だから「ズレた医者」が量産される…医師・和田秀樹「医学部が
8:17 配信
日本の医療にはどのような問題があるのか。医師の和田秀樹さんは「日本の医療は、患者のための医療になっていない。その原因は医学部の入試制度にある」という――。 ※本稿は、和田秀樹『幸齢党宣言』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。■日本の医学教育の問題点 こころの医療が日本でうまく普及しないのも、臓器別診療が50年以上も続けられ総合診療医の育成がうまくいかないのも、わが国の医学教育が悪いためだと私は考えています。 昔から問題にされているのは、研究重視、臨床軽視という傾向です。 大学医学部の教授選考において、臨床能力が優れた人より、論文をたくさん書いてきた先生が選ばれるため、若い医師たちは研究室にこもって、臨床をバカにするようになるのが大学医学部の問題であると以前から指摘されていたのです。 現在の上皇陛下が心臓のバイパス手術を受ける際に、東大病院に入院したのに、順天堂大学の天野篤(あつし)教授が執刀して話題になりました。 東大医学部が、研究業績で教授を決めていたのに対し、順天堂大学の医学部は腕のいい天野教授を引き抜いていたため、当時の皇室医務主管が腕の良しあしを比べて、天野先生にお願いしたからとされています。 このように、一般に国立大学では研究業績で教授を決めるのですが、私立大学では学校経営(附属病院の経営)のため、臨床能力で教授を決めることは増えています。 私も臨床能力に優れた教授が選ばれるほうが、医師育成のために望ましいとは思っていますが、アメリカ留学の経験からいうと、それだけでは足りないと考えています。 アメリカでは教授の多くが、教育がうまいということで選ばれます。 私も留学時に教えるのがうまい先生に学ぶことができたので、その後の臨床に自信をもつことができましたし、わかりやすい心のケアの方法などの本を書くことができるようになりました。 やはり教え上手な教授を増やしていかないと、いい医師が養成されない気がします。 それ以上に望みたいのは、入試の改革です。 実は、全国82の大学医学部すべてで、入試面接が行われています。 昔は入試面接で、たとえば寄付が多い受験生については点数を上げるということが行われ、不正入試の温床になっていました。 現在はそれが原則禁止され、医学部に入ってはいけない人を落とすための入試面接が行われています。 勉強だけできて、コミュニケーション能力が欠如した人を医師にしないためとか、医学部を出たのに医者になる気がない人を落とすためということになっています。
ただ、いくつかの点で、これが日本の医療の将来に悪い影響を与えると私は考えています。
■東大理3の入試面接が復活した理由 一つは、面接を行う教授から見て、医学部に入れてはいけない人という主観的評価で選ぶことの弊害です。 最近、東大医学部教授が勤務時間中に風俗で接待を受けるという破廉恥行為が写真付きで週刊誌で報道されましたが、それに対して学生たちは何の反応も示していないようです。 以前、東大理3(医学部進学コース)は入試面接をやっていたことがあるのですが、面接をしても意味がないということがわかり、いったん廃止しています。 ところが、それが復活しているのです。 きっかけになったのが、2014年の6月に5人の医学生が東大総長の濱田純一氏、医学部長の宮園浩平氏、医学部附属病院長の門脇孝氏の3氏に対し、公開質問状を送ったことだと言われています。 降圧薬ディオバンの「VART研究」、白血病治療薬の「SIGN研究」、アルツハイマー病の「J-ADNI研究」という、いずれも東大医学部の教授がかかわった臨床研究をめぐる一連の問題を「東大医学部、創設以来の最大の危機」ととらえ、学生への説明を求める内容でした。 これに対して、東大医学部は反省するどころか、面接をしないと生意気な学生が入ってくると考え、教育担当だったAという教授を中心にして、入試面接を復活させたと言われています。そして2018年に面接が復活しました。 A氏はその後、東大教授在任中に国際医療福祉大学初代医学部長となるのですが、数年で更迭(こうてつ)されています。私が聞いた話では、倫理上の問題のためだそうです。 つまり、東大医学部というのは、学生には「医師になりたいという高い志」を求めながら、自分たちは医学部教授だから何をやってもいいと思う教授が過半を占めるということを示しています。■気骨のある学生が医学を進歩させる 私が医学部に入学した当時は、入試面接はなく、免状がもらえればいつでも開業できるということもあって、学生運動がさかんな学部とされていました。有名な東大闘争も、医学部から始まっています。
若い医師たちが、教授たちの考えがおかしいとか、古いとか自由に言えるようでないと、あるいはそういう気骨のある学生が入るようでないと医学というものは進歩しません。
■教授に面接をさせてはいけない たしかに、アメリカやヨーロッパの名門大学では、入試面接があるのですが、教授には面接官をさせません。 そうすると、大人しい生徒ばかりが入ってくると考えられているからです。 アドミッションオフィスという入試センターに雇われたプロの面接官が、あえて教授に逆らいそうな、議論をふっかけそうな元気な受験生を合格させているのです。 現実に、今の心の医学の軽視や、総合診療の軽視など超高齢社会にそぐわない医学教育に対し、学生から声が上がらないどころか、医学部教授が明らかな不正をやっても黙っているというのでは、日本の医療は変わらないままになってしまいます。 さらにいうと、教授が医者に適さないと思えば、点数が足りていても落とすことができるというシステムは、多くの医師に無言の圧力を与えているという問題もあります。 私のように、現在の医学教育に批判的な医師は、それなりの数でいると私は信じています。 実際話をしてみると、私と似た考えの医師はたくさんいて、激励を受けることもあります。 ところが、私のように公然と批判する人はほとんどいません。 臨床をしっかりしている医師たちは、自分の子供も医者にしたいと願うことが多いようです。 ところが医学部の批判を公然とすると、子供が面接で落とされるリスクがあるのです。 だから医学教育批判に、二の足を踏むのではないでしょうか? 考えすぎかもしれませんが、親心として十分理解できることです。 しかし、そのために医学の、そして医学教育の進歩が阻害されるのです。■「変わり者」を落としていいのか もう一つの問題は、コミュニケーションに問題がある人や、「変わり者」を本当に落としていいのかということがあります。 私も受験生時代は、今でいう自閉症スペクトラムの発達障害だったので、面接があれば落とされていた可能性が高いと思っています。実際に、慶應義塾大学医学部を受験した際は一次試験は合格していましたが、面接が嫌で二次試験は放棄しました。 でも、よい教育を受け、よい師に恵まれ、それなりにまともな医者になり、精神科の臨床ではそうそう負けない医師になれたと思っています。 変わり者でも、いい教育を受ければちゃんとした医者になれるのです。 医学部の教授たちは、その可能性はないと考え、18歳のときにおかしな子供は一生おかしなままと考えて、入試面接で落とします。これが教育者と言えるのでしょうか? オックスフォード大学の精神病理学科教授であるサイモン・バロン=コーエン氏は、自閉症スペクトラムの人には天才が多く、画期的な研究をする可能性がある人が珍しくない。さらにいうと、異常な集中力を発揮する特性もあるので、手術の達人になりえると主張しています。 そういう人が入試面接で落とされるなら、日本からは画期的な研究者が出にくくなるし、手術の達人は生まれにくくなります。 大学の医学部というのは、臨床医だけでなく研究医の養成機関でもあるので、入試面接をする必要があるとは思えません。 変わり者を医者にしたくないのであれば、国家試験のときに面接をすればいいでしょう。
そうすれば、国家試験の対策のためにコミュニケーション教育をやるようになるので、医学生にもメリットがあります。ただし、手術の達人は減るでしょうが。
■現在の医学部入試は差別だらけ さらにいうと、2018年に東京医科大学の不正入試をきっかけとして、10大学の医学部で女性受験生らを不利に扱う不正入試問題が発覚しましたが、それも多くの大学で面接の点を低くするという形で行われました。 そのほかにも2005年に東京都目黒区の主婦(55歳)が群馬大学の医学部を受験し、合格者の平均点を10点も上回る得点を取っていたのに、年齢か性別による差別を入試面接で受け、落とされたという事件がありました。 この主婦は親の介護などの経験から医者になりたいと思ったのですが、逆にそういう人はいらないというのが大学の医学部なのです。■大学医学部教授の性善説はやめてほしい そして、その群馬大学では2007年以降、2014年に発覚するまで同一執刀医が30人も手術死させている事件が発覚しました。 臨床軽視、研究重視の体質によるものと考えられますが、そういう教授たちに入試面接をさせていいのかに強い疑問を感じました。 医学教育改革の第一歩は、入試面接の廃止だと私が考えるのは、このような理由からです。いい加減に、大学医学部教授の性善説はやめてほしいものです。 面接をやめると変な医学生が入ると考えている医学部教授はいるようですが、私たちのように面接のない時代に入学した側から言わせると、学生運動や公開質問状を書く医学生はいても、学級崩壊のようなことは起こったことはありません。 ちなみに、入試面接を採用するようになってからのほうが、「直美」といわれるすぐに美容医療に進む人も、医学部を出たのに医者にならない人もはるかに増えていることは付け加えておきたいと思います。 もともとは入試面接は、ペーパーテストの学力だけで難関校の入試を行ってはいけないという、文部科学省の意向や審議会の答申がもとになっているのですが、逆に政治が介入しないと改められないと考えられるものです。 入試面接をやったほうが授業がやりやすいという、医学部教授の都合が優先されているのですから、彼らが既得権益を手放すとは思えません。政治的な介入が必要なのです。 大学の医学教育を、超高齢社会に合わせたり、医療費の無駄をなくすようにするためにも、この入試面接の廃止は必須であると考えます。
百歩譲っても、入試面接のない大学をいくつか作らないと、面接をしたほうがいいのか、悪いのかの比較はできません。
■日本の医者には栄養学の知識が欠けている そのほかにも、医学教育の改革はいくつも考えないといけないことがあります。 総合診療や心の医療が学べる場にすることのほかに、私が超高齢社会にそぐう医学教育で必須と考えるのは、栄養学の教育です。 今ほとんどの大学医学部で、栄養学が学べません。 医学部では、病気を治す教育が主体となっていますが、高齢者の場合、今より元気にすることも医療の大切なテーマと言えます。 このような生活指導が大学医学部で学べないために、高齢者が元気になることについて医学が寄与できていないという問題があります。 その中で、スポーツ医学や栄養学が大切ですし、そのほうが、医療費のコストを下げることにつながるのですが、それがまったく医学のカリキュラムに反映されていないのは、重要な問題と考えます。 さらにコレステロールのことで問題にしたように、医学部で学ぶ栄養の摂り方は、疫学調査の実態と明らかに違うために、誤った生活指導を医者がすることになりかねません。 右については、多くの医者が信じているため、国家的な啓蒙が必要なので後述したいのですが、少なくとも医師の卵たちには、超高齢社会にそぐう、疫学データに反しない栄養教育も必要だと信じています。----------和田 秀樹(わだ・ひでき)精神科医1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、アメリカ・カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わっている。2022年総合ベストセラーに輝いた『80歳の壁』(幻冬舎新書)をはじめ、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『老いの品格』(PHP新書)、『老後は要領』(幻冬舎)、『不安に負けない気持ちの整理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)、『60歳を過ぎたらやめるが勝ち 年をとるほどに幸せになる「しなくていい」暮らし』(主婦と生活社)など著書多数。
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プレジデントオンライン
最終更新:7/11(金) 8:17