袴田巌さん再審無罪に畝本直美検事総長が「控訴断念」異例の長文談話…背景を読売新聞社会部デスクが考察 : 読売新聞

 袴田巌さん(88)の再審無罪判決に対する控訴断念にあたり、検察トップが発した談話が波紋を投げかけている。

大半は判決への批判

再審無罪が確定し、手を上げて支援者らにあいさつする袴田さん(中央)と姉のひで子さん(右)(10月14日、静岡市で)

 10月8日。東京・霞が関の司法記者クラブに、最高検の 畝本(うねもと) 直美・検事総長の談話が文書で配られた。内容は、1966年に静岡県で起きた一家4人強盗殺人事件で逮捕・起訴され、死刑が確定した袴田さんに対し、再審無罪を言い渡した9月26日の静岡地裁判決について。控訴期限は2日後に迫っていた。

 検事総長が個別の事件について記者会見したり、談話を出したりすることはめったにない。平成までさかのぼっても、会見は、受託収賄罪などに問われた田中角栄・元首相の有罪が維持されたロッキード事件の最高裁判決(1995年)、2010年に発覚した大阪地検特捜部による証拠品改ざん事件などにとどまる。談話も、リクルート事件の捜査終結(1989年)など数少ない。

 今回の談話は、内容も特殊だった。A4判2枚、計約1350字で、冒頭、畝本氏は「控訴しない」と結論を表明。後半では、袴田さんに向けて「長期間にわたり、法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなり、検察としても申し訳なく思う」と「所感」も述べた。

 だが、その間はほぼ全て、判決への批判で占められた。とりわけ、現場近くのみそタンクから見つかり、検察が袴田さん有罪の根拠と主張した血痕付きの衣類など三つの証拠を、判決が「捜査機関が 捏造(ねつぞう) した」と認定したことには「控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容だ」と断言していた。

 結論、謝罪、そして「怒り」――。控訴しないと世に示すのに、どうしてこんな起伏に富んだ談話を作る必要があったのだろうか。

検察内部の不満に応える「苦肉の策」か

 静岡地裁判決は、捏造の経緯や手段を具体的に記していない。言い換えれば、「誰がどんな手口でやったのか詳しくはわからないが、とにかく袴田さんを犯人にするために証拠を捏造した」というものだ。

 判決を分析した元最高検次長検事の伊藤鉄男弁護士(76)は、「根拠が示されないまま『捏造した』と言われるのは許し難いことだろう。だが、事件から五十数年も経過している中、検察として『控訴はやめたほうが世の中のためだ』との結論に至ったのではないか」と畝本氏の真意を推し量る。

 実際、法務・検察内部では、控訴して白黒付けるべきだという意見もあった。談話は、対外的に捏造を明確に否定することで、内部の不満にも応える「苦肉の策」のように映る。

畝本直美・検事総長

 これに対し、袴田さんの弁護団は「検事総長がいまでも巌さんを犯人と考えていると公言したに等しい」などと抗議する声明文を静岡地検に提出。各地の弁護士会なども反発し、東京弁護士会は「談話は極めて不当」とする会長声明を出した。

 司法手続きから外れた場所から「本来は控訴すべきだった」と息巻くやり方にも批判がある。大阪弁護士会は「裁判手続き外で無罪判決を一方的に批判し、適切さを欠いている」と非難し、複数の検察OBは「法と証拠に基づく対応とは言えず、フェアではない」と受け止めを語った。

求められる丁寧な説明姿勢

 もともと検察は、公判以外では「黙して語らず」の意識が非常に強い。特に、捜査・公判や組織運営のことで批判を浴びると「貝」になりがちだ。守勢に立たされた今回、内容に議論はあるにせよ、トップ談話で殻を破ったこと自体が、私には意外に思えた。

 伊藤さんは「極めて異例な判断だけに、世の中に向けて説明を尽くそうとしたのは評価できる」と話す。でも今後、控訴や上告が難しい場合は、談話で正当性を主張することが「通例」になりかねないのでは――私のそんな問いかけに、伊藤さんは「二度とないだろう」と否定した上で、「検察は国民に対し、日頃からもっと丁寧に説明する意識が必要だ。たとえ理解を得られなくても、繰り返し、真面目に説明する姿勢が求められる」と古巣に促した。

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 社会部次長。1999年に入社し、静岡支局などを経て2005年から社会部。21年12月からデスクを務め、検察や会計検査院、政治資金などを担当している。

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