ハロー!プロジェクト西日本メンバー13人がカバーした「戦争を知らない子供たち」配信リリース(コメントあり)
西日本出身のハロー!プロジェクトメンバーが歌う「戦争を知らない子供たち」のカバーが8月23日に配信リリースされる。
きたやまおさむ作詞、杉田二郎作曲の「戦争を知らない子供たち」は、1970年8月に大阪万博会場にて全日本アマチュア・フォーク・シンガーズによって初披露された楽曲。1971年にはジローズ(杉田二郎、森下次郎)の歌唱でシングルリリースされるなど、戦争を知らない世代が平和への願いを託したフォークソングの名曲として歌い継がれてきた。
そして今年、大阪で再び国際博覧会が行われていることに合わせて、ハロー!プロジェクトメンバーによって「戦争を知らない子供たち」が再解釈されることに。歌唱メンバーは植村あかり(ex. Juice=Juice)、井上春華(モーニング娘。’25)、下井谷幸穂(アンジュルム)、松永里愛(Juice=Juice)、有澤一華(Juice=Juice)、秋山眞緒(つばきファクトリー)、豫風瑠乃(つばきファクトリー)、西田汐里(BEYOOOOONDS)、岡村美波(BEYOOOOONDS)、広本瑠璃(OCHA NORMA)、西崎美空(OCHA NORMA)、植村葉純(ロージークロニクル)、上村麗菜(ロージークロニクル)の13名。彼女たちが「いまの若者たちがどんな未来を望むのか」を透明感あふれる歌声で力強く訴えかける。
※西崎美空の「崎」は立つ崎が正式表記。
きたやまおさむ コメント
1970年の若者は父親たちの世代から「戦争を知らないくせにエラそうなことは言うな」と言われていた。長髪の男の子は「髪の毛が長い」こともからかいの対象になっていた。あれから半世紀以上が経ち、今の若い人たちの問題は「みんなとちがう」とイジメられるかもしれないという同調圧力なのだと思う。そこだけ歌詞を時代や女声に合わせて変えてみたが、この歌声を聴くなら、子供たちが「戦争を知らない」ままであってほしいという、人々の願いや祈りだけは時代を超えてずっと変わりのないことがわかるだろう。
杉田二郎 コメント
これから先、生まれくる新たな命が「戦争を知らない子供たち」であり続けていてほしい、と願うばかりです!!今回、私のその想いが伝わってくる、彼女たちの歌声を聴いて、非常に力強さと、喜びを感じました。
富澤一誠(音楽評論家)コメント
ロシアのウクライナ侵攻以降、世界はますますきな臭くなっています。世界各地での紛争はもはや対岸の火事ではありません。戦争が身近に感じられる時代だからこそ、歌はリアリティーを増しているのです。「戦争を知らない子供たち」は1970年8月23日に初めて発表され、翌71年2月5日にジローズがレコード化して大ヒットさせました。なぜか?「戦争を知らない子供たち」というコピーが戦後生まれを的確に表現していたことで、この歌はたくさんの若者たちの心をとらえたからです。またネーミングの素晴らしさが“世代”を見事に表現し、「戦争を知らない子供たち」は歌を超えて社会現象とまでなったのです。時はまさにベトナム戦争や学園紛争など「怒れる若者の季節」と呼ばれる時代。そんな時代の中で「戦争を知らない子供たち」は反戦歌、平和の歌として若者たちの支持を受けたのでした。時代が生んだ歌と言っても過言ではありません。この歌はそれからしばらくは「反戦歌」として歌われ続け、その後はフォークの名曲として教科書に載るようになってからは合唱曲としてスタンダード・ナンバーとして親しまれました。反戦歌が合唱曲として歌われるほど世の中は平和だったということでしょう。しかしながら、世の中がきな臭くなると、この歌の原点ともいうべき「反戦歌」の部分が時代とともにリアリティーを持ち始めたのです。しかも、それは日ましに増し続けています。歌は生きています。いや、時代によって生かされているのです。この歌も時代によって再び「反戦歌」としてリアリティーを持たせられようとしています。歌にとって、これは幸せなことなのでしょうか?
「ハロプロ西日本」が合唱をするときのように平和に願いをこめて歌う「戦争を知らない子供たち」。この歌が平和慣れした日本人に改めて平和の尊さを考えさせるきっかけになるに違いありません。それがこの歌の使命なのです。