バスケ部の人気者から人生暗転、好奇心から運の尽き「殺人容疑者」に [福井県]:朝日新聞

 中学に入るころ、身長は170センチを超えていた。

 部活に選んだのは、バスケットボール。長身を生かせると思った。

 中学1年の前川彰司さんの放課後は、にぎやかな体育館の中にあった。

中学時代、バスケットボール部の練習中におどける前川彰司さん(中央)=本人提供(画像の一部を加工しています)

 同級生とそろいの白のバスケットシューズで、キュッ、キュッと床を鳴らして走り回る。隣のコートでは女子バスケ部も練習していた。

 《グルーピー(追っかけのファン)じゃないけど、女の子に人気があって。バレンタインデーにはチョコを8個もらった。大体げた箱や机に入っていたけど、手渡しも》

 その彼が8年後、殺人の疑いで逮捕された。

 福井市内の市営住宅で一人で留守番をしていた女子中学生(当時15)を殴り、首を絞め、顔や胸など約50カ所を刃物で突き、殺害したという疑いをかけられた。

 一貫して容疑を否認してきた前川さんは今月18日、逮捕から38年を経て、やり直しの裁判(再審)の判決を迎える。検察側は再審で新たな証拠を提出しておらず、無罪となる公算が大きい。

 前川さんはなぜ、疑われたのか。この38年はどんな時間だったのか。判決を前に、本人や周囲の記憶、裁判の記録などをもとに、その半生をたどる。本人の言葉は《 》で表記する。

再審の判決を待つ前川彰司さん(60)の半生をたどる全5回の連載です。バスケ部の人気者だった前川さんの人生が暗転したのは、中学時代でした。

庭に池のある家で

 国鉄福井駅(現・JR福井駅)から車で約10分。福井市内にある木造2階建ての一戸建てで、前川さんは育った。

 池のある庭は、手入れが行き届いていた。応接間には童話の絵本数十冊がずらりと並んでいた。

9歳ごろの前川彰司さん。自宅の庭で撮影したという=本人提供

 「家庭とはこうあるべきだ」という信念を持つ市役所勤めの父と、「豊かな心を持つ子に育ってほしい」という保育士の母の思いが込められていたのかもしれないという。

 生まれたのは1965(昭和40)年。東京五輪が終わり、高度経済成長を象徴する「いざなぎ景気」が始まるころだった。

 同居する祖父母は年を重ねても仲むつまじかった。3学年上の姉とともに、大切に育てられた。

幼少期の前川彰司さん=本人提供

 小学校低学年のころは給食が苦手だった。掃除の時間になっても、午後の授業が始まっても、完食できずに食べ続けた。家では、野菜嫌いの自分の好みに合わせて母が食事の皿を盛ってくれていた。

 中学年から高学年にかけて、体が大きくなる。景色が変わる。

 4年生で学級委員長になった。足が速く、ひょうきんな人気者。秋祭りに開かれる地域の相撲大会では「横綱」になった。市の水泳大会では背泳ぎで表彰台にのぼった。

 友達の家に遊びに行けば、ふすまを開け閉めして走り回り、かくれんぼに熱中。友達の母親を見かけると、横断歩道の向こう側から大声で「おーい」と手を振る「天真らんまんな子」だった。

運動会で張り切る小学6年の前川彰司さん=本人提供(画像の一部を加工しています)

 アイドルグループのキャンディーズが解散し、成田空港が開港する78年の春、地元の中学に入学した。バスケ部で活躍した。

 《恵まれていた。ただ、空っぽな、満たされないところがあった》

 中1の途中、人生の転機とな…

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連載暗闇の先に 福井事件 38年後の再審(全5回)

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