「睡眠」の謎を解き明かすという使命:柳沢正史(睡眠学者)──WIRED Innovation Award 2025 受賞者インタビュー

ウェブメディア、配信映像、テレビ、雑誌、そして書籍──。近年、睡眠学者である筑波大学教授・柳沢正史の姿を、いたるところで見かける。筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(IIIS)のトップを務め、睡眠研究の権威として世界的な評価を受ける多忙な人物でありながら、世の中に向けて睡眠について語る機会を、彼は決して手放さない。

振り返ると、その道のりは彼自身のコントロールの外にあった、とさえいえるかもしれない。睡眠研究という生涯のテーマとの出合いすら、偶然の産物だった。しかし柳沢はオープンな姿勢を保ち、その機会を受け入れ、先に進む。生物の根幹にある「睡眠」という謎を見つめながら。

Photograph: TIMOTHEE LAMBRECQ

──『WIRED』日本版のYouTube企画「Tech Support」で柳沢さんのコンテンツが大人気であるように、近年は各方面で引っ張りだこの状態です。こうした状況を、ご自身ではどのようにご覧になっていますか。

確かにこの数年、睡眠研究に関するさまざまなメディア露出が増えました。主に神経科学において睡眠研究を進めるなかでわかってきている、よりよい睡眠のための知見や情報を、日本社会に暮らす皆さんへ向けて発信していくことを、自分の使命だと感じて取り組んでいるんです。というのも、学術的なレベルでの議論と、日本に広まっている睡眠をめぐる状況との間に、大きなギャップがあるからなんですね。

──どのようなギャップがあるのでしょうか。

睡眠研究を通じて睡眠の重要性が徐々に明らかになってきているわけですが、OECD(経済協力開発機構)の2021年の調査報告では、調査対象の33カ国のうち日本人の平均睡眠時間が最も短いんです。世界中を見渡しても、最も睡眠不足の国民であるといえるでしょう。

わたしは20年以上にわたってアメリカを拠点に研究していた時期があり、2010年代になって日本に戻ってきたのですが、睡眠をまったく気にかけていない人が大勢いることに驚きました。いまもなお、そのギャップを埋めるために睡眠について発信しているんです。いかに短時間で質のいい睡眠をとって生産性を上げるか、といった誤ったコンテンツも世に溢れていますから。

──2025年1月に発表された論文では、421名の睡眠脳波を測定した結果から、「睡眠をめぐる主観的な自己認識には誤りが多い」と指摘されていました。思うように眠れないと回答した人のうち66%は客観的には不眠がなく、一方で睡眠が十分だと思っている人のうち45%は睡眠不足が疑われたとのことでした。この結果から、どのようなことが読み取れるのでしょうか。

脳波の測定に参加いただいた方々は、少なくとも自分の睡眠に対して意識を向けている──つまり、自分の睡眠について調べてみようと思った方たちのデータだ、ということも考慮に入れるべきかもしれません。日本に暮らす多くの人たちと比べて、睡眠に関しては意識的に捉えている方々なのです。しかし、そうした人たちでさえも睡眠をめぐる自己認識にはズレが多くあるわけですね。

他方で世の中には、睡眠に対して自覚的でなかったり、むしろ睡眠を時間の無駄のように思っていたりする人も多い。なにしろ、「睡眠キャンセル界隈」なんていう言葉がバズってしまうような社会でもあるわけですから。日本では中高生など子どもたちも多くが睡眠不足で、しかもそれが当たり前だと思ったまま大人になっていってしまう。

このように、睡眠をめぐるさまざまな問題があり、さまざまな意識や認識の違い、あるいは自己認識と実態のズレがある。睡眠研究の専門家として、どのようにアプローチできるのかを考え続けています。

ミクロかつ詳細な解析から睡眠の謎に迫る

──筑波大学では2012年にIIISの設立に携わられ、機構長を務めておられます。ここでは「睡眠医科学」という新領域を探求されていますが、どのような学問なのでしょうか。

「睡眠の機能と睡眠覚醒制御メカニズムの解明」「睡眠障害と、それらに関連する病態の解明」「睡眠障害の予防法・診断法・治療法の開発」の3つをミッションとして掲げ、神経科学と実験医学、創薬科学を融合して「睡眠医科学」という新たな領域を立ち上げました。

このうちわたしが本業としているのは「睡眠の機能と睡眠覚醒制御メカニズムの解明」という基礎研究で、その主な手法はフォワード・ジェネティクス(順遺伝学)というものなんです。

──ある特徴が観察された個体を選び出し、その原因を同定しようとする遺伝子学の手法ですね。

わたしたちの場合は、大量のマウスを相手にしています。1匹ごとに複数かつランダムなミューテーション(変異)をゲノム上に施したマウスのなかから、睡眠に異常がある少数のマウスを見つけ、睡眠異常をきたす原因を突き止めるという、ある意味で回りくどい取り組みを進めてきました。

例えば、睡眠時間が異常に長いマウスを発見して「Sleepy」という家系をつくって調べ、「SIK3」という遺伝子の異常を発見し、神経細胞でのSIK3を介する情報伝達によってどのように睡眠が制御されているかも解明しています。非常にミクロかつ詳細な解析から出発して、より全体的な睡眠の機能や、覚醒と制御をめぐる機構に迫っていこうという長い道のりの研究です。

──手間も時間もかかる研究手法のように見えます。

メリットは、とにかくランダムな突然変異から研究をスタートさせていくので、あらかじめ当たりをつけておく必要がないことです。人間は何かを観察したり判断したりするとき、どうしてもバイアスと無縁ではいられないわけですが、そうしたバイアスに限りなく左右されない研究方法だといえます。

さらには、自分自身ではまったく思いつくことができない、予想さえしていなかったものが見つかる可能性もあるんですね。こうしたアプローチのもとに、さまざまな遺伝子や遺伝子産物として脳内で働くたんぱく質の機能を詳細に分析しているのが、わたしの本業としての基礎研究なのです。

Photograph: TIMOTHEE LAMBRECQ

睡眠の制御にかかわる物質の発見が転機に

──このように熱心にお話しされているのに、かつては睡眠研究の専門家になるとはまったく思っていなかったそうですね。

幼少期から研究という行為に興味があって、大学は医学部に進むことにしたのは、ひとまず医学に足場を定めてとにかく研究をしてみたかったからでした。臨床医になる道もありましたが、大学卒業と同時に「自分は基礎的な研究をする」と決断し、基礎系の薬理学を探究すべく大学院に入りました。

そして院生3年目のとき、幸運にも血管を収縮させる「エンドセリン」という物質を発見することができまして。31歳のときにテキサス大学サウスウェスタン医学センターにリクルートされ、ありがたいことに、いわゆる留学ではなく准教授として渡米したんです。アメリカでの最初の10年は、そのままエンドセリンのことを集中的に研究していました。

──順調なステップに見えますが、そこには睡眠の「す」の字もないですね。

エンドセリンに加えて、ほかの新しいテーマにも取り組みたくなっていったのが、その後の進む道に大きく影響しました。

研究をスタートさせたのは、薬理学の専門用語で「受容体分子」と呼ばれるものです。細胞間の情報のコミュニケーションでは、「鍵」となる分子と「鍵穴」となる分子が必要であり、後者が「受容体分子」です。なかでも、鍵穴は見つかるけれども、それに対応する鍵が判明していないもの、「オーファン受容体」と呼ばれる分子が数多くあったんですね。

──鍵穴のほうが先に多く見つかっていた、ということですね。

それに対する鍵となる分子を見つけることで、新しい医学や生物学の道が拓けるのではないかと考えたんです。ラボのメインの研究は「エンドセリン」、一部で新しいプロジェクトとして、鍵分子の研究を進めていきました。

情報処理器官である脳はオーファン受容体が多く存在するとわかっていたので、それに対応する鍵分子の研究も必然的に脳が舞台になります。そのうち、これもまたビギナーズラックなのか、「オレキシン」という新しい脳内物質が見つかったのです。

──後に睡眠に影響していることが判明する物質ですね。

当時は睡眠に関係している物質だとは考えもしませんでしたし、睡眠に関係する物質を狙っていったわけでもありません。「オレキシン」という鍵分子は見つけたが、その新しい脳内物質の具体的な役割や機能が皆目わからない状態だったのです。

最初に執筆した論文までは、オレキシンは食欲を制御する物質だ、という仮説を立てていました。オレキシンという名前自体、ギリシャ語で食欲を意味する「orexis」という単語から名づけたんです。空腹をセンスする神経細胞が脳内にあり、それによってオレキシンがつくられて食欲が増す──というストーリーを描いていた。

ところが、ノックアウトマウスと呼ばれる特定の遺伝子を破壊したマウス、ここではオレキシンをつくるための遺伝子を壊したマウスをつくったところ、食欲関係の異常がまったく現れなかったんです。

──仮説が崩れてしまったわけですね。

食べる量も、体重も変わらない。オレキシンがなくても、マウスは一見すると健康で何の病気ももっていないようであり、子どもをつくることもできる。正直にいえば、困っちゃったわけですよ(笑)。せっかく新しい脳内物質が見つかったと思ったら、あってもなくても一緒かよ、と。

そこで思い至ったのが、夜間のマウスの行動をもっとしっかり観察しよう、ということでした。マウスは夜行性の生き物です。単に餌の減った量を記録するのではなく、餌を食べているところをきちんと赤外線カメラで撮影して、観察することにした。すると、非常に活発に行動していたマウスが、突然眠ってしまうという大変意外な事態が観察されたのです。

詳しく調べてみたところ、人間におけるナルコレプシーという睡眠障害、いわゆる居眠り病の症状と相同の状態になっていること──つまり、オレキシンは睡眠の制御にかかわっているらしいと、やっと気づくことができたわけです。

──いきなり「睡眠」というテーマが目の前に現れたわけですね。

その時点のわたしは、睡眠についてほとんど何も知りませんでした。必死に文献を調べて勉強していったわけですが、1999年の当時、遺伝子のレベルで睡眠を語るなんていうことは、ほとんどなされていない未踏の領域であることがわかっていきました。

もちろん、神経科学の一分野として基礎的な睡眠学は存在していましたし、特に臨床医学においては睡眠は重要な位置を占めていました。それでも、具体的な睡眠の制御メカニズムを、遺伝子レベルで語る時代ではなかったのです。

これは非常にやりがいのある領域だと感じまして、ラボ全体のテーマも人も、睡眠にシフトしていきました。以降のわたしは、現在に至るまで基礎的な睡眠のメカニズムに特化して取り組んでおりますし、日本に帰国した後の2012年にIIISを設立したのも、こうした流れのなかでのことでした。

──未知の分野に飛び込むことに、恐れのようなものはなかったのでしょうか。

なかったですね。わたしが思うに、医学部を卒業しているというのが実は大きいんです。というのも、人間の頭の先から足の先まで、網羅的かつエンサイクロペディック(百科事典的)に、浅く広く学んで、ある程度は何でも知っている状態になるんですよ。

オレキシンが睡眠に関係していると気づいた時点のわたしは、血管をはじめとした循環器の分野については深く知っていても、睡眠や神経科学についてはほとんど何もわからない状態でした。でも、睡眠なら睡眠で、一度はどこかで習ったことがあるな、あの本を読めばいいんだろうな……という感覚は抱くわけです。もちろん、ほとんど何も覚えていないんですけれども(笑)。分野をスイッチしてよく知らない分野に飛び込むことに関する心理的なハードルが低く、大きな抵抗はありませんでした。

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「眠気の正体」の解明に挑む

──1924年にドイツの神経学者ハンス・ベルガーが脳波を発見したことにより、科学的な睡眠の研究が始まったとのことですが、その歴史は意外と浅いような気もします。

いや、100年の歴史があるということは、現代的な意味における医学・生物学において歴史は決して浅くないのです。例えば、いま大流行の分子生物学において重要な概念である、遺伝情報の伝達をめぐる「セントラルドグマ」という原則が提唱されたのは1958年のことであり、そこから60年代、70年代……と時代が下るなかで理解が進んでいった。

それに比べて睡眠研究は、むしろ長い歴史をもつとさえいえるでしょう。ただ、睡眠研究はリダクショニスティック(還元的)なアプローチを使えないので、なかなか難しいところもあるのです。

──それは、どういうことでしょうか。

分子生物学は、脳なら脳という組織に関して、細胞レベル、分子レベルと、どんどん細かいところに落としていって、深く理解するというアプローチをとることができる。しかし、こうしたリダクショニスティックなアプローチが、睡眠では困難です。睡眠は基本的に動物の行動であり、脳を取り出して神経細胞にバラして培養して……といったアプローチでは、この行動自体を観察できない。ときに歯がゆい、間接的なアプローチをとってきたゆえんです。

──だからこそ、オレキシンの発見が重要だったわけですね。そのうえで、睡眠には謎が残っている、と。

睡眠研究では大きな謎が2つありますが、わたしがよくもちだす「ししおどし」のたとえに即しながらお話ししてみましょう。ししおどしには上向きになった竹筒があり、そこに水が少しずつたまっていきます。やがて水の重さで竹筒が落ちる。

同じように、人が覚醒している間は上向きになった竹筒に「眠気」という水がたまっていき、やがて竹筒が落ちるように眠くなる。その眠気をとるには眠るしかない。睡眠の恒常性制御と呼ばれるこのメカニズムが、睡眠をめぐる大きな謎のひとつなんです。

オレキシンはこの謎を解く手がかりだと思ったのですが、恒常性制御そのものには関与していないことがわかりました。ししおどしの筒の上向きと下向きを切り替えるスイッチの“部品”であり、スイッチを押す“指”ではなかったのです。

ナルコレプシーの患者さん、あるいは(オレキシン遺伝子を破壊した)ノックアウトマウスの24時間における睡眠の総量は、実は健常なヒトや数字と変わらない。恒常性制御そのものに問題をきたしているのではなく、オレキシン=スイッチの部品の欠如、ということなのです。

この切り替えスイッチについては近年の研究でかなり明らかになってきたのですが、メカニズムを司る“指”が何かは、謎として残されています。つまり、先ほどから水でたとえてきた何か──いわば「眠気の正体」が謎なのです。

──なるほど。もうひとつの大きな謎は何でしょうか。

なぜ、すべての動物が眠らなければならないのか。この単純な問いに対する明快な回答はまだなされておらず、睡眠研究のセントラル・クエスチョン(中心的な問い)のひとつなのです。この謎を解明するためにこそ、一見して遠回りにも見えるフォワード・ジェネティクスという探索的な手法をとっているんですね。

──この「WIRED Innovation Award」の受賞者でもある人工生命研究者の池上高史さんも、一見すると何もしていないように見える時間こそが生命の核心のひとつだ、といった考えをおもちです。

繰り返しになりますが、わたしたちがなぜ眠らなければならないのかは、まだよくわかっていません。しかし、眠っている状態は何もしていない状態ではないのです。コンピューターでいえば、オフラインでのメンテナンスのようなことが、わたしたちの脳で起こっている。

脳(中枢神経系)の無いクラゲも眠りますし、極論を言えば神経系をもつ生物はすべて眠る。そこから生物の歴史のことを考えると、むしろ睡眠状態のほうがデフォルト(標準)なのではないか──と思われるのです。

細胞レベルの営みを最低限に保っている原始的な生物がいて、そこから神経系が生み出され、より複雑な生命体になっていく。そこから外界のいろいろな刺激に対してリアルタイムかつ高速で反応し続けることができる、つまりは覚醒状態にある生物が発生する。

しかし、わたしたちの脳・神経系はなぜか24時間ずっと働き続けることができず、コンピューターでいうオフラインのメンテナンスが必要なわけです。こう考えれば、やはり睡眠状態のほうがデフォルトなのではないでしょうか。

──とても興味深い考えです。最後にお聞きしたいのですが、「WIRED Innovation Award」は「未来のシアワセ」について思考するプロジェクトでもあります。柳沢さんが考える「幸せとは何か」についてお聞きできますか。また、ご自身の取り組みが、人々のどのような「幸せ」につながると考えているのかもお聞かせください。柳沢さんはクリスチャンでいらっしゃるので、いろいろなお考えがあるとは思うのですが。

「幸せ」とは何かという問いは、わたしにはかなり荷が重い哲学的な質問ですが、何とかお話ししてみるとすれば、「自分が生きていることが誰かの役に立っていると感じられ、意義を見出だせている状態」といえるでしょう。家族でも社会でも、クリスチャンの観点でいえば神様との関係でもいい。与えられた役割に、微力ながら応えることができている状態ですね。

そうした「幸せ」をきちんと感じとるためにも、健やかな睡眠は必須なのではないか、と思うのです(笑)。わたし自身どんなに丸一日スケジュールが埋まっていても、0時から7時にかけての睡眠のコアタイムは必ず確保しています。そのなかで取り組む睡眠研究が皆さんにとっての「幸せ」を感じる力につながるのならば、それもまたわたしの「幸せ」となるはずなのです。

Photograph: TIMOTHEE LAMBRECQ

柳沢正史|MASASHI YANAGISAWA睡眠学者。筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構機構長。1960年、東京生まれ。筑波大学医学専門学群・大学院医学研究科博士課程修了。1991年に31歳で渡米、テキサス大学サウスウェスタン医学センターとハワードヒューズ医学研究所にて、2014年まで24年間にわたって研究室を主宰した。10年に内閣府最先端研究開発支援プログラム(FIRST)に採択され、筑波大学に研究室を開設。12年より文部科学省世界トップレベル研究拠点プログラム国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)機構長・教授。17年、筑波大発のスタートアップとしてS'UIMINを起業。21年よりムーンショット型研究開発事業のプロジェクトマネージャーを務める。

(Edited by Daisuke Takimoto)

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