愛媛:「自ら守る」意識 問われる :地域ニュース : 読売新聞
地震・臨時情報
「災害は時を選ばず」を実感する1年となった。
地震で落ちた屋根瓦の修繕をおこなう職人ら(4月19日、宇和島市で)=近藤誠撮影穏やかな初春を迎えるはずだった元日、石川県の能登半島でマグニチュード(M)7・6、最大震度7の地震が発生し、数百人の死者が出た。
被災地へは愛媛からも、自治体の職員や警察官、自衛隊員らが救助や支援に駆けつけた。宇和島市は1月6日から、2018年の西日本豪雨を教訓に配備したトイレカーと職員2人を石川県輪島市の避難所へ派遣。計3台を稼働させ、うち1台は多機能型で昇降機が備わり、主にお年寄りが現地で利用したという。
第1陣で現地へ行った市危機管理課の赤松芳和課長(当時は課長補佐)は「断水と停電が復旧の大きな妨げになっていた。洋式トイレも配管が壊れて流せない状況だった」と振り返る。八幡浜、新居浜両市もトイレカーを同県珠洲市へ、四国中央市もトイレトレーラーを輪島市へ派遣した。
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4月17日深夜には、豊後水道を震源とするM6・6の地震が発生。愛媛では現行の震度階級が導入されてから初めて震度6弱を愛南町で観測した。気象庁はすぐに「津波の心配はない」と発表し、大きな混乱はなかった。県内の人的被害は、重傷や死者は0人で、軽傷者が9人だった。
総務省消防庁の11月現在のまとめでは、愛媛県内の住家被害は、半壊に至らない「一部破損」が351棟。このうち306棟は、最大震度5強だった宇和島市で確認された。同市立南予文化会館と総合体育館は天井の一部が崩落。どちらも市の避難所に指定されており、公共施設の耐震化という課題を突きつけた。
「揺れた時間が短く、震度の割には大きな被害にならなかったのでは」と話すのは、同市中心部の商店街にある呉服店「きもの泉屋」の専務、宇都宮裕さん(76)。それでもショーウィンドーのガラスが割れ、修理代約70万円がかかったという。南海トラフ地震に備え、「体が不自由で1人では避難ができない人が(近隣に)いるかどうかなどを頭に入れている」と気を引き締める。
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お盆休み前の8月8日夕には、宮崎県沖の日向灘を震源とするM7・1の地震が起きた。気象庁は南海トラフ地震の「臨時情報(巨大地震注意)」を初めて出し、愛媛を含む想定震源域に緊張が走った。
津波注意報の発令を受け、宇和島市は海の近くにいる人に避難指示を出した。赤松課長は「臨時情報が出された場合の対応はあらかじめ整理していたが、再確認をするきっかけになった」という。
同庁は、南海トラフ地震の発生可能性が平常時より相対的に高まっているとして臨時情報を出したが、その後、強い地震は起きず、同15日に解除した。ただ、「30年以内に70~80%」とされる南海トラフ地震の発生確率に変わりはなく、今後も注意と備えが必要だ。
今月17日には、地震発生時の安全行動を確認する10回目の「シェイクアウトえひめ」(県民総ぐるみ地震防災訓練)があり、過去最多の約38万4000人が参加した。県防災危機管理課の森貞千絵主幹は「4月の地震や8月の臨時情報発表などで県民の防災への関心が高まっているのではないか。まずは自分の命は自分で守る『自助』のため、物資の備蓄や避難経路の確認などをしてほしい」と呼びかけている。
年が明けると能登半島地震から1年となり、1月17日には阪神大震災30年の節目を迎える。地震はいつ、どこで起こるかわからない。一人ひとりの防災意識が問われている。(斎藤剛)