我々はなぜ「旅好き」なのか。ホモ・サピエンスの「進化」からインバウンドと移民問題を考える(石田雅彦)

 旅が好きな人は多い。それは交通手段が発達するはるか以前から人類に備わった特徴でもある。その理由を人類進化から考えてみる。

 渡り鳥やアフリカのヌーなど、繁殖や採餌などのために長距離を移動する生物は多い。だが、常に旅をしたがり全く別の場所へ行こうとする生物はヒトだけかもしれない。我々の祖先は、何万年もかけて途方もない距離を移動し、地球上のほとんどの環境に適応し、進化してきた。

 直立二足歩行は、人類の祖先にとって最も重要な生物学的な進化だったと考えられている。この形態行動的な変化は、議論は続いているが遅くとも180万年前までに獲得されたようだ(※1)。

 森林からサバンナへの環境変化は人類の祖先に遠距離移動を強い、後脚で立ち上がって遠望し、結果として両手の自由を獲得し、体温調整能力やエネルギー効率を上げ、まさに進化上の大きなステップとなった(※2)。また米国の人類学者は、二足で立ち上がったことが人類の祖先に空間の広がりを意識させ、環境を選択すると同時に未知なる世界を探索する好奇心を刺激するようになったと述べている(※3)。

 環境が生存に難しいほど変化した時、生物はそこにとどまって生き延びる道を選ぶか、それとも別の環境を探す旅に出るかを迫られる。我々の脳もそう進化してきて、留まるべきか、移動すべきかの間のトレードオフを常に探るようにできているようだ(※4)。

 不確実な未来への警戒と既存資源の最大活用、そして新しい刺激への反応と未知資源の探索──これらは、ヒトを含む多くの生物の生存戦略だ。

 いわゆる新奇探索傾向の遺伝子とされるドーパミン受容体遺伝子DRD4の多型(繰り返しが多いタイプ)は、議論があるものの長距離移動を繰り返した集団ほど多く持っているとされる(※5)。

 こうした背景を持つヒト、ホモ・サピエンスは移動することで生き延び、生き延びることで移動するように進化してきたと言える。同じ場所に留まるより、リスクはあるけれど未知の新たな場所へ移動し、そこでより多くの資源を発見できれば、新たな土地で子孫が繁栄できた。

 新たに一歩を踏み出し、前へ歩き出すことは、我々が進化してきた本質の一つだ。旅をしたい、知らない場所を見てみたい、こうした衝動は単なる好奇心ではなく、我々の脳が持つ原始的な機能であり、遺伝子に刻まれた記憶であり、祖先の経験の蓄積でもある。

 もちろん、生物の生態と文化の特質は別の意味であるし、国家同士が定めた国境という線引きがある以上、言語、宗教、倫理観、社会規範、法制度は集団ごとに異なる。交通機関やデジタル技術の発達によるグローバル化の反面、南北問題と移民問題という矛盾が生じていることも事実だ。

 ホモ・サピエンスが生来的に持つと考えられる旅への衝動や願望は、交通機関の発達と利便性によって新たな「脱アフリカ」を生じさせてもいる。近代国家の安定は、国民という定義に依存する部分が大きく、異なる人種や異文化が入ってきたときに文化的摩擦や排他主義を引き起こす。

 しかし、ヒトの個人が他の場所へ移動したり集団が他の場所へ移住したりすると、そこに前から定住していた人や集団との間に衝突や混乱だけでなく、理解や適応、共存などが起き、それは文化的な多様性にもつながる。

 異なる人々、集団、文化の相互理解のためには、共感、信頼、非言語的コミュニケーションなどが発達する必要がある。こうした要素が多く、多様性が高いほど規範は緩やかになり、人間関係は流動的になり、結果として創造性が高まって新たな発展により集団や社会が強靱になる(※6)。

 多様性によって種の生命力や生存能力などが強くなるのは、ヒトに限らず生物一般に広く見られる。異なる集団や文化が混ざり合うことで、より複雑で適応的な社会が形成される。

 つまり、移動によって発生する多様性こそ、進化のエネルギーであり、ヒトという種に備わった能力でもある。

 そのため、遺伝的にも生態行動的にもホモ・サピエンスの特徴である他地域や他国への移動は、社会的リスクというより、次の段階へのステップアップのエンジンと考えられる。個人や集団同士の衝突や摩擦を乗り越え、感情表現や価値観などの違いを理解し、知識や技術を相互に与え合うことは長期的な利益につながるのだ。

 人生は旅に例えられることがある。直立二足歩行になって以来、我々は移動することによって自らを変え、集団のサバイバルへつなげてきた。そこに留まるか、新天地を目指すか、我々は常にホモ・サピエンスがたどってきた進化をトレースしていると言える。

 移動と受容による生物的・文化的・社会的な多様性、異なる存在を受け入れ、混ざり合い、そこから新しい文化や価値観を生み出す力こそが、ホモ・サピエンスの本質だ。その意味で言えば、移動を恐れ、旅することを否定し、多様性を恐れる社会は進化への道を自ら閉ざしていると言ってよいだろう。

 遣唐使やお伊勢参りなどの例を出すまでもなく、日本人は日本列島内に限らず古来から他の地域や国へ旅や移動してきたし、他の民族や集団も何度となく日本へ流入してきた。明治維新には西洋文化や技術を受け入れ、敗戦によって日本へ民主主義と自由主義が導入された。こうしたことによって、日本が強靱になったのは歴史的事実だ。

 日本人にも旅好きな人が多いのは、ホモ・サピエンスの祖先から受け継いできた情動反応が影響しているからだろう。そして、多様性を受け入れ、進化し続ける姿勢は、人類に普遍的な特質であると同時に、アジアの東端で様々な文化の流入と融合を経験してきた日本人でより強く育まれてきたのかもしれない。

※1:W E H. Harcourt-Smith, L C. Aiello, "Fossils, feet and the evolution of human bipedal locomotion" Anatomy, Vol.204, Issue5, 403-416, May, 2004

※2:Daniel E. Lieberman, "Human Locomotion and Heat Loss: An Evolutionary Perspective" COMPREHENSIVE PHYSIOLOGY, Vol.5, Issue1, 99-117, January, 2015

※3:Adrian Viliami Bell, "Selection and adaptation in human migration" Evolutionary Anthropology, Vol.32, Issue6, 308-324, December, 2023

※4:Jonathan D. Cohen, et al., "Should I stay of should I go? How the human brain manages the trade-off between exploitation and exploration" PHILOSOPHICAL TRANSACTIONS OF THE ROYAL SOCIETY B, Vol.362, Issue1481, 29, May, 2007

※5-1:Fong-Ming Chang, et al., "The world-wide distribution of allele frequencies at the human dopamine D4 receptor locus" Human Genetics, Vol.98, 91-101, May, 1996

※5-2:Chuansheng Chen, et al., "Population Migration and the Variation of Dopamine D4 Receptor (DRD4) Allele Frequencies Around the Globe" Evolution and Human Behavior, Vol.20, Issue5, 309-324, September, 1999

※5-3:Luke J. Matthews, Paul M. Butler, "Novelty-seeking DRD4 polymorphisms are associated with human migration distance out-of-Africa after controlling for neutral population gene structure" American Journal of Physical Anthropology, Vol.145, 382-389, July, 2011

※6:Paula M. Niedenthal, Sophie Wohltjen, "Historical migration patterns and the evolution of culture" Current Research in Ecological and Social Psychology, Vol.9, 100243, 2025

関連記事: