。66年7月までに堀ノ内~三浦海岸間を開業し、75年4月には三崎口まで延ばした。だが、残る三崎口~油壺間(約2キロ)の計画は難航した。三崎口駅は三浦市中心部の三崎漁港からもバスで20分ほど離れているのも、このためだ。

 延伸ルートにあった小網代(こあじろ)の森は三浦半島の森と湿地が海へ連なっていて、環境保護団体や住民から反対の声が上がった。用地買収も思うように進まず、採算性への懸念も高まった。

 鉄道ライターの小林拓矢さんはこう語る。

「自然環境を守らなければならないという事情があったことを考えると、三崎口止まりになっても致し方ありません」

 2016年3月16日に京急は、久里浜線の延伸事業と周辺の大規模宅地開発の凍結を発表した。

 京急も「現時点で延伸の予定はない」(広報)と言うが、車止めの先に延びる鉄路には、まだ見ぬ景色を夢想させる“力”が宿っている。

京急・快速特急の三崎口行き。快特は京急の中で最も停車駅が少なく、最高速度120km/hで運転している

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奈良県五條市から和歌山県新宮市までを結ぶ計画だった五新線。計画は中止となったが、美しいアーチ橋の遺構が今も存在する

 奈良県五條市。

 県の中西部に位置し、吉野川沿いに歴史と自然が息づく。市街地を抜けると、吉野川の手前でぷつりと途絶えたアーチ橋が姿を現す。対岸まで届かず宙に浮かぶその橋は、未開通に終わった「五新線」の痕跡だ。

 五新線は明治時代の末期、国鉄によって奈良の特産品である吉野杉など木材を輸送する目的で計画された。奈良県五條市から十津川村を経て、和歌山県新宮市まで紀伊半島を縦断し、総延長112キロという壮大な計画だった。

 工事は五條側から始まったが、太平洋戦争の勃発で中断。その後、1959年に五条~城戸(じょうど)間の路盤工事が完成した。しかし、経済や社会情勢の変化などで凍結となり、87年の国鉄民営化で計画は廃止となった。

 鉄道は開通しなかったが、アーチ橋は観光資源として見直す機運が高まり、国道との交差部分以外は撤去されず、現存している。トンネルが素粒子研究に利用されたり、シイタケの栽培に使われたことも。

 そして五條市では、完成した路盤の一部を常時開放してスタンプラリーを実施したり、旅行会社と協力し五新線を歩けるウォーキングイベントを企画したりしている。

 市の担当者は言う。

「当時の最先端技術でつくったコンクリート製のトンネルが残り、豊かな自然も満喫できます。五條市の魅力を感じてほしい」(産業観光課)

 鉄道ライターの森口誠之さんはこう語った。

「未成線は、本来、地元の人からすれば“負の遺産”。しかし、五條市のように、未成線の設備を地域の観光や学びの場として再活用する動きは、ほかの地域でもあります。未完で終わった構造物が、想像力をかき立ててくれるのでしょう」

 未成線は過去の夢の跡──。だがその跡は、今もなお、人々の想像力をかき立てる。

(編集部・野村昌二)

1938年当時の国鉄和歌山線の五条駅(右)と王寺機関区五条支区。紀伊半島を縦断して新宮へ向かう五新線の建設が決定していた

AERA 2025年12月1日号

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ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。
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