〈ヒグマ駆除拒否〉ヒグマの“恐ろしさ”を知らしめた「日高福岡大ヒグマ事件」とは 「土饅頭」に隠されていた遺体

人を見て、不快感を示すヒグマの成獣=門崎允昭さん提供 この記事の写真をすべて見る

 北海道ヒグマの駆除をめぐり、10月に猟銃所持の許可を取り消されたハンターが控訴審で逆転敗訴したことを受け、北海道猟友会は自治体からのヒグマの駆除要請に原則応じないよう全支部に通知する方針だと、地元紙の北海道新聞が報じた。道内で起きたヒグマによる凄惨な「事件」について、改めて紹介する(この記事は「AERA dot.」に2023年11月19日に掲載された記事を再配信です。年齢、肩書等は当時のもの)。

【写真】「食べ物」を隠したヒグマの「土饅頭」はこちら

*   *   *

 北海道南部の大千軒岳(福島町、標高1072メートル)の山中で11月2日、北海道大学水産学部(函館市)の大学生の遺体が発見された。近くではヒグマの死がいも見つかっており、クマに襲われたとみられる。そしてヒグマに詳しい専門家は「このクマは、食べるために人間を襲った」と言い切る。遺体は隠すように土や木の葉で覆われており、いわゆる「ヒグマの土饅頭(つちまんじゅう、どまんじゅう)」がつくられていたからだ。  

 北海道ヒグマ対策室や現地報道によると、北大生(22)が日帰り登山で大千軒岳を訪れたのは10月29日。この日にクマに襲われたとみられている。

 その2日後、近くの消防署に勤務する消防士3人がこの山を登っていたところ、突然クマに襲われた。

 消防士は持っていた山菜採り用の刃物を使って抵抗。眼の周囲や首などを刺したところ、クマは逃げ去ったが、40代の消防士2人が負傷した。

 11月2日、行方不明になっていた北大生の遺体とクマの死がいが発見された。北海道や道警などが現場に残されていたクマの死がいを調査。クマはオスで、体長125センチ。消防士のナイフが首の大動脈に達し、致命傷を負わせていたことがわかった。  

 消防士たちは登山中、ホイッスルを鳴らし、存在を周囲に知らせていた。にもかかわらず、クマは立ち去るどころか、堂々と人間に近づき、襲ったということになる。なぜなのか?

 長年、ヒグマの生態を調査してきた北海道野生動物研究所の門崎允昭(まさあき)所長は、見つかった大学生の遺体が土や木の葉で覆われ、「ヒグマの土饅頭」がつくられていたことに着目する。

 つまり、ヒグマは大学生の遺体を、「食べ物」として扱っていたことを意味する。

「おそらくクマは当時、大学生の遺体とともに登山道の近くにいた。そこに消防士たちが接近してきた。クマは『食べ物』を守ろうとして、消防士を排除しようとしたが、ナイフで刺され、遺体の近くに戻ったところで息絶えたのでしょう」  

【こちらも話題】 キャンプ場でクマに襲われた女性が3年ぶりに歩いた「現場」 人の食料の味を覚えたクマの“その後” https://dot.asahi.com/articles/-/199930


Page 2

専門家が撮影した「ヒグマの土饅頭」。エゾシカの死がい上に、ササなどがかぶせられている=帯広自然保護官事務所提供

 ヒグマは、捕らえた獲物の死がいに隠した後も、しばらく近くにとどまる習性があるという。

「シカやキツネだけでなく、家畜や人間に対してもそうです。わざわざササを噛み切って、置く場合もあります。それは『自分のものだよ』という印です。クマは自分の獲物に固執しますから、人間が近づいても絶対に逃げません」

 土饅頭からは強烈な腐敗臭がするため、離れていてもその存在に気づくという。

 しかし、興味本位で近づいてはいけない。近くにクマが潜んでいれば、襲われる可能性が高いからだ。  

クマにつけ狙われた福岡大生

 登山者がヒグマに襲われて死者が出たのは、1970年に起きた「福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件」以来、約半世紀ぶりである。

 当時、日高山脈を縦走していた若者5人は、食べ物に執着するヒグマの習性を知らなかったために、繰り返しヒグマに襲撃され、3人が亡くなった。

 事故報告書によると、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会のパーティーが入山したのは7月14日。日高山脈北部から南へ向けて、縦走を開始した。

 23日、主峰・幌尻岳を通過し、さらに南下。ヒグマと遭遇したしたのは夏合宿の終盤、25日夕方だった。

 夕食後、全員がテントのなかでくつろいでいると、6~7メートル先にヒグマがいるのを見つけた。しかし、緊迫感はない。

「みな、珍しがって見たり、カメラに収めたり、自慢話ができるといった具合で、恐怖を感じたものはいなかった」(報告書)  

 ところが、30分ほどすると、テントの外に置いていたザックの中の食料をあさり出した。

 さすがにマズいと感じたメンバーは、クマの隙を見て、ザックをテント内に収容した。クマを追い払うためにたき火をし、ラジオの音量を上げ、食器を打ち鳴らした。  

【こちらも話題】 「クマはクマでしかない」 米田一彦が写したクマの実像 https://dot.asahi.com/articles/-/195765


Page 3

幌尻岳から日高山脈南部を望む。福岡大のパーティーはこの山頂を踏んだ2日後、ヒグマに襲われた=帯広自然保護官事務所提供

 クマはいったん離れたものの、翌朝4時半ごろテントに手をかけて引っ張り始めた。負けじと部員たちは内側から引っ張り返した。約5分後、もうもたないと判断。部員たちはクマとは反対側の出入口から一斉に逃げ出した。振り返ると、クマは悠然と食料をあさっていた。

 2時間ほどすると、クマは茂みの中に姿を消した。それを見た部員たちはテントとザックを回収した。  

 しかし、そのときクマは、食料の入ったザックを「自分の所有物」と認識していたに違いないと、何度も遭難現場を訪れた門崎さんは言う。

「部員たちが3度にわたりザックを守り、取り戻そうとしたことから、ヒグマはザックを確保するために彼らを徹底的に排除しようとしたのでしょう。ヒグマは本当に執念の動物です。やりたいことをやり通そうとする」

 恐るべきことに、このクマはその後、福岡大パーティーを2キロ以上にわたって執ように追い続け、次々に部員たちを襲ったのだ。

衝撃的な事件は大きく報道され、ヒグマの執ような行動が全国に知られるようになった。  

鈴よりホイッスルを

 ヒグマが人間を襲うことはまれだが、決して「異常」な行動ではないという。

 門崎さんが行った96件の人身被害の調査によると、ヒグマが人を襲う理由は「排除」「食害」「戯れ」の3つに大別される。

 このうち最も多いのは「排除」で、確保した食べものを保持し続けるために邪魔になる人の存在を取り除くために攻撃する。福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件や、大千軒岳で消防士たちを襲ったケースがこれにあたる。子グマを守ろうとする母グマが人間を襲うこともある。

「食害」は人を食べるために襲うもので、動物性の食物を渇望しているときに起こる。大千軒岳で北大生が襲われたケースは食害にあたると、門崎さんは推測する。

「戯れ」は好奇心旺盛な満2歳のクマに多く、人にちょっかいを出すことをさす。  

【こちらも話題】 リアルな狩猟描写が話題の漫画「クマ撃ちの女」 作者が語る本当の怖さと怪物ヒグマ「OSO18」の“正体” https://dot.asahi.com/articles/-/12434


Page 4

人に気づき、警戒する母子グマ=門崎允昭さん提供

 ヒグマの生息域に足を踏み入れる際には、クマに出合わない方法や、万が一襲われても被害を最小限にする対策をあらかじめ準備しておく必要がある。

 門崎さんが必需品とするのは、高い音が響き渡るホイッスルと、刃渡り20センチほどの鉈(なた)で、この二つを常に持ち歩いてきた。

「森の中で人間の存在を知らせるために鈴やラジオが使われることが多いですが、風が強い日や沢筋では音がかき消されてしまい、十分な効果を発揮しません」

 自発的にホイッスルを時々吹くことでクマに対する警戒心を持続しやすく、吹かないときは邪魔な音がないので、クマの存在を察知しやすい。  

ヒグマ除けのホイッスルと反撃するための鉈(なた)=門崎允昭さん提供

最後は戦う覚悟を

 ただ、ホイッスルを吹いてもクマに出合ってしまう場合もある。

「そんなときはまず、クマの様子を観察します。向こうがぼくに気づいていなければ、『ホイホイ、ホイホイ』と声を出します。さらに『お前、何してんの』などと話しかけます。するとクマは気がついて、ほとんどの場合は離れていきます」

 門崎さんが感じている、クマと人の「臨界距離」は約30メートル。

「話しかけてもクマが立ち去らず、30メートル以内に近づいてくる場合は要注意です。一見して不快そうな顔つきのクマや、本当に冷徹な表情のクマもいます。『ダメダメ』『こっちに来るな』とか、大声を出してクマから離れます」

 その際、重要なのは決して背中をクマに見せないことだ。クマは背を向けて逃げる動物を襲う習性があるからだ。

「柔和な表情でこちらに歩いてくる場合は、私の横を通って行きたいだけなので、そのまま通り過ぎます。2、3メートル横を歩いていったことが何回もあります。ただ、一般の人にはお勧めしません」  

【こちらも話題】 キャンプ場でクマに襲われた女性が告白「死を覚悟した」 経験から得られる教訓を生かすには https://dot.asahi.com/articles/-/40650


Page 5

ヒグマ
2024/11/14/ 10:45
双子の子クマと母グマ=門崎允昭さん提供

 執ように近づき、襲ってくる場合は鉈を使用する。無抵抗だと最悪の場合、殺されてしまう。

 昔からクマの生息域で暮らしてきたアイヌは屋外に出る際、「タシロ」と呼ばれる鉈と、「マキリ」という小刀を腰の左右に身につけ、クマから身を守ってきた。

ヒグマは人を襲う際、抱きついて頭をかじったり、爪で引っかいたりして攻撃します。抱きつかれた状態でもどちらかの手が使えれば、タシロかマキリを抜いて、突き刺せます。クマに痛みを感じさせることで攻撃を止めることができることをアイヌは経験的に知っていたんです」  

死んだふりは通用しない

 門崎さんは、大千軒岳でクマと遭遇した消防士たちの対応が、非常によかったと評価する。

登山中、ホイッスルを吹きながら歩いていましたし、クマに襲われたときには山菜採り用のナイフで反撃した。それによって、クマは攻撃するのを止めて、逃げたわけです」

 ちなみにアイヌには「死んだふりをすれば難を逃れられる」という口承はないという。

 クマは人を襲うこともある猛獣である。それをきちんと認識したうえで、豊かな北海道の自然を味わってほしい、門崎さんは言う。

(AERA dot.編集部・米倉昭仁)

【こちらも話題】 クマ駆除抗議に研究家が抱く危機感 襲われて死亡した被害者宅に「自業自得だ!」の残酷電話も https://dot.asahi.com/articles/-/205988

関連記事: