【検証ルポ】ヒグマ死亡事故から11か月 知床・羅臼岳登山道規制解除で改めて注目される疑念「射殺されたヒグマは本当に人を襲った加害グマだったのか」

加害個体とされた通称「サカハチ」(写真=池田宣博/AFLO)

 2025年8月に起きた、世界自然遺産・知床でのヒグマによる人身事故から11か月。閉鎖されていた登山道が7月5日に規制解除された。規制解除に当たり、知床財団は2つの方針転換に踏み切った。1つは独自の判断で登山口を閉鎖できるようになったこと。もう1つは危険なクマの積極的に駆除することだ。しかし、一方で知床の事故の加害クマについて、気になる疑念も浮上しているという。ノンフィクションライターの中村計氏が追った。(文中敬称略)【前後編の後編】

 もう1つの大きな方針転換は「人慣れグマ」を積極的に駆除する方向に舵を切ったことである。

 世間一般では「人慣れグマ=危険」というイメージがあるが、必ずしもそうではない。クマとの遭遇でいちばん危険なのは至近距離で鉢合わせしてしまうケースだ。距離に余裕があれば逃げていくクマも、近距離で遭遇すると防御本能が発動し攻撃を仕掛けてくる。しかし、人慣れグマは、そんなときでも落ち着いているのだという。

 知床は年間100万人超の観光客が訪れる一大観光地だ。そのため、知床で野生動物の保護管理を請け負う知床財団の元事務局長で、現在は特別研究員を務める山中正実によれば、「クマのうち8割」が大なり小なり人慣れしているという。人は危害を加えてこないと知っているため、警戒心が薄いのだ。あるベテランガイドが話す。

「人慣れしているクマはたとえば角を曲がって10メートル以内で鉢合わせしてもこちらに向かってくることは滅多にない。ただ、人慣れしていないクマは、ほぼ間違いなく襲ってくると思います」

 今回、人を死に至らしめたと目されるクマは、連れていた2頭の子グマとともに、事故の翌日に射殺されている。11歳のメスで、関係者の間では「サカハチ」と呼ばれていた。胸の月の模様が「八」の字を逆さにしたように見えるからだ。

 サカハチは極端に人慣れしたクマだった。そのクマを長年、観察し続けてきた専門家の証言だ。

「サカハチは目の前に出てきても何もされたことがない。ほんと、触れちゃうんじゃないかなと思ったくらい。子連れの母グマはすごく気が立っているものなんです。でも、サカハチは子どもと一緒のときでも、完全にこっちを無視している感じでした。人がたくさん通る登山道を使っているというのも、サカハチ以外、聞いたことがなかった」

 そのサカハチが人を襲った可能性が高かった。知床財団の現事務局長である玉置創司は、捕獲対象の軌道修正に至るまでの苦悩をこう明かす。

「極端に人慣れしているからといって、そのクマを殺すのは人間のエゴだと思っていたんです。人慣れさせたのは、人間側の責任ですから。でも、今回は人が亡くなっている。人との適切な距離が保てない個体は危険だという認識に変わってきている。ただ、人慣れしているクマと一口に言ってもだいぶ幅があるので、そこはきちんと見極めようと思っています」

 知床以外のクマ対策は「個体数調整」という考え方が支配的だ。つまり、どのような性質のクマであるかは関係なく、とにかく個体数を減らさなければならないという考えだ。だが、知床の対策はそこまで振り切ったわけではない。玉置が話す。

「無差別に獲ることはできない。知床は人間の『家』ではないので。ただ、問題個体の捕獲は、少なからず頭数コントロールになるのではないかと思っています」

 2つのシフトチェンジは知床にとって、きわめて大きな路線変更である。だが、山中はこう言う。

「今回の事故を契機に知床の安全対策は、2歩も3歩も進みました。でも十分ではない。日本より遥かに進んでいる北米の自然公園でも数年に1回くらいはクマとの接触事故が起こる。知床も今後も事故は起きる。それを前提に今後も仕組みづくりを前に進めていかなくてはいけない」

 山中が語るように、自然を相手にリスクがゼロになることはない。自然の中でリスクを背負うということは、あらゆる可能性に思考を巡らせるということでもある。

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