スティーブ・ジョブズは癌を告知された頃、ある日本人に留守電メッセージを残していた…20年来の知人が明かす「人間ジョブズの素顔」(文春オンライン)
「Hi, Haru. I’m Steve Jobs.」。2003年秋、ある日本人の留守番電話に、スティーブ・ジョブズの声が残されていた。この時期のジョブズはすい臓がんの告知を受け、人生最大の岐路に立たされていた。 【ソックリすぎる…】ジョブズの娘リサ。日本に来たときは13歳だった。 東京・銀座の画廊で⻑年、⽇本の「新版画」を集めたいというジョブズの接客を続けてきた松岡春夫さん。ジョブズは松岡さんの画廊の片隅でだけ、鎧を脱いだ「一人の人間」としての素顔を見せていたという。 元NHK記者・佐伯健太郎さんの書籍『スティーブ・ジョブズ1.0の真実』(晶文社)より、一部を抜粋して紹介する。(全3回の1回目/ つづきを読む ) ◆◆◆
日本に来るたびに兜屋画廊を訪れたジョブズは、人が少ない午前中が多かったが、1日に午前と午後の2回立ち寄ることもあった。 一度だけ、娘のリサを連れてきたことがあった。リサについては、ジョブズが親権を拒否し、養育もしなかったという複雑な経緯がある。 松岡さんがいる部屋に入ってきたジョブズは、「娘のリサだ」と言って紹介した。親子は勧められた椅子に座った。松岡さんはいつもどおり、マップケースから作品を取り出して、一つひとつ見せていった。 ジョブズは黙って作品に目を通していた。ただ、横にいたリサは、ほとんど関心がないという表情だった。松岡さんは「にこやかではなかった」と言う。そして、「たぶん、父親のジョブズさんとそれほど打ち解けていない頃ではないか」と話している。 これは、いつ頃のことだろうか。
リサが2018年に作家としてデビューした著書『Small Fry』には、14歳のときに学校の旅行で日本を1か月ほどまわったとき、ビジネスで日本を訪れていたジョブズがいきなり滞在先に現れて旅行のおみやげ代として1万円を渡し、彼女を驚かせたことが記されている。しかし、このときリサがいたのは東京から離れた場所だったので、画廊に来たのはこの時期ではないだろう。 また、ジョブズの自伝には、子どもたちが13歳の誕生日を迎えてティーンエイジャーになったら好きなところに連れて行くという約束をし、2010年に、妻ローリーンとの間に生まれた2人目の子どものエリンを、京都に連れて行ったことが記されている。その箇所には、「その20年前、ジョブズは、エリンの腹違いの姉、リサ・ブレナン=ジョブズがエリンと同じくらいの歳のとき、やはり、日本に連れて来ている」とある。リサは1978年5月生まれなので、日本を訪れたのは1991年頃ということになる。 自伝によると、このとき、東京のホテルオークラのすし店で、ジョブズはリサと一緒に大好物の穴子を食べた。そこでは、「温かい穴子が口のなかで崩れるほろりとした感覚をいまもよく覚えているとリサは言う」と記され、「父といてあれほどゆったり落ちついた気分になったのは、穴子のお皿を前にしたあのときがはじめてでした」と続いている。 松岡さんが接したリサが「にこやかではなかった」とすれば、画廊を訪れたのは、父親と穴子を食べる前だったのかもしれない。いずれにせよ、このときのリサは、新版画にはまったく関心がなかった。
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画廊に通うようになったジョブズは、時々、自分のビジネスについて話すようになった。 ジョブズは、ソニーの当時の盛田昭夫(もりたあきお)会長のことをよく話題に出して、「盛田さんにヘリコプターに乗せてもらって、東京を一周した」と笑顔で話していた。また、ソニーが開発したブラウン管の「トリニトロン」が欲しかったと話し、それに関する商談がまとまったときには、店内で子どものようにはしゃいでいた。 松岡さんは、「私たちはビジネスに関係のない第三者なので、ほかの人に話す必要がない。よっぽどうれしかったのではないでしょうか」と話している。
一方、ジョブズにとって、松岡さんの店に通った時期は、自ら創業したアップルから追放された時期とも重なる。 1985年4月23日、松岡さんは、ジョブズが厳しい口調でこう言ったのをよく覚えている。 「おれは1株を残してアップルを去るんだ!」 この12日前には、アップルのジョン・スカリーCEO(最高経営責任者)が、ジョブズにマッキントッシュ部門のトップから辞任し、新製品の開発に集中してもらうことを、取締役会で正式に提案していた。そのとき、ジョブズは友人に涙さえ見せていた。 その後、5月末にはジョブズはすべての業務から解任され、9月半ばにはアップルを辞めて、ネクストを創業した。ジョブズの自伝には、「1株残したのは、株主総会に出たいと思ったときに出られるようにするためだ」とある。 画廊を訪れたジョブズは、思わず、スカリーに対する怒りの言葉を、松岡さんにも吐いてしまったのだろう。当時の経緯と照らし合わせると、ジョブズはこのときから自分の身の振り方を決めていたことになる。 それでも、ジョブズの新版画への情熱が変わることはなかった。アップルを追放されたあとに立ち上げたネクストが苦境に陥ったときでもそうだった。 1987年4月に購入した「大坂高津(おおさかこうづ)」は、⻘色で強調された宵闇(よいやみ)の無人の寺だ。ジョブズの孤高の姿を作品に重ね合わせてしまう。