お互いに口出しはしない、ふたりならではの距離感がある−−B'z松本孝弘が語る、自分たちのこれから #アジア文化最前線
日本のロックシーンに君臨するB'zのギタリスト・松本孝弘。彼のギターの響きは、ハードながら日本のお茶の間に広く浸透してきた。B'z結成から37年。日米を行き来した活動の傍ら、「まだまだ新しいものを創り続けたい」と意気込む松本。J-POPの海外での受容の変化も感じながら、最前線に立ち続ける。(Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「みんな良かったですね。新しい学校のリーダーズなんて、もう独自のスタイルで行ってるじゃないですか」 今年3月、CEIPA(一般社団法人カルチャーアンドエンタテイメント産業振興会)らが米ロサンゼルスで開催したイベント「matsuri '25: Japanese Music Experience LOS ANGELES」。現地でAdo、新しい学校のリーダーズ、YOASOBIのパフォーマンスを見た、松本の率直な感想だ。CEIPAは、5月21日・22日に京都で授賞式が開催される「MUSIC AWARDS JAPAN」も主催している団体である。 「もう日本のアーティストが普通にワールドツアーをやれる時代になりましたよね。Adoちゃんは、ロスのピーコック・シアターっていう7000人ぐらい入るところでソロでライブをして、ソールドアウト。お客さんもみんな現地の人たちだし。僕らがアメリカでやったときは、在米日本人が中心でしたからね」
後進ミュージシャンの海外進出を見守る松本だが、若い世代とコラボレーションをするフットワークの軽さも光る。2024年4月には、Adoのライブに松本自身もサプライズ出演した。 「お話をいただいたら、基本的にはフレキシブルにやろうと思っているんです。Adoちゃんの、あの表現力といい、本当に素晴らしいシンガーですよね」 若手ミュージシャンの海外進出を応援する松本の視線は、自身の経験もあってのものだろう。2004年には、MR. BIGのエリック・マーティン、ナイト・レンジャーのジャック・ブレイズといった大物ミュージシャンたちとTMGを結成。アルバム『TMG I』はヨーロッパ盤もリリースされたが、当時はサブスクもなかった。 「そういう面ではとっても地味な作業でしたよね。今はネットで見て『いいね』ってなったら、海外に呼ばれるわけだからね」 松本の名が広く世界に轟いたのは2011年。ラリー・カールトンとの共作アルバム『TAKE YOUR PICK』が、グラミー賞の最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム部門を受賞したのだ。 「本当に誰にも言わなかったんだけど、50歳になるまでにグラミー賞を獲るっていう、自分の中での目標があったんですよね。ラリーさんと共演できたことはチャンスでした」 ラリーは、フュージョン・シーンをリードしてきた、大物ジャズ・ギタリスト。松本にとっては、10代のときから聴いていたミュージシャンと共演する機会となった。そして、ラリーと自分を比べてしまったと苦笑する。 「僕のキャリアの中では欠かせない大きな出来事のひとつではあったと思いますけど、もう過ぎたことですからね。やっぱり新しいものが好きなので」 松本は、ソロ・アルバムでは、ハードロック、ストリングス編成、ブルース、歌謡曲カバーなど、さまざまなジャンルを横断してきた。「B'zの活動を中心にやるべきことがあった」と語る松本が、TMGを再始動させたのは20年後。2024年に『TMG II』をリリース、バンドとしての手応えもあったという。 「本当に良かったですよ。20年前より、今回のほうがいいんじゃないかって」
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稲葉浩志とともにB'zを結成したのは1988年。それまではTM NETWORKのサポート・ギタリストなどを務めていたものの、自分の音楽を作ることを目指しはじめた。 「まず、ふたりでスタジオに入って、ビートルズのカバーをやったんです。それで、途中でアンプが壊れちゃって、『もう大丈夫、このまま行こう』みたいな感じで(笑)。 特に『バンドを一緒にやろうよ』と言うこともなく、そのまま37年ぐらいやってます(笑)。いいシンガーだったし、いけるなとは思いましたよね」
解散の危機は一度もなかったというB'z。そこには、ふたりならではの距離感がある。 「だいたい年に1、2回、ふたりでご飯を食べるんですけど、一昨日かな、今年もふたりで食事をして。今後のバンドのこととか、今どう思っているのかとか、話をするんですよ。ふたりだけっていうのが、いいんですよね。絶対ときどきはやったほうがいいと思う。僕たちは、幼なじみだったわけでもないし、それなりにスタイルがあるじゃないですか」 お互いのスタイルを尊重する姿勢も、長年にわたるコラボレーションを実現してきた。 「稲葉くんの歌詞の内容や歌い方は、ジェネレーションとともに自然に変わってきているよね。 でも僕は『もっとこうやって歌ってよ』と言うこともないし。彼には彼のスタイルや今まで積んできたキャリアもあるだろうし、それはもう、お互いに口出しはしないですね」 それでも稲葉の歌詞に驚かされることもあったという。1990年に初のオリコン1位を獲得することになるシングルの制作中のことだ。 「『太陽のKomachi Angel』はね、ちょっとびっくりした(笑)。『いやー、Komachi Angelじゃないだろう』と思ったのが正直なところで、稲葉くんにも『これ、違くねえ?』って(笑)。でも結局、読みが大当たりしたっていうことなんですよね」 「太陽のKomachi Angel」はラテンの要素もある楽曲だ。自身の音楽性は追求しつつ、状況によって柔軟に対応する松本の姿勢がうかがえる。 「もう今となっては、大概のことは大丈夫(笑)。驚かないというか。『愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない』は、『長くてかまないで言えないじゃん』と(笑)。でも結果的にあれも良かったですよね。インパクトがあるから」 そして松本自身もインパクトを求めてきた。その代表的な楽曲が「ultra soul」だ。 「やっぱりヒットするかしないかは大事なことなので。『ultra soul』って最後に歌うところは、最初はなかったんですよ。それで稲葉くんが、『ねえ、タイトル、<ultra soul>ってどう?』って言うから、これは絶対いけるなと思って、その『ultra soul』っていうパートを作って盛り上がるようにしたんです。もう代表曲になりましたからね。シングルのセールスがどんどん上がっていったのは、やっぱりすごい自信になりましたよね」 昨年末の「第75回NHK紅白歌合戦」では、B'zは「ultra soul」など3曲を披露し、大きな話題をさらった。B'zのサービス精神を見せつけた瞬間だった。 「そこは、けっこう旺盛なんですよね。喜んでいただけるならやろうよっていう」