アステラス発・米アリアリス開発の抗NMDA受容体脳炎薬、前臨床で有効性…新薬候補とともにベンチャーに移った松本氏「中枢神経疾患にプレシジョンな治療を」

ニュース解説

米アリアリス・セラピューティクスの松本光之CSO(同社提供)

アステラス製薬が創製し、現在は米アリアリス・セラピューティクスが開発を進める抗NMDA受容体脳炎治療薬「ART5803」の前臨床データが、英科学誌ネイチャーコミュニケーションズに発表されました。アリアリスはアステラスが戦略上の理由で手放したART5803を開発するために設立された創薬ベンチャー。アステラスの元神経科学研究ユニット長で、ART5803とともにアリアリスに移って開発を続ける松本光之CSO(最高科学責任者)に、研究の意義や開発の展望を聞きました。

【抗NMDA受容体脳炎とは】

脳内のNMDA受容体に対する病原性自己抗体によって生じる神経疾患。自己抗体によって架橋されたNMDA受容体が内在化することで、シナプス機能障害が引き起こされる。主な症状は精神障害、行動異常、認知機能の低下、発作、昏睡、自律神経系機能の低下などで、死に至ることもある。発症は若年の成人女性に多い。

承認された治療法はなく、適応外の免疫抑制療法が行われるが、▽効果発現に時間がかかる▽十分な効果が得られない場合がある▽感染症など重篤な副作用のリスクがある――など大きなアンメットニーズが存在する。

実話をもとにこの疾患を描いた映画「8年越しの花嫁」(2017年公開)や「彼女が目覚めるその日まで」(原題「Brain on Fire」、16年公開)でも注目された。

片腕の抗体が受容体の内在化をブロック

――6月17日のネイチャーコミュニケーションズに、ART5803が抗NMDA受容体脳炎に有効である可能性を示唆する前臨床データを発表しました(論文へのリンク:https://www.nature.com/articles/s41467-025-60628-1)。松本さんは論文の責任著者ですが、今回の研究の意義についてどう考えていますか。

ART5803は、受容体の機能を阻害したり、内在化を引き起こしたりすることなく、NMDA受容体のGluN1サブユニットに選択的に結合するよう設計された片腕の抗体です。今回の研究では、ART5803が患者の病原性自己抗体によって引き起こされるNMDA受容体の内在化を強力にブロックし、霊長類動物モデルの行動障害を速やかに回復させることが示されました。

抗NMDA受容体脳炎の治療薬として承認された薬剤はありません。標準的な治療は免疫抑制で、まずステロイドパルス療法や免疫グロブリン大量静注療法、血漿交換療法といった治療が行われ、それでうまくいかない場合はリツキシマブやシクロホスファミドによる治療が行われます。こうした治療によって7~8割の患者は良くなりますが、効果が表れるまでかなりの時間がかかるのが課題です。治療をしても自己抗体が残っていて完全に良くならない患者や、再発を経験する患者も少なくありません。

今回の研究からART5803に即効性があるのは間違いなく、1週間、2週間という単位でかなり元の状態に戻せると思っています。即効性があり、効果が高く、免疫抑制による副作用を考える必要もない。プレシジョンな形で病気を抑える治療になる可能性があると考えています。

免疫抑制とは全くメカニズムが異なるので、併用も可能でしょう。ART5803で速やかに回復させた後、免疫抑制で抗体をなくすのがおそらく正しいやり方だと考えており、そうした治療について今後、臨床家と検討しながら研究開発を進めていくことになると思います。

免疫と神経の融合

――ART5803創製の経緯を教えてください。

抗NMDA受容体脳炎は2007年に提唱された比較的新しい疾患です。当時はまだわかっていないことも多くありましたが、患者の自己抗体が結合してNMDA受容体を内在化させることで起こるということはある程度、確からしいということでした。ART5803は、それを片腕の抗体でブロックするというコンセプトのもと、2017年にアステラス製薬のつくばの研究所で始めた仕事です。

当時、私はアステラスの神経科学の創薬研究全体のリーダーを務めていたんですが、組織再編でそこに免疫の研究グループが加わることになったんです。「せっかくなら免疫と神経が融合する分野で創薬研究をするのもいいんじゃないの」という話をメンバーとしていたところ、知り合いの海外の専門家から「抗NMDA受容体脳炎というすごく興味深い疾患があるので、考えてみたらどうか」との提案を受けました。メンバーに相談すると「ぜひやりたいですね」と言ってくれたので、研究に着手することにしました。

B細胞をターゲットにするとか、自己抗体そのものをターゲットにするとか、いろいろな方法が考えられる中、われわれとしては片腕の抗体を受容体に結合させるという方法で行くことにしました。最初はあまりに単純すぎて上手くいくのかと思っていました。ところが、研究を進めていくと「上手くいってるね」というのがずっと続いてきて、一連の研究で確かに効果があるということを積み上げてくることができました。

ART5803の作用機序。片腕の抗体で病原性自己抗体とNMDA受容体の結合をブロックし、受容体の内在化を阻害する(アリアリス・セラピューティクス提供)

「革新的」と自信「これはやるしかない」

――そうした中、アステラスはこのアセットを手放すことを決めました。

疾患の特性などを踏まえると自社で開発するのは難しいという判断になりました。ただ、せっかくここまで抗体もできているんだからと、アステラスもパートナー探しをサポートしてくれました。そうしてベンチャーキャピタル(VC)を中心に回っていたところ、アバロン・ベンチャーズが「ぜひやりたい」と言ってくれ、キャタリス・パシフィック、MPMキャピタルとともに2021年の冬にアリアリスを設立しました。

設立時、私はまだアステラスにいましたが、ART5803の譲渡完了後に退社。22年7月にアリアリスに移り、そこから新会社が本格稼働しました。

――大手製薬企業を離れ、ベンチャーに移ることに躊躇や葛藤はありませんでしたか。

すごく革新的なことをやっているという自信がありましたし、年齢のことを考えても「これはやるしかない」と思っていました。米国のKOLも「何でも協力するから頑張って」と言ってくれ、それくらい評価されているものなのだから頑張るしかないと。VCの後ろ盾もあったので、気持ちが揺れることはほとんどありませんでした。精神疾患でプレシジョンな薬を作るというのは、私のやりたいことでもありましたので。

――ART5803の今後の開発の展望を教えてください。

現在、オーストラリアで臨床第1相(P1)試験を行っています。今年後半には初期の臨床データを共有するとともに、P2試験を始める予定です。P2a試験もまずはオーストラリアで開始し、P2b試験からグローバルで行うことをイメージしています。順調にいけば2028年に抗NDMA受容体脳炎でのピポタル試験が終了する見通しです。

最近の研究では、統合失調症、うつ病、双極性障害、認知症といったほかの精神神経疾患でも、一部の患者がNMDA受容体に対する自己抗体を持つことが報告されています。こうした疾患にも適応を広げていきたいと考えていて、臨床評価に向けて対象患者の特定などの研究を進めているところです。

中枢神経系疾患のプレシジョンメディシンは簡単ではありません。抗体の有無で患者の選別が本当にできれば、ART5803はプレシジョンメディシンになる可能性があり、大きな意義があると考えています。


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