日本の王になろうとした麻原彰晃 地下鉄サリンから30年…担当記者が見た国家転覆の野望
14人が死亡、6000人以上が負傷した地下鉄サリン事件から20日で30年を迎える。事件は、オウム真理教が強制捜査を受ける可能性が現実味を帯びてきたことから捜査の攪乱のため起こした。当時、警視庁担当として一連のオウム事件を取材した筆者が見たのは、「奇妙な集団の暴走」などではなく、教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)が日本を支配するため、着々と武装化を進めて国家を転覆しようとする野望だった。
皇族を誹謗中傷
平成7年は他紙のスクープで明けた。読売新聞が元日付1面トップで「サリン残留物を検出 山梨の山ろく 『松本事件』直後」と打ったのだ。記事にはオウムのオの字も書いていないが、前年の松本サリン事件と教団を結び付けていることは明らかだった。
17日に阪神大震災が発生。筆者は取材の応援に派遣され、警視庁も震災対応に追われたが、2月28日の目黒公証役場事務長拉致事件への教団の関与が疑われると、警視庁も担当記者も完全にオウムシフトに切り替わった。
オカルト本の取り扱いが充実していることで知られる神田神保町の大型書店。資料を求めて訪ねると、教団の出版物が店頭から下げられようとしていた。「こういうご時世なので自粛します」と男性店員。「ちょっと待って! 全部買うから」と仕入れてきた。
機関誌「ヴァジラヤーナ・サッチャ」には「ロスチャイルド家」や「フリーメーソン」といった言葉を使った陰謀論に加え、皇族に対して、ここでは紹介できないような低俗な誹謗中傷が並んでいた。「なんて不敬なやつらなんだ」というのが率直な印象だった。
皇居周辺にアジト
3月20日に地下鉄サリン事件が発生。捜査が進むと、警視庁公安部長の桜井勝がこう話した。「オウムは本気で国家転覆を目指している。決して漫画的ではない」。その言葉の意味がやがて分かってくる。
警視庁が教団施設の地中から押収したロケット弾やミサイルの部品のような金属片=平成7年7月30日、東京・霞が関の警視庁警視庁は4月6日、自動小銃の部品を保管していたとみられる東京・赤坂のマンションの一室を捜索した。そこは、当時の皇太子ご夫妻のお住まいがあった赤坂御用地の目と鼻の先だった。
12日には、教団のほとんどの重大事件に関与した新実智光が、アジトにしていた千代田区一番町のマンション7階の部屋から出てきたところを逮捕された。現場に着いて驚いた。内堀通りを挟んで皇居の隣だ。
「部屋にコスモクリーナーがあったよ」。後に捜査員がささやいた。コスモクリーナーとは教団が開発した大型空気清浄機で、サリンが漏れても無毒化できるという。あそこからラジコンヘリを飛ばして皇居にサリンをまいたらどうなっていたか…。今でもマンションの前を通る度に慄然とする。
恐怖の「11月戦争」計画
麻原は昭和63年、日本を自らの理想郷に作り変える「日本シャンバラ化計画」を打ち出した。平成2年の衆院選に自身を含む25人を擁立。惨敗すると殺人を肯定する教義に転換し、サリン70トンや自動小銃1000丁などの製造を幹部に指示。自衛隊員も信者として獲得した。
生物兵器では、2年に皇居周辺でボツリヌス菌をまいたが失敗。5年には当時の皇太子ご夫妻のご成婚パレードを炭疽菌で攻撃しようと企てたものの中止し、皇居周辺で炭疽菌を散布したが幸い効果はなかった。
オウム真理教が所有していた旧ソ連製の軍用ヘリ=平成7年3月22日、静岡県富士宮市(本社ヘリから)所有する旧ソ連製の軍用ヘリで大量のサリンを皇居など都心に散布して政府機関を制圧する「11月戦争」と呼ばれる計画も、幹部のメモから分かった。
麻原は6年、「私は日本の王になる」と信者に説法し、祭政一致の専制国家の憲法である「基本律」で自らを神聖法皇(ほうこう)と位置付けた。天皇を象徴として戴く議会制民主主義を倒し、自らが日本を支配しようとしていたのだ。
7年5月16日、麻原が逮捕されると、警視総監の井上幸彦は警視庁9階の記者会見室で力強く語った。「首魁(しゅかい)である麻原を逮捕できたのは、国民の激励や幅広い強力な支援態勢のおかげだ」
「首魁」は今では法律の条文は全て「首謀者」に書き換えられているが、当時は刑法77条の内乱罪にこう書かれていた。「首魁ハ死刑又ハ無期禁錮ニ処ス」
内乱罪は適用されなかったが、首魁という言葉がオウム事件の全てを物語っていた。
=敬称・呼称略(渡辺浩)